カテゴリー「源氏物語の失敗学」の記事

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学31」 中年・光源氏の複雑な親?心 2

Midori

■蛍の光に惑わされて

春が終わり、夏がやってきました。外は五月雨の季節です。相変わらず光源氏は女房たちの目を盗んで玉鬘に言い寄っています。その度に玉鬘は戸惑い、何とかうまくあしらって切り抜けているのでした。

でも、ここでさすがに光源氏も中年になったな、と思うのは決して強引に関係を結んだりしないこと。若いころであれば、人妻の空蝉でも、出会い頭の朧月夜でも、紫の上でも、自分の気持ちに従って、強引に関係を結んでいました。だけど、中年のいまはチャンスはいくらでもあるでしょうが、やはり分別盛りなのでしょう。無理矢理に手出しをすることはありません。だけど、まだ乙女の玉鬘にはそれでも恐ろしいことなのでした。

ある夜、兵部卿宮が六條院を訪れました。光源氏は彼を玉鬘のいる西の対へ招き入れます。といってもまだ男女の関係に至るわけではありません。とりあえず、ちょっと人づてにお話をして、女の気配だけを感じさせるという段階です。部屋からは玉鬘のお香の香りが漂い、衣擦れの音が聞こえます。兵部卿宮はそうした気配の一つひとつに玉鬘のたしなみを感じ、ますます心引かれます。光源氏は少しだけ、戸口に近いところに来るよう、玉鬘に促しました。

おもむろに玉鬘の几帳のそばに近づく光源氏。彼女はその几帳の奥にいます。几帳の帷子を1枚だけあげて、玉鬘のそばに光るものが差し出されました。実は夕方、蛍を集めて薄い紙か何かに包んで隠し持っていたのです。夏用の薄い几帳ですから、当然内側に光があれば内部の様子が分かります。兵部卿宮は几帳の向こうにくつろぐ玉鬘の姿を一瞬ですが、ほのかに見ることができました。

このシーンは、源氏物語の中でも美しい場面として知られています。飛び交う蛍の灯りに照らし出される美女の姿。それが一瞬だからこそ、男の目にはより印象的に焼き付きます。兵部卿宮はますます玉鬘のことが忘れられなくなりました。このエピソードにちなみ、この兵部卿宮は「蛍兵部卿宮」とも呼ばれています。

なぜ、光源氏はこんなことをしたのでしょう。当時、女性が他人の男性に顔を見せるのは、セックスをしたのと同じような意味を持っていました。この頃の「見る」ということばは、男女が関係を結んだ、という意味だったのです。ですから、蛍のほのかな光とはいえ、娘の顔を男に見せるなんて、とんでもないことだったんですね。

ですが、光源氏はあえてそれをしました。それはなぜでしょう。こうやって玉鬘の顔を見るまで、蛍兵部卿宮は、「光源氏の娘」を口説いていたのです。光源氏の娘だから、美人に違いない、光源氏の娘だから、きっと教養もあっていい女に違いない。そして権勢を極めた光源氏の婿になれれば…。ところが、こうやって顔を見たことで、蛍兵部卿宮は、玉鬘に本当に恋をしてしまいました。

光源氏は「いとよく好きたまひぬべき心、惑はさむ=好色な心を悩ましてやろう」と考えています。玉鬘のことが好きなくせに、ほかの男を惑わせようとする、なにやら複雑な親心(笑)です。

さて、こうやってたきつけられた蛍兵部卿宮の恋は叶うのでしょうか。この結果はもう少し先の話になります。今回は、別にだれが失敗というわけではありませんが、たまには源氏物語ならではの雅で色めいた世界もご紹介したくて、このシーンを取り上げました。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学30」 豪華絢爛 六條院のお正月(2)

Hakubai3

■新年早々、外泊ですか?

さて、春とはいえ、まだ日が短い時期のこと。そろそろ日も暮れようとしています。明石の君の部屋へ来ると、御簾からかぐわしい風が漂い、どことなく優美に感じられます。ほかの女性たちに比べると、身分の低い明石の君ですが、たしなみは都の貴女並みです。

硯の周りには趣味の良い本がさりげなく投げ出され、敷物はインポートもののきれいなもの。そばには風情のある琴が置かれています。あたりに散っている紙に書かれた手習いの文字も美しく、本人の教養をうかがわせます。火桶にくゆらせているのは「侍従」というお香。まるで貴族のようなインテリアですが、このお香を焚くことで、自分の出自は忘れていないことを示しています。

本文には書かれていませんが、このように手習いや本を置いていたのは、明石の君の演出だと考えられます。自分の趣味のよさ、教養を光源氏にアピールするいいチャンスだと考えたのでしょうか。光源氏が手習いを手に取り、自分でも少し何か書き付けているときに、明石の君がそっと膝行り出てきました。膝行り出るという行為には、光源氏を主君とし、礼を尽くしている態度が現れています。このあたりが明石の君の賢さ、謙虚さなのでしょう。

さて、今日の明石の君はいつもにも増して美しく見えます。今日の着物は白地の小袿。これは年末に光源氏が贈ったものです。重ねているのは濃い赤紫。趣味のよいコーディネートは光源氏の見立てです。紫の上はこの組み合わせを見てそれを着る人を想像し、密かに嫉妬の炎を燃やしたのでした。

実際、この着物は明石の君にとてもよく似合っていました。その優美な様子に、光源氏の心が動きます。新年第一日目ですが、光源氏は明石の君の元に泊まることにしました。つまり、ことしの○初めは明石の君と、ということです。

でも、春の町では紫の上が光源氏の帰りを待っています。こちらに泊まることにしながらも、紫の上の顔がちらつき「新年早々騒がれることになるかもな」と思います。それでも、明石の君の魅力にはあらがえないのでした。

事実、その頃紫の上は「やっぱり明石の上に対する寵愛は格別なのね」とまた、嫉妬の炎を燃やし、主人を思う紫の上の女房たちは、「なんてひどい男君!」と歯がみします。そんな春の町の様子が目に浮かび、光源氏はまだ朝早く、暗いうちに春の町に戻りました。まだ一緒にいられると思っていたのに、早々と立ち去られた明石の君も、中途半端な思いが残り、寂しさがつのります。あちらへもこちらへも罪作りな光源氏です。

おもしろいのは光源氏の言い訳。「ちょっとうたた寝をして、若い人みたいにいぎたなく寝込んでしまったよ。起こしてくれなかったんだね」と紫の上の機嫌をとります。でも、紫の上はそれも無視。光源氏は居心地が悪く、狸寝入りをして、日が高くなってから起き出したのでした。新年早々、女がらみでやっかいな六條院の1日でした。

新年早々、自分の気持ちに負けて明石の君のもとに泊まってしまった光源氏。同じ邸の中ですが、紫の上にとってはこれは外泊。その後のトラブルを考えると、やっぱりこれは光源氏の失敗ですね。いくら恋人が魅力的でも、新年ぐらいは妻のもとに返った方がいいですよ、という教訓でしょうか。(この項終わり)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学30」 豪華絢爛 六條院のお正月(1)

■光源氏、新春のあいさつに女たちを訪れる   

今回はちょっと趣向を変えて、光源氏の大邸宅、六條院のお正月をレポートしましょう。元日の朝、よく晴れた六條院には春の気配が漂います。女たちはみんな、光源氏から年末に配られた新しい衣装を着て、それぞれに新しい年を言祝いでいました。

中でも華やぎ、この世の極楽浄土のような風情をかもし出しているのが紫の上の「春の町」。女房たちはお正月の歯固めを行ったり、鏡餅を取り寄せたりして、新年を祝っています.歯固めとは、長寿を願ってする儀式。おとそを供するときに猪肉や鹿肉、大根、瓜、鮎などを並べて食します。光源氏もそこを訪れ、一緒にお祝いします。

同じ春の町には明石の君が生んだ姫君も住んでいます。こちらの部屋ではかわいらしい童女や女房たちが、庭の築山の子松を引いて遊んでいます。これは長寿を祈るもので、やはりお正月にふさわしい遊びです。部屋の中には明石姫君の実母、明石の君からの届け物。そこには「年月をまつに引かれて経る(ふる)人に 今日鶯の初音聞かせよ」という歌が付けられています。光源氏が返事を書くよう進めると、素直に墨をする姫君の姿がまたかわいらしいのでした。

次に訪れたのは花散里の夏の御殿。こちらはとても静かな雰囲気です。花散里とはもう、何となく老夫婦のような枯れた雰囲気。心が通い合う様は長年連れ添った夫婦らしさがありますが、実のところもう、肉体的な交渉はなさそうです。「今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり」と原文にはありますが、紫式部には珍しく、男女の性について結構はっきりと述べています。

花散里は、女としてももう下り坂。衣装の色合いも地味
だし、化粧っ気もあんまりありません。髪の毛はすっかり少なくなって貧弱です。光源氏は「私でなかったら、もう愛想を尽かすかも」と思っています。そんなになっても光源氏を信頼している心がうれしいと考えています。

次にやってきたのは、同じ夏の町の西の対に住む玉鬘のところ。年末に送った山吹重ねの着物がよく似合い、美しい様子を見ると、光源氏は「このままではいられないかも知れない」と自分の心をのぞき込みます。すでに玉鬘への恋心が芽生えているのでしょう。かろうじて自分の心を抑制しながら、光源氏は親らしくふるまい、明石の姫君が琴を習うので、一緒に稽古しなさい、などといいおいて、冬の町の明石の君の元へ急ぐのでした。(次回に続く)

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Hakubai2jpg

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学29」  内大臣の頭痛の種とは?(2)

Koke

■超早口の新姫君

ある日、内大臣は里帰り中の弘徽殿女御のもとを訪れたついでに、近江の君の部屋を訪れました。部屋をのぞくと、近江の君は五節の君という若い女房と双六を打っている様子です。この双六はバックギャモンのようなゲームで、サイコロを振るという共通点はありますが、いまのような「ふりだし」から「あがり」まで駒を動かすものとはちょっと違います。

二人が双六に興じる声が、内大臣のいるところまで聞こえてきます。近江の君は両手をすりすりさせながら、「小賽(しょうさい)、小賽」とオマジナイを唱えています。それがとっても早口で、声も素っ頓狂。余りに耳障りで、内大臣は「ウゼェ」と思うのでした。相手をしている五節の君は近江の君の従姉妹ですが、こちらも興奮していて「お返しよ、お返しよ」と軽薄そうな様子。内大臣はますます嫌気がさしています。

それでも内大臣はこの不肖の娘に話しかけます。近江の君は父大臣のもとで暮らせることに多いに感謝している様子。内大臣は「せめてもう少しゆっくり話してくれれば私の寿命も延びるだろう」と苦笑しながら話しかけます。それに対し近江の君は「生まれつきなのでしょう、生まれたときに産屋に詰めていたお坊さんが早口だったのにあやかったそうです」などとまたまた早口で答えます。

ここで内大臣は弘徽殿女御への出仕をすすめます。一応名目は「行儀見習い」ということです。近江の君はとっても喜んで「すっごくうれしい。何とか、何とかみなさんに兄弟だと認めてほしいと祈ってるの」と答えます。彼女、いろいろと問題点はありますが、根は素直なお嬢さんなんですね。弘徽殿女御への出仕についても「水汲みをしてもお仕えします」などと殊勝なことを、また早口でいいます。「それではいつ出仕しましょう」とすっかりその気です。内大臣は「そう思うならきょうにでも」と言い置いて近江の君のもとを立ち去りました。

