「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学42」 光源氏、女三の宮に見捨てられる(2)
■出家を願いでる女三の宮
さて、生まれた子が男児だったのは光源氏にとってよかったのか、どうなのでしょうか。「こんな子が父親そっくりの顔だちで人前に出るのはいかがなものか。女の子なら大勢に姿を見せることもないので安心だ」と思う一方、「こんな疑いのある子は、手のかからない男の子の方がいい」と悩んでいます。そして「これはあの罪の報いなのか…。それなら来世の罪も少しは軽くなるだろうか」と思うのでした。
だからといって生まれた子を大切にすると言うわけではありません。遅くに身分の高い妻にできた子なら、そばを離れないぐらい大切にするだろうに、ほとんど関心を示さない光源氏に、事情を知らない女三の宮の老い女房らは不満顔で、文句を言ったりしています。女三の宮自身は出産という気味の悪い体験をしたこともあり体調が悪く、光源氏がこの先ますます冷たくなるだろうと考えると、いっそ出家してしまいたくなるのでした。
光源氏は忙しさにかこつけてなかなか女三の宮の元を訪れず、昼間にちょこっと顔を出したりします。その折を伺い、女三の宮は出家を申し出ます。その様子はいつもよりも大人びています。弱々しい姫宮だった女三の宮はいくつもの修羅を乗り越え、出産を経て光源氏の知る女三の宮とは別人になっていたのかもしれません。
光源氏は、「その方がいいかもしれない」と思いながら、まだ美しい盛りの女三の宮の髪を切ってしまうのが気の毒だと「気持を強く持ちなさい」といなし、薬湯を飲ませます。弱々しく儚げな女三の宮はかわいらしく、「どんな過ちがあってもゆるしてしまいそうな姿だ」と光源氏は考えています。詰まるところ、まだまだ美しい女三の宮を失いたくない、という光源氏のエゴがまさったというところです。
女三の宮の父・朱雀院は娘の出産を山の寺で聞きました。出家したとはいえ、カワイイ娘の初めての出産が安産というのに体調が悪いと聞き、会いたくて矢も立てもたまりません。女三の宮も父が恋しくもしかしたらもう二度と会えないかもと泣くので、光源氏はその様子を朱雀院に伝えます。朱雀院はある夜急に女三の宮のところへやってきました。
元帝の急な訪れに光源氏は恐縮至極です。こうして久々の親子対面となりました。そこで女三の宮は「生きていられそうにないのでこのついでに尼にしてください」と訴えます。本人に対しては「それは結構だが、さすがに死ぬとは決まっていない。若い身空で出家すると間違いが起きたりもする」とはいいながら、光源氏には「これが最後の様子なら、出家させてやりたい」と言います。
光源氏は「物の怪などが誑かしてこう仕向けることもあるそうなので、私は聞き入れなかったのです」とオロオロしています。朱雀院は「もし物の怪でも、それは悪いことではないし、こんなに弱っている人の願いを聞き流してはあとで悔やむのでは」と言います。その心には「安心して女三の宮を任せたのに、愛情はいまひとつだった。世間の人の噂なども残念だったが、この機会に出家するのも悪くないだろう。光源氏は後見役としてはまだ役に立つ。桐壺院の遺産の三条の宮に女三の宮を住まわせよう」と意外に冷静に事態を把握し、将来を考えています。
「私がこうしてきたついでに仏縁を結ぶことにしましょう」という朱雀院のことばに、光源氏は周章狼狽、いままでの恨みなどすっかり忘れてこらえきれず女三の宮の几帳に入って思いとどまるよう説得しますが、女三の宮の意思は固く、ついに尼姿になってしまいました。そりゃそうです。あれほどさんざんな扱いをしておきながら、いまごろになって「何で私を見捨てて出家するの」と言われても、見くびるな、という感じでしょう。
こうして女三の宮は出家してしまいました。いままでいつも光源氏の後塵を拝していた朱雀院と光源氏からはペットのような扱いを受けていた女三の宮がタッグを組み、光源氏から自立したのです。結果、光源氏は女三の宮に見限られ、見捨てられた形です。去りゆくものは常に美しい。光源氏は後に残され、戸惑いうろたえるだけでした。光源氏はいつも優位に立っていたはずの、自分の足もとががらがらとくずれるような思いだったのではないでしょうか。彼の驕りが招いた大きな敗北=失敗でした。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。
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