近江の君はさっそく弘徽殿女御に手紙を書こうとします。でも、ここまででもおわかりのように、彼女はひどい田舎育ちのため、基本的な教養が身についていないのです。早口もそのせいです。もちろん、歌や手紙の教養も不十分。弘徽殿女御に書いた手紙は「点がちにて」というものでした。おそらく、字画の点ばかりが目立つような書き方、という意味です。お習字もちゃんとできていないという感じでしょうか。

さらに詠み込んだ歌は、あちこちの歌枕が盛り込まれた、お世辞にも上手とは言えないもの。青い紙に漢字をたくさん使って、角張った書体で書いてあります。しかも気取って書いてあるのか払いが長く伸びていたり、ふらふらして見えたり、行が倒れそうに曲がっていたり、ずいぶんなできあがりですが、ご本人は満足げ。なでしこの花を付けて弘徽殿女御に送りました。もちろん、送った先ではいい笑いものです。

こういう風に書くと、まるで近江の君が失敗しているように見えます。もちろん、ものを知っている身からみれば、彼女のふるまいはおおいに失敗に近いでしょう。「私は無知で無教養」と触れ回っているようなものです。

だけど、ここで考えてみれば失敗したのが誰かよく分かりますね。彼女をここまで無知、無教養でほったらかしにしていたのは、内大臣です。それまで、近江の田舎とはいえ、平穏に暮らしていたのに、急に都へ引っ張り出され、しかも大臣家のお嬢様として暮らすようになったのです。一朝一夕に教養やたしなみが身につくわけがありません。もし、内大臣が近江の君の母親を少しでもケアする気持があれば、ここまで放っては置かれなかったでしょう。

また、側近のあり方も大きいかもしれません。玉鬘は筑紫などという田舎で育ちながらも、一応光源氏に認められるほどの教養とたしなみは身につけていました。これは乳母たちの教育の成果です。だけど、近江の君は誰一人そうした気遣いをしてくれる人がいなかったのでしょう。もし、内大臣が気の利いた乳母の一人でも付けていれば、彼女はもうちょっとましなお姫さまに育っていたかも知れません。そう考えると、やっぱり父親の責任は大きいと感じさせられます。

本日の教訓。外で遊んで遊びっぱなしだと、いずれ報いを受けますよ。責任はきちんとりましょう。ってことでしょうか。(この項終わり)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学29」  内大臣の頭痛の種とは?(1)

Miyakowasure

■娘を捜し出したはいいけれど

さて、光源氏が夕顔の娘・玉鬘に恋をして、中年の恋に悩んでいたころ、光源氏のライバルの内大臣(元頭中将)は、娘のことで悩んでいました。内大臣には宮中に上がっている弘徽殿女御と呼ばれる娘と、光源氏の息子・夕霧と恋仲になったのに、引き裂かれてしまった雲居雁という娘がいます。内大臣にとっては雲居雁の将来も気になるのですが、もう一人「もう、本当にどうしようか」と思うような娘がいました。

彼女のことを「近江の君」と呼びます。その名の通り、近江の国=いまの滋賀県で育ったお嬢さんです。彼女は内大臣が若いころ外で作った娘でした。光源氏同様、若いころは浮き名を流していた内大臣です。外腹の子の一人や二人はいてもおかしくありません。そんな娘がここへ来て登場したのは、玉鬘のせいです。

光源氏が、どこかで育っていた自分の娘を引き取ったと聞いて、うらやましく思い、内大臣は自分にもそんな娘がいないかと探したのでした。本当は玉鬘こそが自分の娘なのですが、内大臣はそんなこと、想像だにしません。で、息子たちなどを使い、方々探した結果、名乗りを上げたのが近江の田舎に住んでいた近江の君でした。この人が内大臣の頭痛の種でした。

何しろお育ちがお育ちなので、内大臣家の姫君として扱うにはどうにもお下品というわけです。だからといって、元の家に送り返すわけにもいきません。こんな娘、自分の娘ではない、と思いたいのですが、顔を見るとやっぱり自分に似ているような気がするし、それほどブスというわけでもありません。ほとほと困り抜いた内大臣は、この近江の君を弘徽殿女御の女房にしようか、と考えていました。(次回に続く)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学28」 元カノの娘がやってきた?(2)

■観音様に願いが通じた!

さて、夕顔が亡くなったとき、そばにいたのは右近という女房。彼女はいま、紫の上付きになっています。右近は玉鬘との再会を願い、定期的に奈良県桜井市にある長谷寺に参詣していました。秋風が心地よいその日も右近は長谷寺へ詣で、宿坊へ入りました。部屋には間に幕が引かれていますが、どうやら先客があるようです。

徒歩の疲れが出て、ものに寄りかかっていると隣から食事の給仕をしている声が聞こえます。どうやら身分のある人が来ている様子。ちらっと幕の間から除くと、そこにいる男の顔に見覚えがあります。別の女の顔も見たことがあります。

「!」

夕顔に使えていた人たちです。「もしかして姫君がここにいらっしゃるのかしら」。さっそく右近は名乗りを上げます。はじめは先方も誰か気づきませんでしたが、顔を見せてようやくわかった様子。玉鬘一行は石清水八幡宮や長谷寺の観音様に内大臣に会えるよう祈願していたのでした。一行は夕顔の消息や玉鬘のその後など、お互いの近況を話し合い、再会を喜んだり、涙を流したり、とてもドラマチックな場面です。

玉鬘の乳母は再会した右近に、内大臣に会えるよう計らってほしいと頼みます。右近は自分のいまの主人が光源氏の妻であることを話し、光源氏と夕顔の当時の事情を明かして光源氏の力を借りることを約束しました。それにしても姫君の美しいこと。母・夕顔はなよなよとかわいらしい人でしたが、この姫君はその血筋ゆえか優雅さを感じます。それに比べて、お付きの人が田舎くさいのは不思議でした。

六條院に戻り、右近はこっそりと光源氏に玉鬘を発見した話を伝えました。これを聞いた光源氏は玉鬘を六條院に迎えようと考えて、とりあえずは玉鬘に手紙を送り、衣類なども細かく気遣います。玉鬘は実父でもない人物からの贈り物にかえって気を遣っていましたが、右近は光源氏と夕顔の浅からぬ縁を伝え、まずは返事を書かせました。

実はこれは光源氏のテストです。手紙は書けるか、筆跡はどうか、姫君としての基礎教養はどうかといったところが試され、玉鬘はどうやら無事に合格した様子。かつて末摘花の手紙に幻滅した経験が、こうした行動を起こさせたのでした。

六條院では花散里の夏の邸に住まわせることにしました。それにさきがけ、紫の上に夕顔の話をします。夕顔のかわいらしさを聞くにつれ「それでも明石の君ほどではないでしょう」と、紫の上は明石の君にまた、嫉妬の炎を燃やすのでした。

今回は特に誰が失敗ということもありません。少しずつ歯車がずれた結果、夕顔は玉鬘の元に戻らず、玉鬘は筑紫へ向かうことになりました。でも、ここですべてが収束し、新たな物語が始まります。強いていえば、玉鬘が六條院に引き取られたことが玉鬘自身にとってよかったのかどうか、という問題がありますがそれはまた、追々お話ししましょう。まあ、和歌を詠もうとして読めなかった太夫監は、失敗というか道化役ですね。(この項終わり)

Chikurin2

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学28」 元カノの娘がやってきた?(1)

Yamabuki

今回も前回に続き、光源氏らの子ども世代の登場です。

■夕顔の露のゆかりのその後

光源氏35歳の秋。以前から造営していた六條院が完成しました。六條院は六条御息所の邸を取り入れて作られた大邸宅です。広大な敷地を春の町、夏の町、秋の町、冬の町に四等分し、春の町には紫の上、夏の町には花散里、もと六条御息所の邸の秋の町にはその娘の秋好中宮、冬の町には明石の君がそれぞれ入居しました。光源氏の栄華を体現した邸です。このあと源氏物語の舞台の中心は、この六條院に変わります。

さて、六條院へのお引っ越しのしばらく前。都から遠く離れた肥前で、ある事件が起こっていました。みなさま、光源氏が17歳の時、熱烈な恋をした上、突然世を去ってしまった夕顔という女性を覚えてらっしゃるでしょうか。光源氏はいまでも「彼女が生きていれば」と思うことがあったようです。

この夕顔には頭中将(現内大臣)との間に生まれた娘がいました。その名を玉鬘(たまかずら)と呼びましょう。しかし、夕顔の死後、消息不明になっていました。実は、夕顔の行方がわからなくなったため、乳母の夫が太宰府へ赴任するのに伴い、筑紫の国(いまの福岡県)に連れて行かれてしまったのです。それから10数年、乳母の夫は亡くなり「玉鬘を都へお連れするように」という遺言だけが生きています。乳母は玉鬘を大切に育てましたが、なかなか都へ戻れません。そうする間にも玉鬘は美しく、気高く成長していきます。血筋のせいか、母・夕顔より上品に見えます。

現在は肥前に住む美しい玉鬘の噂は自然に外へ漏れ、田舎の男たちが聞きつけてラブレターをよこします。でも、都へ帰って父の内大臣(頭中将)との再会を目標にしている乳母たちは誰も相手にせず、体に障害があるから結婚はさせず尼にすると言いふらして、男を寄せ付けないようにしていました。

そんな中、一人非常に熱心な求婚者がいました。この男は肥後の国に住む 大夫監(たゆうのげん)という武士。無骨ですが、女好きできれいな女性をたくさん集めて妻にしようと考えていました。彼が玉鬘の噂を聞きつけ、少々障害があってもかまわないから妻にしたいといってきたのです。いつも通り断る乳母。

しかし、 大夫監は乳母の息子たちを抱き込み、説得にかからせました。田舎なまり丸出しの手紙が来るだけならだけならまだよかったのですが、とうとう乳母の息子が 大夫監を邸まで連れてきてしまいました。

大夫監は背が高く太っていて、血色がよく見苦しくはありません。でも、どことなく荒々しくて、声もがらがらしているし、やっぱり都人の雅さはありません。がらがら声のまま、乳母に「自分と結婚すればお后様のような扱いをする」ともっともらしいことを述べます。体が不自由だといえば「目が見えなくても、足が折れていても自分が直そう」と大言壮語します。勝手に結婚の日取りを決めるので、乳母はそれを先延ばしにするのがやっとでした。

さらに 大夫監は和歌をひねり出して得意気です。乳母は娘たちに何とか返歌を読ませて切り抜けました。 大夫監はご機嫌でもう一首和歌を詠もうとしましたが、できなかったようで、そのまま帰ってしまいました。

さあ、このままでは 大夫監と結婚しなくてはいけません。乳母は 大夫監に抱き込まれなかった長男や娘たちと筑紫を逃げ出すことにしました。長女は家族が増えすぎて現地にとどまります。次女は夫を捨てることに。一家離散です。一行は早舟で都へ上りました。到着したのは川尻という淀川の河口。さらにそこから京へ入りました。(次回に続く)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学27」 親の考えに振り回される子どもたち(2)

Nadeshiko_2

写真はなでしこの花。雲居雁って、こんな感じの女の子だったかも。

■少年と少女の恋に「待った!」

で、この息子さん、夕霧君はおばあちゃんの大宮のもとで育ちましたが、一緒に育った従姉妹で内大臣(もと頭中将)の娘の雲居雁(くもいのかり)というお嬢さんといつの間にか恋人同士になっていました。幼さの残る年ごろですが、おませだったのでしょうか。父の内大臣はまだそれを知りません。

内大臣には冷泉帝に入内させた弘徽殿女御という娘がいました(あの弘徽殿大后とは別人です)。なんとか中宮にと考えていたのですが、結局光源氏が入内させた六条御息所の娘が中宮になり、内大臣はがっかりです.そこで次の手として、雲居雁を春宮に入内させようと考えつきました。

そこである日、内大臣は大宮の元を訪れました。雲居雁や大宮と楽器を演奏し、甥の夕霧とも対面してさらに管弦の遊びに興じます。ただ、このときには雲居雁は別の部屋に帰されてしまいました。夕霧には琴の音さえ聞かせないようにという配慮です。内大臣は雲居雁と夕霧の仲をまだ知らないので、恋人同士でもないのにそんなことをしてはいけないと二人を引き離したのでした。

さて、管弦のひとときも終わり、内大臣は帰る「ふり」をしました。実はこっそりこの邸の女房とねんごろになっていて、きょうはそこを訪れようという算段。首尾よく女房の部屋に行き、逢瀬を終えて出ていこうとします。

ここの表現がおもしろいのですが「 やをらかい細りて出でたまふ」すなわち、こそっと身を細めて出ていく、というのです。内大臣のように身分の高い人が、こそこそ身を潜めながら廊下を歩いていくようすが目に浮かんで、ちょっと笑いたくなります。

ところが!どこかの部屋から「夕霧」とか「雲居雁のお嬢さん」とか話している女房たちの声が聞こえてきます。内大臣も人の親ですから「なんの話だ?」と聞き耳を立ててしまいます。日本の家屋は木と紙でできた家。女房らの話は筒抜けです。どうやら春宮に入内させようと思っていた雲居雁が光源氏の息子の夕霧と恋人同士になってしまった様子。「これでは入内させられないじゃないかぁああ!」と内大臣の心の叫びが聞こえそうです。

さらに追い打ちをかけるように女房たちの声。「えらそうにしているけど、やっぱり親って甘いわよね。知らない間にとんでもないことになってんだから」「親は子どものことを知ってるっていうけど、そんなのウソよねぇ」などと、自分をバカにする声。内大臣はことの仔細を悟ってしまいました。こんな時、普通の人なら怒りで膝も震えそうですが、音も立てずにそっと出ていったのはさすがです。

そのあと、内大臣のお供の声が女房たちのところまで響いてきました。「聞かれちゃったかも!」彼女らはたぶん真っ青になったでしょうね。いまでいえば、会社の給湯室かトイレで上司の悪口を言っていたら、上司がそれを聞いていた、みたいなシチュエーションでしょうか。

内大臣は考えた末、娘を自邸に引き取ることに決めました。これで夕霧と雲居雁の仲は引き裂かれてしまいました。お互いに思い合う少年と少女の胸は張り裂けそう。二人を不憫に思った夕霧の乳母がこっそり対面させますが、二人とも涙に暮れるばかりでした。

さらに夕霧の失意に追い打ちをかけたのが雲居雁の乳母のことば。「いくらお生まれがよくても、最初の男性が六位風情ではねぇ」。意地悪なことばですね。柔らかい少年の心にはぐさりと突き刺さります。そうこうしている間にも内大臣がやってきます。夕霧は後ろ髪を引かれながら、雲居雁のもとから去らなければいけませんでした。

今回の主人公・夕霧君は、登場早々がっくりくることばかりです。社会人生活のはじめが六位だったり、恋人と引き裂かれたり。親はよかれと思っていることですが、本人はそのせいで泣いたりうちひしがれたり大変です。ということで、きょうは「子どもって親の考えに振り回されるよね」というお話。それから、うわさ話は相手に聞かれないようにしましょうね。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学27」 親の考えに振り回される子どもたち(1)

Kinonemichi

写真は鞍馬の木の根道。夕霧君の前途はこんな感じで多難そうです。

■意外に教育パパな光源氏

さて、葵の上が出産した光源氏の息子を覚えておいででしょうか。あれから、秘密の息子の冷泉帝はしばしば登場しましたが、こちらはちょっと影うすめ。前の左大臣邸で大切に育てられてはいるようですが、あまり話題になることもありませんでした。

その息子が、ここへ来てようやくデビューです。彼の名前を「夕霧」と呼びます。ことし12歳。元服をして大人の仲間入りをする年ごろです。で、光源氏は恋多き男から、いきなり教育パパへと変身を遂げます。意外な一面に、読者もビックリ。

元服をしたら位をもらいます。光源氏ほどの位の人の息子なら、普通は四位に叙せられます。でも、光源氏は「まだ若い子に、思い通りになるからってそんな高い位に付けちゃうのはありきたりだよなぁ」と考えて、六位に付けてしまいました。

六位というのは四位とはまったく違う身分です。当時、昇殿を許されるのは五位以上の貴族と呼ばれる人たちだけ。六位以下は「地下(ぢげ)」と呼び、昇殿も許されませんでした。つまり、光源氏は自分の息子の社会人生活をことさらに低い身分からスタートさせたのです。当時は位階によって着られる装束の色も決まっていました。つまり、色を見れば一目でその人の位がわかるのです。六位は浅葱。夕霧は元服を終えて、浅葱色の装束でしょんぼりしています。もしかしたら、お友だちは五位や四位かもしれないのに、自分一人だけが浅葱色です。祖母の大宮もこれには不憫でたまりません。この件で光源氏と話をします。

光源氏はどうやら息子を大学に行かせるつもりのようです。当時の大学というのは官吏を養成するところです。でも、どちらかというと中流以下の家の子弟が行くところと考えられていました。で、光源氏の長男が大学に行くなんて、異例中の異例です。

光源氏は「私は宮中で育って世間知らずでした。学問は帝から直接教えていただきましたが、およばないところだらけです。こんなつまらない親に子が勝るというのは難しいと思い、この話を決めました。それに、身分が高いからなんでも思いのままになると思っていたら、権勢が衰えたときに人から軽蔑されるかもしれません。やっぱり基礎は学問が必要ですよ」などと訳を話します。

光源氏がここまで考えたのは、やはり須磨の経験が身にしみているのかもしれません。世の趨勢は右大臣一派に移り、自分は須磨へ退いた日々。多くの人が背き、それまでおもねっていた人たちでさえ、手のひらを返したように冷たくなった経験が光源氏の心にしみているのでしょう。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学26」身から出た錆だらけの光源氏(2)

■秘密の恋を漏らした恨み

結局、朝顔の姫君は光源氏を拒み、光源氏は腹立たしくて二条院にも戻らない日が続きました。紫の上は思い乱れるばかりです。久しぶりに光源氏の顔を見るとほろほろと涙がこぼれてしまいました。光源氏は紫の上の髪をやさしくかきあげますが、出てくるのは言い訳ばかり。

「藤壺宮がなくなって、帝が寂しそうにしている上、太政大臣もなくなって仕事が忙しかったんだよ。朝顔の姫君のこと?とりとめもない手紙を出しているだけじゃないですか。寂しいときに手紙を出すと、時々お返事をくれるんだよ。そんなこと、いちいち君に話す必要もないし。心配しなくていいよ」

こんなことを言われて、紫の上が信じられるでしょうか。だけど、この会話に紫の上と光源氏の関係の変化が見られるのです。それまでは紫の上はあくまで藤壺の「代わり」でした。でも、藤壺が亡くなったことで、紫の上は事実上、光源氏の第一の人になったです。ある種宙ぶらりんだった紫の上は、きちんと収まるべきところに収まったともいえるでしょう。

さて、その夜、光源氏たちは庭に雪が降り積もったので女童たちに庭で雪玉を作らせます。雪は結構積もったようで、大きな雪玉は女童たちには転がしきれなくなっているとも書かれています。最近の京都ではそれほど雪が積もることもありませんが、昔はそういうことも多かったのでしょうか。

それを見ながら光源氏は紫の上にいままでに出会った女性の話を漏らしました。藤壺については「この世にあれほどの方がいるんだろうか、という感じだね。柔らかだけど、品がよくて。君はよく似ているけど、ちょっと気が強くてやきもち焼きなところが困るかな」などといいます。そのほか、朝顔の姫君や、朧月夜、明石の君、花散里などについてもそれぞれ話が出ました。

夜も更けて光源氏と紫の上は床につきました。紫の上が隣にいながら、光源氏の胸に浮かぶのは藤壺のこと。少しうとうとしたころでしょうか。夢に藤壺の姿が現れました。その様子はひどく恨めしげです。「二人のことは誰にもいわないといったはずなのに、浮き名が流れて私は恥ずかしく、苦しい目にあって辛い思いをしています」

これってまるで「恨めしや」の幽霊ですね。藤壺は光源氏が紫の上に過去の女性の話をしたことを恨んで出てきたのでした。うなされていたのか、紫の上に起こされた光源氏はわずかに見た藤壺の面影が忘れられず、悲しみでいっぱいです。しかし藤壺のために法会を行うと、世間が怪しむかもしれません。一人心に阿弥陀仏を思い浮かべて供養の祈りを捧げるのでした。

朝顔の斎院にふられ、紫の上の嫉妬を買い、藤壺に恨まれた今回のテーマは「身から出た錆」でしょうか。いずれも光源氏のいままでの行いが巻き起こしたことばかりです。そういえば、あの光源氏に言い寄った老婆・源典侍は70を過ぎたいまも健在で、しかも朝顔の姫君の叔母に仕えていました。朝顔の姫君邸で光源氏に再会した源典侍は、歯のない口で笑い、光源氏に甘えかかってきます。光源氏はぞっとしてそそくさと立ち去りました。これも若いときの戯れが招いたこと。身から出た錆のひとつですね。(この項終わり)


Gokurakuoujouin

写真は大原・三千院の庭
 
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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学26」身から出た錆だらけの光源氏(1)

■昔の恋心再燃に悩む紫の上

さて、光源氏32歳の秋から冬。もう、若く美しき貴公子ではありません。いまの感覚ならプラス10歳ぐらいの感じでしょうか。もう中年、オッサンといっていい年ごろになっています。そんな年になって、光源氏は昔の恋をどこからかひっぱっりだしてきて、身を焦がしているようです。

光源氏には朝顔の姫君と呼ばれる従姉妹がいました。この人は桃園式部卿宮の娘で、一時賀茂の斎院として仕えていたため、朝顔斎院とも呼ばれます。「朝顔」というのは、光源氏が昔、帚木の巻でこの人に朝顔の花と歌を送った話が出てきたためこの名が付けられています。ということは、ずいぶん古いつきあいの二人ですが、いまだに男女関係にはなっていません。葵の上の死後はこの人が正妻か?という噂もあったのですが、ずっとずっと朝顔の姫君が光源氏を拒んでいるのです。

といっても、頑なに拒否するのではなく、常に一定の距離を保っているという感じ。だから光源氏から手紙をもらえばそれなりに返事も出していました。男女の関係になったら、ほかの愛人たち同様苦しい思いをするのではないか、それよりも光源氏から常に求められる存在でありたい、美しい関係を保ちたいと彼女は考えたようです。特に六条御息所の事件がショッキングだったようで、それ以降は手紙の返事も出さなくなってしまいました。

そんな朝顔の姫君に、光源氏がまたモーションをかけ始めました。藤壺を失ってしまった心の隙間を埋めたいという衝動が光源氏を突き動かしたのでしょう。「朝顔」の巻で、光源氏は朝顔の姫君にしつこく言い寄ります。もちろん、朝顔の姫君の気持ちは以前と変わりません。光源氏のことをキライではないのです。だけど、やはり受け入れることはありませんでした。

このことは世間の噂にもなり、自然に紫の上の耳にも入ります。「長年寵愛されてきたのに、もし彼の気持ちが朝顔の姫君に移ってしまったらどうなるの?いままで誰に負けることもなくここまで来たのに、いまになってこんな…。もし、軽々しく扱われるようになったら…」紫の上は心乱れます。

しかも光源氏はこの恋を紫の上には隠しています。そのことが余計紫の上を物思いにふけらせます。軽いやきもちなら冗談めかして口にすることもできますが、事態を深刻に受け止めた紫の上は、むしろこの問題には触れないのでした。(次回へ続く)

Saiouzakura

写真は季節外れですが、以前にもご紹介した斎王桜。一応、朝顔姫君は賀茂の斎院だったということで…

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学25」 出生の秘密を知ってしまった!(2)

Shisinden

写真は京都御所・紫宸殿

■真の父を知った少年帝の悩み

藤壺宮の葬儀が済み、法事も終わって御所には平素の落ち着きが戻ってきました。人の死はこうして一段落付いたころになって、じわじわと寂しく感じるものです。藤壺の息子、冷泉帝も母の死を改めて実感しているころのこと。藤壺の生前から仕えてきた僧がいました。この人は70歳を過ぎていますが、冷泉帝も幼少時からなじみ、信頼も厚く、いつも御所に召されていました。

ある夜、この僧が「申し上げにくいことではございますが…」と改まって冷泉帝に切り出した話がありました。何ごとか、と尋ねると途中まで語りながら、なかなか続きをいおうとしません。「子どもの時からあなたを知っているのにこんな風に隔てを置くなんて恨めしく思うぞ」と冷泉帝がいうと「実は過去来世に渡る重大なお話です」と続けます。

僧が語ったのは冷泉帝が生まれる前のこと。藤壺は深く嘆く様子で僧に祈祷を依頼したのです。その後、光源氏が須磨に退去したときにも、冷泉帝が即位するときまで、続けた祈祷があったといいます。続きを聞いて冷泉帝は驚愕しました。

僧は、冷泉帝の出生の秘密を知っていたのです。いままで何年も胸の奥深くに締まっていましたが、藤壺が亡くなったいま、冷泉帝がこの事実を知らなければむしろ罪を作るのではないかと考え、あえて真実を告げたのでした。冷泉帝はしばらく、ことばも出ませんでした。この事実はこの僧と藤壺の女房だった王命婦しか知りませんが、僧は最近天変地異が起こり、身分の高い人の死が続いたことで、天の怒りを感じて冷泉帝にこれを告げたのでした。

さらにその翌日、光源氏の叔父の式部卿宮が亡くなり、いよいよ世は穏やかならぬ様子です。御所を訪れた光源氏に、冷泉帝は退位をほのめかします。もちろん、光源氏は思いとどまるよう説得します。その顔を見て「やはり自分とよく似ている」と冷泉帝は改めて感じるのでした。「この人が父か」と思えば、いつもとは気持も違い、慕わしく思います。その気持を少しでも伝えたいと思いながら、それは出来ないのでした。

その後も冷泉帝は思い悩むのでした。当然でしょう。冷泉帝は帝とはいえ、まだ十代前半の少年です。様々な書物でこのような事例を調べます。中国では皇統が乱れた例がたくさん見つかりましたが、日本では発見できません。いったん源氏になった人が再度親王になって即位する例は見つかりました。冷泉帝はいっそ光源氏に譲位しようかとも思います。ここで冷泉帝の悩みを改めて確認しておきましょう。冷泉帝は自分が母と光源氏との不義の子だと悩んでいるわけではないのです。父が自分の臣下にいることが問題だと考えているようです。ちょっと不思議な気がします。

そのあとの、冷泉帝が光源氏に譲位をほのめかす場面で、いつもと変わらぬ様子でそれを断る光源氏の様子を冷泉帝は残念に思っていると述べられています。冷泉帝は、光源氏と父子の名乗りを上げたかったのではないかと思われます。とまれ、光源氏はそれを拒み、二人の関係は表面上大きな変化はなく推移します。

僧が冷泉帝の出生の秘密を明かしてしまったのは、僧の失敗かもしれません。あるいは、僧に口止めしなかった藤壺の失敗かもしれません。でも、こうやって冷泉帝が本当の父を知ることは、光源氏が栄華を極めるために必要なことでした。そのお話はもう少し先のことになります。(この項終わり)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学25」 出生の秘密を知ってしまった!(1)

■永遠の恋人、藤壺との永別

光源氏32歳の春。前回、明石の君が大堰にやってきてから、少し時間が経ちました。あれから、光源氏の身の回りにはまた、変化がありました。大堰にいた明石の姫君はある雪の日、母と別れて二条院の紫の上のもとへ連れてこられました。

将来帝のお后にするためには、いくら光源氏の令嬢といえども、身分の低い明石の君のもとで育てるわけにはいきません。宮家の姫君である紫の上の養女になり、将来に備えることになったのです。明石の君と娘の雪の日の子別れはとても切なく、名場面のひとつですが、それはまた別の機会ということで。

若木が伸びゆくような明石の姫君に対して、人の死もいくつかありました。ひとつは、太政大臣の死。葵の上や頭中将の父で、光源氏には義理の父に当たります。長い間政治の枢要にあり、帝からも重用されていましたが、老いには勝てず、世を去ってしまいました。

そしてもう一つ、光源氏をこの上なく打ちのめしたのが、藤壺の崩御です。藤壺は春の初めごろから病気で伏せっており、三月には重篤な病状になっていました。折りしも彼女は37歳。当時の女性の厄年でした。冷泉帝も光源氏も気が気ではなく、見舞いに行ったり、祈祷をさせたりと右往左往しています。

藤壺は光源氏にとって永遠の恋人。胸の奥にはいまも彼女への思いが燃え続けています。出家してしまったため、その思いは抑えて来ましたが、せめてお見舞いだけでも彼女の元を訪れました。しかし、容態は思わしくなく、ずいぶん衰弱していると女房から聞かされます。几帳の奥からはかすかすに藤壺の声が聞こえます。「このようなご様子では私も長くは生きられないような気がします」などと光源氏が訴えている間に、藤壺は灯りが消えるようになくなってしまいました。

この、藤壺との永別のシーンは、紫式部から光源氏へのプレゼントではないかと私は考えています。初恋の、そして永遠の恋人の死に立ち会うことによって、光源氏の心の中にひとつのピリオドが打てたのではないでしょうか。もし、藤壺の死を人づてに聞くだけであったら、光源氏はいつまでもその死を実感できなかったと思います。

もちろん、光源氏の嘆きは一通りではありません。折から、桜の咲く季節。桜を見て「ことしばかりは」とつぶやく光源氏。これは古今集の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」という人の死を悼む、上野岑雄の歌の一部を口ずさんだものです。京阪電車をご利用の方なら「深草」と「墨染」が読み込まれているのに気づかれるでしょう。(次回へ続く)

Sumizomesakura

写真は季節はずれですが京都御所、雨に濡れそぼつ桜 墨染の桜をイメージして

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(2)

■言い訳に悩む光源氏
明石の君一行は、こうして大堰山荘へ移り住みました。明石の海辺に似た、風情豊かな住まいですが、明石の君は明石のくらしを思い出して切なくなるときもありました。こんな時、光源氏がそばにいてくれたらどんなに心強いでしょう。でも、光源氏は訪ねてくれません。都へ着いたらすぐ出迎えてくれてもよさそうなのに、なぜ彼は来てくれないのでしょう。光源氏の形見の琴をつま弾きながら、明石の君は物思いに沈むのでした。

光源氏だって、明石の君や娘に会いたくないわけではありません。何とか訪れようとするのですが、さすがに内大臣という重い身分。かつてのように軽々しく夜歩きはできないう上に大堰はちょっと距離があります。それに何より気になるのは紫の上のこと。紫の上は明石の君が上京したことをまだはっきりとは知らないのです。「ほかのルートから聞かされると、気まずくなるよなぁ」と思案する光源氏。何とかうまい口実はないものかと考えて紫の上に告げました。

「いま桂に造っている別荘なんだけどさ、ちょっと様子を見に行こうと思うんだ。それに『上京したら訪ねるよ』って約束した人もその近くに来ていて待ってるらしいんだよね。せっかく来ているのに、行かないのも何だしさ。そうそう、嵯峨野の御堂の仏様のところも立ち寄らなければいけないから、二、三日留守になりそうなんだ」

この、用事と用事の間にさりげなく本題をはさむところが、いかにも恐る恐るのご機嫌伺い、という雰囲気ですね。これを聞いた紫の上は「桂に別荘を造っているのは知ってたけど、それって女の人を住まわせるつもりだったんだわ」とピンと来ます。それが明石の君だと気づいたかどうかは書かれていませんが、おそらく感づいていたことでしょう。「斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に」と紫の上は返事を返します。

これは「仙人の碁を観ている間に時間が経って、きこりの斧の柄が朽ちていた」という故事に基づいた返事です。つまり「きっと帰るまでに時間がかかるんでしょうね」という紫の上の皮肉です。どうも彼女はご機嫌斜めです。光源氏はすっかり困ってしまいました。

「これは異なこと。世間じゃ私のことをもう昔みたいな女たらしじゃなくなったっていってるのに」と必死に弁解します。結局この日は紫の上のご機嫌を取り結ぶのに、時間がかかってすっかり日が高くなってしまった、とあります。

このやりとり、何気なく描かれていますが、光源氏って意外に恐妻家だったのかな、と思います。朧月夜をナンパしたときには「ぼくは何をしたって許されるんだから」とうそぶいていた光源氏ですが、紫の上相手にはそうはいかないようです。こんなところに意外な人間くさい一面が現れていて、源氏物語っておもしろいな、と思ったりします。

今回は失敗、とまではいきませんが、意外に恐妻家の光源氏の一面をお伝えしたいと思い、このエピソードを取り上げてみました。(この項終わり)

Seiryouji

写真は嵯峨釈迦堂(清涼寺)本堂

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

■明石の家族の別離
光源氏31歳の秋。光源氏はいま住んでいる二条院のほかに、二条東院を建てました。ここには花散里を引き取り、住まわせることにしています。光源氏はこの邸に明石の君も住まわせようと考え、上京を促す手紙を何度も送っていました。

でも明石の君はなかなか上京の決心が付きません。当時はいまなんて比べものにならないほどの格差社会。生まれ育ったところで人の上下が決まるような時代です。ましてや都の貴族と、受領階級の明石の君では大きな差があります。高貴な女性でも光源氏に冷たくされていると聞くのに、そんな身分の自分が都で暮らせるだろうかと逡巡しています。でも、自分の娘も明石生まれ。いま三歳です。このまま田舎に埋没させて、光源氏の子どもとして認められないのもかわいそう。明石の君とその両親には悩み多き日々が続きます。

そんなとき、明石の君の母の祖父が持っていた大堰(嵐山近辺)の別荘の存在を思い出しました。明石の君の母の祖父は、中務宮と呼ばれた親王です。実は高貴な血筋をひいていたことがここで語られます。いきなり都の真ん中に住むより、こうしたところでゆっくり慣れていく方がいいだろうという入道は気遣い、この山荘をリフォームさせることにしました。

同じ頃、光源氏は嵯峨野に御堂を造っていました。これは嵯峨釈迦堂と呼ばれる清涼寺がモデルといわれています。清涼寺には立派な仁王門がありますが、昨年暮れに酔っぱらい運転の車が突っ込む事故があり、無惨な姿になってしまいました。現状は未確認ですが、どうなっているのでしょうか。気になるところです。

閑話休題。

大堰の山荘はリフォームがすみ、光源氏は親しい側近たちに明石の家族を迎えに行かせました。いよいよ都へ発つ時です。娘を都の貴族と結婚させることは明石入道の長年の夢でした。いま、その夢が叶うのです。でも、明石入道は明石の地に一人残ることになっています。長年連れ添った妻や娘、そしてかわいい盛りの孫娘との別れはどれほど辛いことでしょう。

明石入道の妻や明石の君も、年老いた入道を一人残す心細さは同じです。それでも別れは容赦なくやってきます。光源氏が明石を去るときにはべそをかいたり、数珠をなくしたり、遣水に落ちて腰を打ったり、さんざん道化を演じてくれた明石入道ですが、今回は違います。僧らしい、毅然とした姿で妻と娘に別れのことばをかけます。

受領になった経緯や僧になった理由などを語る明石入道の態度には世を捨てた人の決意がにじみ出ています。彼は最後に「命尽きぬと聞こし召すとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに、御心動かしたまふな」と言い切ります。つまり、自分が死んでも葬式はするな。死に別れにも心を動かすな、というのです。もう二度と会うことのない家族の気持ちを考えると、胸が締め付けられるようです。(次回へ続く)

Togetukyou

写真は大堰川にかかる渡月橋

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学23」 思い人を奪われ続ける男(2)

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京都御所の八重桜 朧月夜ってこんな感じの人かも


■朱雀院の悲しみと落胆
ここで朱雀院という人の人生を振り返ってみたいと思います。彼は桐壺帝の一の皇子。母は弘徽殿大后です。母の身分も高く、本来であれば桐壺帝から特別目をかけてもらえるはずの立場ですが、幼少のころから父・桐壺帝の目は弟の光源氏に向けられていました。いわば父の愛情を奪われた形です。

そして結婚。光源氏の最初の妻になった葵の上は、本来朱雀院のお后になる予定で育てられた娘でした。でも、桐壺帝と葵の上の父・左大臣は葵の上を光源氏の妻にしたのです。ここでも朱雀院は自分のものになるはずだった人を奪われてしまったのでした。

そして極めつけは朧月夜の君。彼女は朱雀院のお后として入内することが決まっていましたが、桜の美しい春の夜、光源氏と偶然に出会って恋に落ちてしまいます。光源氏との恋が表沙汰になったあと、彼女の姉、弘徽殿大后や父の右大臣は女官として宮中に送り込みました。彼女は朱雀院の寵愛を受けますが、朱雀院はいわば「キズモノ」、光源氏の「お古」をつかまされてしまいました。

しかも、宮中に上がってからも光源氏と朧月夜の恋は続きます。ある時は朱雀院が物忌みで謹慎している最中の宮中で、ある時は病気で里邸に戻っているときに、二人はこっそり忍び会っていました。これを知った朱雀院の気持ちを思うと、気の毒になってきます。

こうした経緯があったあとの、前斎宮の入内です。光源氏は再び、朱雀院の思い人を奪いさり、今度は自分の息子に与えてしまったのです。皇位を退き、自由の身になった朱雀院は、今度こそ愛しい人と穏やかに過ごしたいと考えていたに違いありません。しかし、目の前でその思いは断ち切られたのです。どれほど落胆したことでしょう。

でも、朱雀院は大人でした。前斎宮の入内当日、朱雀院は装束や櫛、香壺などすばらしいプレゼントを贈ります。添えられた手紙を見てさすがの光源氏も胸を痛めるのでした。

思い人を奪われ続けた朱雀院の物語はいったんここで終わりを告げるかのように見えます。しかし、朱雀院はその後、光源氏の人生に思いもよらぬ波紋を投げかけることになります。自分の愛娘、女三の宮を光源氏の妻として降嫁させたのです。もはや晩年に近づいた男に、親子ほども年の離れた愛娘を嫁がせた朱雀院の真意は何だったのでしょうか。

源氏物語を英訳したロイヤル・タイラー氏はこれを「思い人をことごとく弟に奪われた兄の復讐」だと位置づけています。たしかに、女三の宮の降嫁後、女三の宮の密通や不義の子の誕生、紫の上の死など光源氏の運命が大きく狂うことを考えると、それは復讐だったのかもしれません。

となると、光源氏は図らずも朱雀院の人生に復讐の種をまき続けてきたことになります。それは光源氏が意図したことではありませんが、後の人生に大きな影響を与える失敗だったのかもしれません。そのお話はもう少し先のことになります。(この項終わり)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学23」 思い人を奪われ続ける男(1)

Gosho_kaede
京都御所、新緑の楓


■六条御息所の娘の結婚
さて、光源氏31歳の春。彼はある結婚のために東奔西走していました。といっても自分の結婚ではありません。藤壺中宮の子、冷泉帝、つまり、光源氏の秘密の息子の結婚です。お相手はあの、六条御息所のお嬢さん、前斎宮です。六条御息所はかつて、皇太子妃でしたから、このお嬢さんは皇族の血をひく高貴な生まれの超お嬢様です。

この人は六条御息所が生き霊になってしまった「葵」の巻で、伊勢神宮の斎宮になって、母と一緒に伊勢へ下っていました。そのとき、彼女は14歳。それから6年の月日が過ぎ、朱雀帝の譲位に伴って、都に戻ってきたのでした。20歳の美しい盛りです。明石から戻った光源氏は六条御息所と距離を置いていましたが、彼女が重病にかかったと知り、見舞いに訪れました。

死の床にあった六条御息所は光源氏に娘の将来を託します。でも、光源氏の女癖を熟知している六条御息所は、「あなたの愛人のひとりのような扱いはしないでください」と釘を刺すのを忘れませんでした。

その後、六条御息所は息を引き取り、光源氏は前斎宮の親代わりを務めます。「さて、彼女の将来をどうしたものか…」実は、光源氏は斎宮時代から彼女にひとかたならぬ関心があったのです。六条御息所亡き後はいつでも言い寄ることだってできます。でも、六条御息所の遺言が光源氏を押しとどめています。だって、変なことをしたら、六条御息所に祟られそうですものね。

そこで考えたのが、彼女を冷泉帝のお后にすることでした。身分も高く、美貌の誉れ高い前斎宮であれば、お后にしても何ら問題はありません。即位したばかりの冷泉帝はまだ11歳。前斎宮は20歳と年齢差はありましたが「いまは同い年のお后がいるだけなので、年上のしっかりした人を」とか何とか理由を付けてしまいました。

ただ、ひとつ問題がありました。退位した朱雀帝(=朱雀院)が前斎宮に関心を寄せているのです。光源氏はこの件を冷泉帝の母である藤壺に相談しました。藤壺は「六条御息所の遺言にかこつけて、知らないふりをして入内させてしまいなさい」と言い切ります。光源氏の若い恋に翻弄されていた藤壺中宮ですが、意外に策士だったんだな、なんて思わせるシーンです。こうして、前斎宮は冷泉帝のお后になることが決まり、朱雀院は思い人を奪われてしまったのでした。(次回へ続く)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学22」 光源氏に従った男と裏切った男(2)

■あのとき、なぜついていかなかったのだろう
さて、今回注目したいのはこの空蝉ではなく、弟の右衛門佐の方。彼は空蝉への連絡係として光源氏に雇われ、ずいぶんかわいがられました。二人の接触を描いた部分からは何となくBoys Loveっぽい雰囲気も感じられるほどです。とまれ、光源氏に取り立てられたことで、彼はかなり出世することができたのです。

ところが、光源氏が須磨に退去したとき、右衛門佐は光源氏に従うより、右大臣・弘徽殿一派の目を恐れて姉と一緒に常陸に下ってしまいました。当時の情勢から見れば、妥当な立ち回り方です。でも、その一方で空蝉の継子、右近将監は光源氏が須磨に下ったとき、職を解かれ、光源氏と行動を共にしていました。いま、その人は光源氏に格別に引き立てられています。

その様子を見るにつけ「何であのとき、光源氏様についていかなかったのだろう。私は何と薄情なのだろう。なぜ、一時の損得で世間に追従したのだろう」右衛門佐の心は後悔と恥ずかしさでいっぱいです。「失敗したな」という気持もあったかもしれません。

その点は常陸介の息子で当時紀伊守だった人も同じです。この人はいま河内守になっています。光源氏に従って須磨に行った右近将監はこの人の弟です。彼は弟の愚直なまでの行動をもしかしたら馬鹿にしていたかもしれません。しかし弟はその誠実な行動が認められ、光源氏から重用されています。河内守もまた、一時の損得で世間におもねるような行動をとった自分を責めていました。

空蝉と光源氏が再会するのは「関屋」の巻です。この巻のメインのお話は空蝉と光源氏の後日談ですが、それよりも紫式部が語りたかったのは誠実な男と、裏切る男の2つのタイプだったのではないかと思います。というのも、この巻は先の「蓬生」の巻の次にあるわけで、読者は末摘花の一途な思いの美しさを読んだあと、光源氏に従った男と、そうでなかった男の姿を見るわけです。

いわば「誠実さ」をリフレインさせているわけで、読者はここで「裏切らない心」の重要性を再認識させられます。それはこの後の空蝉にもいえます。彼女は表向き光源氏を拒み続けましたが、心の中ではずっと彼を思っていました。この再会を機に、彼女は光源氏にぽろりと本音の見える歌を返しています。光源氏はその気持ちをくみ取り、うれしく思ったことでしょう。その後も折に触れ、空蝉に手紙を送っていました。

その思いは空蝉の夫の死後に光源氏の行動となって表れます。夫の死後、自分より年上の継子に言い寄られた空蝉はそれを嫌って出家してしまいました。光源氏はその後、寄る辺のない彼女を二条東院に引き取り、面倒を見ています。男女の関係ではなくなりましたが、やはり相手を思い続けた人間には、手をさしのべるのが光源氏です。

紫式部は蓬生、関屋の2巻で続けて誠実な人々、不誠実な人々を対比させて描いています。ここから彼女のいいたいことは自ずと浮かび上がってくるでしょう。裏切りは後悔を招く—女房として働いていた紫式部は、当時の現実をこのような形で物語に昇華させたのかもしれません。(この項終わり)
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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学22」 光源氏に従った男と裏切った男(1)

■かつての不倫相手と偶然の再会
みなさまは光源氏17歳の夏に出会った空蝉をご記憶でしょうか。夫の単身赴任中、方違えに訪れた光源氏と無理矢理関係を結ばされた中流の女性です。その後は光源氏に心ひかれながらも彼を拒否し続け、それによってかえって光源氏の心に強い印象を残しました。

その後、夫とともに伊予に行った彼女は、今度は常陸介になった夫の転勤に伴って常陸の国に下向しました。いまの茨城県あたりです。ここは親王が国のトップになる国です。親王は現地には赴任しないので、次官の常陸介は事実上現地のトップです。空蝉の夫は順当に出世街道を歩んでいたといえるでしょう。もしかしたら光源氏の力添えがあったのかもしれませんが…。彼らは光源氏が明石から戻った翌年の秋、京に戻ってくることになりました。

一方、都の政界に返り咲いた光源氏、いろいろと忙しい日が続いていますが、今度は石山寺に参詣に行くことになりました。石山寺といえば、紫式部が源氏物語の着想を得たという伝説のあるお寺。長谷寺や清水寺と並ぶ観音霊場として知られ、多くの人が参拝に訪れました。「枕草子」や「蜻蛉日記」などにも登場する、当時の人気スポットです。

常陸介一行が滋賀県の逢坂の関を通過する日、まさに光源氏は石山寺に向かっており、途中二組が出会います。さすがにこのような偶然はできすぎていて、お話だなという感じですが、時は9月30日。紅葉が美しい晩秋の風情豊かな舞台装置。そこで訳ありな男女の再会です。さて、不倫再燃か?というとそういうわけではありません。

常陸介一行は車を止め、あちこちの木下などに車を止め、光源氏の通過をかしこまって見送ろうとしています。車に隠されて姿は見えませんが、その中には空蝉もいることでしょう。地方長官とはいえ、部族も多く華やかでその権勢の一端がかいま見えます。通り過ぎる光源氏もその一行が誰かは承知しています。

光源氏もさすがに感じるものがあったのか、一行の中にいた右衛門佐を呼び寄せました。この右衛門佐はかつて小君と呼ばれた空蝉の弟。当時は12、3歳の少年でしたが、あれから12年、いまは立派な青年に成長しています。「きょう、こうやってお出迎えに来た私のことをお姉さんは無視したりしないだろうね」などと伝言を伝えます。それを聞いた空蝉も当時のことを思い出し、胸がいっぱいになるのでした。(次回に続く)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学21」ごめん、すっかり忘れてた!(2)

■待ち続けた姫君の真心
一方の光源氏。久々に紫の上に再会し、心を奪われています。疎遠だった人のことはほとんど思い出さない始末。たまに思い出しても「まだ生きてるのかな?」程度にしか考えていませんでした。四月になって、たまたま花散里を思い出し、訪ねようとしたときのことでした。藤の花の香る荒れ果てた邸のそばを通りました。「あれ?どこかで見たことあるかも」と気づいた光源氏、ここが常陸宮邸であることを思い出しました。

光源氏はお供の惟光にまだ人が住んでいるか邸を探らせました。狐や狸が住んでいるような荒れ果てた敷地ですが、まだ人は住んでいました。ようやく末摘花を思い出した光源氏、このように荒れ果てた邸で過ごしていた末摘花の気持ちを思うと自分の冷たさが思い知られます。

末摘花にすれば待ちに待った光源氏との再会です。心ははやりますが、みすぼらしい自分の姿がとても気になります。あの、憎たらしい叔母が贈り物代わりに置いていった新しい衣装があるのを思い出し、急いで着替えました。幸い、香木でできた箱に入れていたせいかいい香りがなじんでいます。邸は荒れ果てても、貧乏でも、末摘花のところには由緒正しい香木や香料がたくさんありました。落ちぶれても宮家の姫君だけのことはあります。

光源氏にはこのように荒れ果てた邸で待ち続けた末摘花の真心が身にしみました。都へ戻って再会した人々のなかには手のひらを返したように光源氏におもねる者もいますが、末摘花は昔と変わらず遠慮がちで控えめです。男女の愛を感じるというのではありませんが、その心には誠実に応えようと思ったようでした。須磨の荒波にもまれた光源氏、少しは人の心がわかるようになったのでしょうか。

その後、光源氏は末摘花の邸を手入れさせ、常陸宮邸にはようやく人並みのくらしが戻ってきました。去っていった女房たちは、ほかの邸の厳しさを知り、末摘花のやさしさ、穏やかさを思い知りました。光源氏に思い出してもらえるまでひたすら待ち続けた末摘花。見た目は不美人でも、心根の美しさは人に勝っていました。光源氏もそれを目の当たりにし「忘れててごめん!」と思ったに違いありません。末摘花のことを忘れていたのは光源氏の失敗でしたが、そこから彼女の真心が見えてきたというお話でした。

ところで、紫式部顕彰会が発行している「京都源氏物語地図」によれば、末摘花の邸は現在の京都御所の南東角に想定されていたとされています。いまはテニスコートになっているあたりです。花散里邸や紀伊守の邸などもこの近くに想定されていたそう。少し北には紫式部邸跡である盧山寺もあり、源氏物語ゆかりの地のひとつとして訪れたいところです。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学21」ごめん、すっかり忘れてた!(1)

■忘れられた女の孤独
明石から戻った光源氏は、中央政界に返り咲き、多忙に過ごしています。仕事に精を出しているかと思えば、亡き父・桐壺院の法会を執り行ったり、明石で生まれた娘に乳母を派遣したり、かつての愛人たちを訪れたり、華やかな毎日です。

光源氏といえば、一度関係を結んだ女たちのことは忘れない、とよくいわれていますが、実のところそうでもなかったりします。みなさま「末摘花」というお姫さまを覚えておいででしょうか。そう、あの常陸宮の姫君。源氏物語一番のブス、赤鼻のお姫さまです。

宮家の血をひく彼女、生まれは高貴ですが、父宮が亡くなって後は非常に貧しい没落貴族として暮らしていました。そこへ白馬の王子様のごとく訪れたのが光源氏。末摘花のくらしを援助し、窮状を救いました。ところが光源氏の須磨退去で援助はとぎれ、彼女のくらしは再び貧窮します。

周囲の女房たちも一人辞め、二人去り、離散していきました。年老いた女房たちの中には亡くなった人も。女房たちは末摘花に「邸を売って引っ越しを」とすすめますが「父君の形見の邸を売るなんてとんでもない」と頑なに聞き入れません。道具類も由緒正しい立派なものがそろっていますが、同じ理由で手放さないため、ほこりをかぶったまま。

邸は荒れ果て、フクロウが鳴き、狐が住み着き、お化けでも出そうな気配。時には牧童が牛を放し飼いにする始末。おまけに台風で廊下の一部が壊れたり、下仕えの人が住む小屋がつぶれたり、炊事すらままならない有様で、泥棒も寄りつきません。

そんなところへ聞こえてきたのは光源氏帰京の噂。長年待ち続けた人が戻ってきたのです。しかもあちこちの女性のところへも尋ね歩いている様子。末摘花は光源氏の訪れをいまかいまかと待ち続けました。でも、まったく思い出してもらえる様子もありません。悲しみは光源氏の帰京前よりいやまさります。末摘花は人知れず涙に暮れるのでした。

そんなときやってきたのが母の妹で受領の妻に没落している叔母。彼女は末摘花を自分の娘の女房にしようと考えていたのです。末摘花は頑なに断り、光源氏を待ち続けます。そうこうするうちにこの叔母の夫が太宰の大弐になり、叔母も一緒に赴任することになりました。末摘花を再び誘いに来た叔母は「光源氏様は紫の上しか興味はないよ。昔から通っていた人からもすっかり心は離れてしまったんだって。こんなあばら屋に住んでる人なんか、尋ねてくることはないでしょうね」などと意地悪なことばを投げかけます。さすがの末摘花を涙をこらえられません。

さらに悲しいことに、長年一緒に育った乳母子の侍従という女性が太宰大弐の甥と恋仲になり一緒に太宰府に下ってしまうことになりました。唯一心許した乳母子すらそばから去り、末摘花の孤独はいやまさります。毎日泣き暮らす日々が続きました。でも、赤鼻のお姫さまが泣くわけで、一層鼻はまっ赤っか。紫式部は「まるで赤い木の実を顔にくっつけているみたい」と意地悪な書き方をしています。(次回に続く)

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学20」愛人に子ができた!(2)

■紫の上の孤独と悩み
そうなるとまず越えなければいけないのが、紫の上というハードルでしょう。現地にとどめておくならともかく、都へ住まわせるなら、いずれ彼女の耳に入らないとも限りません。光源氏は自分の口から紫の上に、明石の君が出産したことを伝えることにしました。「子どもが産まれてほしいところには生まれず、そうでないところに生まれてしまうなんて残念だ。しかも女の子なのでつまらない。まあ、放っておくこともできないので、京へ呼び寄せてあなたに見せようと思います。憎まないでくださいね」

こんなことを言われた紫の上の心情は察するにあまりあります。「つまらない」なんて光源氏はいってますが、うれしくて仕方ないはずです。しかも「憎まないでくださいね」なんて、まるで彼女が明石の君やその子を憎むのが前提みたいないい方です。ひどいと思いませんか?光源氏って空気読めないひどい奴、という感じがします。さらに光源氏は、明石の君の容貌や、琴の名手だったことなどについて紫の上に語り続けます。

こんなことを聞かされる彼女の気持ちはいかばかりでしょう。自分は都で一人寂しい思いをしていたのに、一時の慰みとはいえほかの女性と関係を結んでしまったなんて。しかも、自分には子どもが産まれないのに、彼女には子どもが産まれたのです。紫の上は「われは、われ」と一人つぶやき、光源氏に背を向けてしまいました。彼女をこんな気持にさせるなんて、光源氏は大失敗をしたような気がしませんか?現代人の感覚からしたら、光源氏はとてつもなく女心を解さないひどい男、と思えます。

だけど、この明石の君出産の告白は後々のためにも必要な事件でした。明石の君は田舎には珍しい、都の貴族並みの美貌と才気に恵まれたすばらしい女性です。だからこそ光源氏も心ひかれたわけですが、悲しいかな、その出自だけは努力によって変えることはできません。彼女の父、明石入道は受領階級の出身。外腹とはいえ皇族の血をひく紫の上とは厳然たる身分の違いがあります。明石の君の娘が将来お后になるのであれば、明石の君のもとで育ってはいけないのです。

明石の君の生んだ姫君はその後、紫の上に引き取られ養女として育てられます。これによって彼女は受領階級から、貴族へと階級移行し、お后候補として育てられることになります。光源氏が紫の上に投げかけたことばはたしかに彼女の気持ちを無視したものかもしれませんが、娘の将来を慮ってのことでもありました。従って、これは失敗とはいえないというのが、私の考えです。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学20」愛人に子ができた!(1)

■あなたは愛人の存在を妻に伝えるか?
最初から刺激的な見出しですみません。みなさまにちょっと質問です。

あなたはお金持ちで、何人でも愛人を持てる立場だとします。妻に子どもはいませんが、離婚する気はないし、彼女はいまでも最愛の人です。なのに単身赴任先で愛人ができて、その愛人が出産しました。いずれはこの事実が誰かの口から妻の耳に入るかもしれません。あなたは自分でその愛人や隠し子の存在を妻に告げますか?あるいは、あなたがその妻だとします。人から愛人の存在を知らされるのと、夫から知らされるのではどちらがいいでしょう?

まあ、こんな質問をしたら、女性はまず「本人からでも人からでも、どっちも許せない!」と思うでしょう。自分を一番愛しているはずなのに、ほかに女を作るなんて。しかも子どもまでできたのです。夫の単身赴任中、妻だって寂しい思いをしていたはずですから。「あなたはその人にだまされているのよ!子どもを産んだ立場を利用して、その人は妻の地位を奪う気じゃないの?」といいたくなるかもしれません。

一方男性はどうでしょう。奥さんが怖いから、そんなこと絶対いえないと思っている人もいるでしょう。あるいは、俺のやることに反対なんてさせない、という自信満々の人もいるかもしれません。いろいろな男性に聞いた結果、秀逸だった答えは「奥さんに子どもは引き取ってもらう。で『ごめん、お前に似てたんでつい…』って謝る」というもの。「お前に似てた」なんていわれたら、女性もちょっと怒りにくくなります。ご参考までに。

それはさておき、光源氏です。明石入道の娘、明石の君に出会った光源氏は田舎には意外な美女の登場に、心を奪われます。最初はぎくしゃくしていた二人でしたが、いつの間にかなじみ、毎夜通うほどむつまじい仲になっていました。しかも彼女は妊娠したようです。ところが、そんなところへ帝の勅許がおり、光源氏は明石に未練を残しながら都に戻ることに。

京での光源氏は政治の表舞台に返り咲き、忙しい日々を過ごしています。しかし、明石のことは忘れようもありません。3月になると、16日に女の子が生まれたという知らせが入りました。実はかつて光源氏は占い師から「子どもは3人、帝と后が並んで生まれます。その中の一番劣った運命の子は太政大臣になって位人臣を極めるでしょう」といわれていました。ということは、この女の子は将来お后になる運命です。光源氏はいずれ母子ともども都へ呼び寄せようと考えました。(次回に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学19 弘徽殿大后の失意(2)

■とうとう失脚させられなかった
念願叶って光源氏を須磨へ追いやった弘徽殿大后。いよいよわが天下と喜んだことでしょう。しかし、事はそうそううまくは運びません。朱雀帝は夢の中で桐壺院と対面し、光源氏への処置を叱責されます。そのとき、桐壺院と目を合わせたせいで眼病を病んでしまいました。弘徽殿大后はこの報告を受けますが、一笑に付してしまいます。

当時は物の怪に悩んだり、夢を気にしたりすることも多かった時代ですが、悪い夢を気にせず、一笑に付すあたりが、弘徽殿大后の合理的でドライな性格が表れているように思います。さらに、父太政大臣(もと右大臣)が亡くなり、弘徽殿大后自身も病気になってしまいます。普通なら、この辺で相当参ってくるはずですが、それでも弘徽殿大后は光源氏召還には絶対反対です。やっぱり、この人の気の強さは半端ではありません。

しかし、ここでいままで弘徽殿大后の言いなりだった朱雀帝が初めて、自らの意志を貫きます。弘徽殿大后の反対を抑え、明石の光源氏に赦免の宣旨を下しました。光源氏が政界に返り咲き、弘徽殿一派はもう忘れ去られたような雰囲気です。弘徽殿大后は重病の床にありながら「ついにこの人をえ消たずなりなむこと」と悔しがっています。「え消たずなりなむこと」とは「失脚させられなかった」「政界から葬り去ることはできなかった」と行ったようなニュアンスでしょうか。このひと言に、弘徽殿大后の悔しさ、無念さがにじみ出ているようです。

さらに追い打ちをかけるように、息子の朱雀帝が、光源氏と藤壺中宮の子、冷泉帝に皇位を譲ってしまいました。冷泉帝は元服したばかり。あまりにも急な譲位に、弘徽殿大后はあわてふためきますが、朱雀帝は「ふがいなく思われるかもしれませんが、私はゆっくりと親孝行したいのです」と慰めるのでした。

せっかく手に入れた権力は手の内から滑り落ち、何でもいうことを聞いた息子すら自分に背き、弘徽殿大后の失意はどれほどだったでしょうか。その失望を思うと、気の毒になるほどです。

実は私、弘徽殿大后がそれほど嫌いではありません。リアリストで、合理的で、ちょっぴり感情的な、とてもわかりやすい人。でも、時々漢文の知識を披露するなど、インテリジェンスもある人です。敵役ですらしっかり人物造形がなされている源氏物語って、やっぱりすごいと改めて思ったりもするのです。とまれ、光源氏の失脚に失敗した弘徽殿大后、この先も自分の行為を後悔することはあれ、やっぱり口やかましい存在として、読者を楽しませてくれます。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学19 弘徽殿大后の失意(1)

■弘徽殿大后という人
源氏物語最強の女性といえば、様々な意見もあろうかとは思いますが、弘徽殿大后は確実にその一翼を担う人です。

この人は右大臣の娘で、桐壺帝の女御でした。桐壺帝が皇太子のころから入内し、第一皇子を生みます。この子が後の朱雀帝になりますが、桐壺帝の寵愛が桐壺更衣に集中し、光源氏が生まれたことで桐壺更衣母子を憎みます。数々の桐壺更衣いじめの首謀者もこの人ではないかと推測されます。

その憎悪は桐壺更衣が亡くなっても消えず、悲嘆に暮れる桐壺帝を尻目に管弦の遊びを催すなど、その気の強さが尋常ではないことがうかがえます。その後も、光源氏の美しさをそしったり、中宮になった藤壺に対する憎しみ描かれるなど、感情を抑えて表現される女性が多い中、この人物の怒りや妬みは際だっています。

中でもすさまじかったのは、光源氏と朧月夜の密会が露顕した場面です。二人の密会を目撃した右大臣は深い考えもなく弘徽殿大后にこの事態を知らせに行きますが、その怒りのすさまじさに「何で知らせてしまったのだろう」と後悔するほどだったと書かれています。右大臣はこの人の父なのにそう感じるのですから、それはそれはすごかったのでしょう。

でも、これは弘徽殿大后にとって渡りに船だったのかもしれません。当時、光源氏や藤壺中宮の庇護者だった桐壺院はすでに崩御し、時は右大臣一派の天下。そこへ降って湧いたような光源氏の失態。朱雀帝は柔和な人で、弘徽殿大后の言いなりです。彼女は光源氏を謀反人に仕立て上げ、とうとう須磨退去に追い込んだのですから。もう、邪魔者はいません。彼女はきっと、朱雀帝の後ろで権力をほしいままにしていたことでしょう。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学18 明石入道は失敗したのか?(2)

(前回からの続き)

■結婚したのはいいけれど

さて、光源氏を明石に迎えた入道、こうなったら作戦開始です。まずは男同士でうち解けて話し合い、その次は娘の琵琶が上手なことを自慢します。そういわれれば「一度聞かせてよ」というのが、礼儀でしょう。そうでなければ光源氏ではありません。でも、光源氏と明石入道の娘(=明石の君と呼びます)は、ずいぶん身分違い。光源氏も最初は自分の家に娘をよこすよう、話を持って行こうとしています。

でも、これでは召人扱いです。召人というのは、お手つきの使用人のこと。決して対等な扱いではありません。入道は、何とか、妻の一人として扱ってもらおうとあの手この手を使い、ようやく光源氏を自宅に迎えることに成功、明石の君は光源氏と結ばれることになりました。

これだけなら、明石入道の作戦は大成功ですが、光源氏は都に愛する紫の上を残したままです。都を出てくるときには「心はあなたのそばにあるよ」と誓い合ったのに、一人にしておけばこの始末。さすがに本人も気がとがめたのか、明石の君のところに通う足も間遠になりがちです。明石の君は、こんなかりそめの関係なら、出会わない方がよかったと悔やみます。

それでも、男女の仲は少しずつ慣れ親しむもの。時間とともに、光源氏の訪問も少しずつ増えてきました。その上、明石の君のお腹には光源氏の子が宿ったようです。これで自分の立場も安泰、と思ったかどうかはわかりませんが、少し気持ちも落ち着いた矢先、光源氏に帝の勅許が出て、都に戻ることになったのです。当然明石の君は置き去りです。女からすれば「私はもてあそばれただけ?」という気がするでしょう。

頑固で変わり者の父が、もし光源氏などと結婚させようと思わなければ、明石の君はこんな物思いなどしなくてすんだはずです。光源氏を送り出した明石の君の嘆きはどれほどだったでしょうか。いや、彼女だけではなく、周囲の嘆きも相当でした。入道の妻は「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたのかしら。あなたに従った私が馬鹿でした」とため息をつき、乳母と一緒に入道を非難します。入道は部屋の隅でいじけてしまいました。さらに数珠の置き場所がわからなくなったり、庭の遣り水に落ちて岩角で腰をしたたか打ったり、もう、さんざんです。きっと彼も心の中では「この結婚、失敗だったかも」と後悔していたのかも知れません。

さて、ここまでのお話だけなら、明石入道はぜいたくな高望みをして、娘を結婚させたのはいいけど、結局明石に置き去りにされて大失敗したということになりますが、お話はそう一筋縄ではいきません。きょうのところは「明石入道は失敗したのか?」という疑問だけを投げかけて、物語はこの先に続きます。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学18 明石入道は失敗したのか?(1)

前回、朧月夜との密会が露顕して、大変なことになりそうな光源氏でしたが、あれからどうしているのでしょうか?

■明石に住む変わり者

と、光源氏のことを書こうと思いましたが、ちょっとここで初登場の人物をご紹介しましょう。表題にもある「明石入道」。入道とあるから、お坊さんです。この人は大臣家の出身で、かつては近衛中将にまでなりましたが、その位を捨て、播磨の国の国司になった人。国司というのは受領で、いまの知事みたいなものですね。中央の貴族に比べるとずいぶん階級、身分が劣ります。ですから、大臣家の子息が受領になるなど、当時は考えられないこと。それをあえてしてしまったこの人は、かなり変わり者だということがわかります。いまは出家して明石に住み着いています。

この人には一人娘がおり、それはそれは大切に、まるで都の貴族のように育てていました。まあ、自身が大臣家の出身ですから、貴族のあるべき姿はよくわかっていたのでしょう。娘は美しく育ち、地元の国司などから結婚の申し込みを受けたりしていますが、入道は一切承知しません。娘は高貴な人と結婚させようと理想を持っている様子。娘には「もし自分が死んで、希望しない結婚でもすることになったら海に入って死んでしまえ」といっているぐらいです。やっぱり、変人ですね。

それから、この人の血筋にもちょっと触れておきましょう。大臣家の出身といいましたが、この人の叔父は按察大納言(=光源氏の母・桐壺更衣の父)。ということは、桐壺更衣とはいとこ同士に当たります。光源氏とはまったく縁がないわけでもありません。

一方、光源氏。密会が露顕してから、帝への謀反の疑いをかけられ、官位は剥奪されて、さらに流罪にされそうな雰囲気になって、思い切って須磨に退くことになりました。明石入道が暮らす明石とは目と鼻の先です。明石入道は娘を光源氏に縁づけようと考え、須磨へ迎えをよこします。ちょうど暴風雨で落雷に遭い、家が焼けたりして弱っていた光源氏たちは、この誘いに乗り、明石に移り住みました。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学17 大変!情事がばれちゃった(2)

(前回からの続き)

■密事はやがて露顕する

ドラマや小説では、こうした密事はたいてい露顕するものです。源氏物語だって例外ではありません。朧月夜が「瘧病(わらわやみ)」という病気になり、右大臣の邸に退出していたときのことです。体調も回復したころ「滅多にないチャンス」と、光源氏と自分の部屋で毎夜デートを重ねていました。一つ屋根の下には右大臣も、弘徽殿大后もいるようなところなのに、あきれるほど大胆です。光源氏はこんなシチュエーションがきっと燃えるんだと思います。周りの女房たちはやっかいなことを避けたいがために、告げ口したりはしません。

ある日、明け方ごろに激しい雷雨に見舞われました。みんなおびえて家中騒ぐので、光源氏は帰るに帰れません。夜がすっかり明け、雨が小降りになったころ、右大臣がお見舞いにやってきました。雨の音で足跡などが聞こえなかったのか、その訪れは唐突です。大変早口で「大丈夫ですか?心配していたんですよ」などというので、光源氏はつい笑ってしまいます。

朧月夜はあわててベッドルームから出てきたのですが、彼女の着物の裾に男物の帯がまつわりついているではありませんか!あたりにはなにやらラブレターめいた紙なども散らばっています。右大臣は大あわて。「それは誰のだ」と息巻いています。「これほどの立場の人なら、我が子ながら恥ずかしいだろうと考え、それなりに遠慮するものだ」と紫式部は書いていますが、右大臣はそんなことはお構いなし。自ら几帳の奥をのぞき込むと、そこにはしどけなく寝乱れた男の姿。

これを見てあわてた右大臣、めまいがするような気分で、弘徽殿大后に告げ口に行きました。朧月夜は茫然自失、光源氏も困惑しています。そして話を聞かされた弘徽殿大后の怒りのすさまじさ。それは当然でしょう。自分の息子が軽んじられたことにもなるのですから。その激しさは、右大臣に「何で話してしまったんだろう」と後悔させるほどでした。弘徽殿大后は怒りながらも、これを機会に光源氏を排斥しようと、なにやらたくらみ始めた様子です。

もう、これは光源氏の失敗中の失敗のひとつでしょう。密会は秘密にできてこそ密会です。やり方がありますよね。密会のルールを守れなかった光源氏はいよいよ政治生命まで危うくなってきました。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学17 大変!情事がばれちゃった(1)

■逢瀬を続ける王朝のロミオとジュリエット

ずいぶん前の話になりますが、花の宴の折、弘徽殿の細殿で光源氏と出会って恋に落ちたお嬢さんを覚えてらっしゃるでしょうか。彼女の名前は朧月夜。朧月夜の歌を歌っていたたのでこう呼ばれます。光源氏の政敵、右大臣の娘にして、母をいじめ抜いた弘徽殿大后の妹。しかも弘徽殿女御の息子の皇太子のお妃になることが決まっていたのに、光源氏がキズモノにしちゃったので、それもかなわなくなってしまったという、まるでロミオとジュリエットのような、因縁浅からぬお相手です。

右大臣が催す藤の宴で再会した二人は、その後どうなったのでしょうか。彼女は皇太子妃になるのをあきらめ「御匣殿(みくしげどの)」という女官になりました。いわゆるキャリアウーマンですね。この立場にあると、天皇のお手つきになる可能性もあります。でも朧月夜の心はまだ光源氏に向いています。ことの顛末を知った右大臣は、光源氏の正妻の葵の上が亡くなったのを機に、光源氏と朧月夜を結婚させようと考えたりしています。

ところがこれに憤慨しているのが弘徽殿大后。彼女は光源氏を「いと憎し=すごく憎たらしい」と思っているので、大反対。宮仕えをさせながら、天皇の妃にしようと画策しています。このときにはすでに桐壺帝は退位し、弘徽殿大后の息子の朱雀帝が即位しています。その後、桐壺帝が亡くなり、前任者の退職に伴い、朧月夜は尚侍(ないしのかみ)に就任しました。 

尚侍は「内侍司」という後宮の部署の長官です。更衣に準じた役割も持っていました。つまり、天皇の寝所に侍って、妃同様の役割を果たすということです。朱雀帝とは叔母と甥の関係ですが、当時はそういうこともよくあったようです。朱雀帝には格別の寵愛を受ける華やかな身の上ですが、心の中ではいまも光源氏を思い続けているようです。

一方の光源氏も、障壁のある恋ほど燃え上がる性質。二人は密かに手紙をやりとりして、情熱の炎を燃やしています。時には帝が法会のために謹慎しているときに、後宮の一室でデートをしたり、かなり危ない橋を渡っています。まあ、朧月夜はそんな危険を冒してでも会いたくなる、魅力的な女性のようですが。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(2)

(前回からの続き)

◆それをいっちゃあお終いよ

だけど、王朝貴族だって恋の失敗ぐらいあります。今度は目を転じて、光源氏の息子、夕霧の場合。この人は光源氏と亡き葵の上との間に産まれた長男。申し分のない身分に生まれた人ですが、意外と教育パパな光源氏の方針で、低い位から宮仕えし、様々な学者について勉強もした人です。幼なじみのお嬢さんと結婚し、光源氏とは似ても似つかぬまじめな息子に育ったのですが、中年になって死んだ親友の未亡人に恋をします。

でも、未亡人(落ち葉の宮といいます)は、死んだ夫の親友に口説かれるのが情けなくて夕霧を拒み、部屋の中に引きこもってしまいます。そんな彼女に夕霧がかけたことばは「まんざら世間を知らないわけでもあるまいし」。これって「処女じゃあるまいし」といったような意味。

こんなことばをいわれたら、なびこうかと思ってた女性だって頑なになります。現代女性なら、「セクハラよ!」とほっぺたの一つでもひっぱたかれそうないい方です。しかも、追い打ちをかけるように、部屋に閉じこもった未亡人に「その気になったら、出てらっしゃい」とまでいいます。これは女性が自分から「身を許す」というようなもの。女心を考えないことばの連発で夕霧はすっかり評価を落としてしまいました。

結局、夕霧は粘り勝ちでこの未亡人を落としますが、その口説き方は父・光源氏に比べてどうもスマートではありません。というか、はっきり言って、嫌われるようなことばかり言っています。このことばの「どこがいけないの?」と思ったあなたは要注意。女心をもう一度研究しなおしましょう。というわけで、王朝貴族の恋愛術、もしかしたらほかにも参考になる部分があるかも知れません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(1)

今回は源氏物語に見る、恋愛術の一例を取り上げたいと思います。まずは恋の成功者、光源氏の事例から。

◆ことばの魔術師、光源氏

光源氏がなぜ、たくさんの女性をものにすることができたのか、その要因はいくつもあります。まず、絶世の美男子であること。そして高貴な生まれと育ち。財力、父や嫁の実家のバックアップ、地位、名誉、才能・・・数え上げればきりがありません。でも、こんな華麗な経歴は、まあ普通に生まれ育った私たちには縁のない話です。

しかし、光源氏とて、生まれや育ちだけに依存して恋の勝者になったわけではありません。彼は恋の才能も豊かでした。その中でも特に目立つのが「マメ」ということ。いい女と聞けば、必ず口説く。口説かなくちゃ失礼に当たるとばかり、口説く。人間違いをしても口説く。

たとえば、空蝉の寝所に忍び込んだとき、空蝉と間違えてしまった軒端の荻に対しても「あなたを以前からお慕いしていました」なんて、しゃあしゃあと口説いています。あるいは、末摘花のような不美人でも、源典侍のような老婆でも、とりあえず口説いてみます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。

しかも光源氏の場合、鉄砲はほぼ百発百中。その秘訣はどこにあったのでしょうか。そのヒントは乳母の病気見舞いの場面に見られます。「私は子どものころに母も祖母も失って、あなたを親のように思ってきました」とか何とか、相手がほろりと来るような優しい言葉をかけています。

人間、お世辞とわかっていても、心をくすぐるような言葉をかけられればうれしいものです。しかも、それが本心から出ているように思えればなおさらのこと。光源氏は恋人だけではなく、お年寄りでも、誰にでも優しい言葉をかける人でした。それはまるでことばの魔術師。相手の立場に立ち、相手が何を言われれば喜ぶかを心得ているということです。これが光源氏を恋の勝者にした要因の一つでしょう。

あるいは、光源氏の障碍をものともしない大胆さも、女心を揺り動かす要因の一つかも知れません。たとえば、父帝の妃、藤壺との恋。数少ないチャンスを見つけ、人目を忍んで訪れる光源氏の姿に、藤壺は表向き拒みながらも、やはりその心にほだされていたのではないかと思います。

朧月夜の君との逢瀬もしかり。彼女は光源氏の政敵、右大臣の娘で、亡き母のライバル・弘徽殿女御の妹です。そんな人と、しかも彼女の家で逢瀬を繰り返していたのですから、やはり大胆としかいいようがありません。「もし見つかれば身の破滅」かも知れない逢瀬。それでも会いに来てくれる男性に、朧月夜の君は熱い思いを抱かずにいられなかったでしょう。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学15 王朝貴族のプライバシーと情報戦略 

今回は源氏物語の情報戦略について。戦略って、ちょっと大げさですが、この時代でも情報のコントロールは必要だったというお話。前後の話のつながり上、1回で掲載したので、少し長くなりますが、最後までおつきあいよろしくお願いします。

◆情報を操作する女房ネットワーク

「雨夜の品定め」で有名な「帚木」の巻には、「人の品、高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、かくるることも多く、自然にその気配、こよなかるべし。」という一節があります。(女性が)高い身分に生まれた場合、周囲にかしずかれて欠点も隠され、自然にいい女に見える」といったような意味です。

上流の女性はたくさんの優れた女房たちに囲まれています。平安時代、この女房たちのネットワークは強力な情報網でした。女房ネットワークにはあらゆる情報が流れます。たとえば、どこそこの中納言様は今度大納言様に昇格されるそうだとか、どこぞの若君があのお姫様にご執心だとか、あの奥様に二人目の赤ちゃんが生まれるとか、様々な情報が駆けめぐります。

そんな状態じゃ、主家のプライバシーなどないに等しいように思われますが、女房たちにとって主家の利益は自分たちの利益。できる限り、主家にプラスになるような情報を流すでしょう。ですから主家のお姫様について誰かに聞かれても、欠点は隠し、長所を挙げるというのが女房たちの情報のコントロール方法でした。

たとえば、源氏物語一の不美人・末摘花のことも、光源氏に伝えられるときは容姿や性格についてはまったく触れられず「琴を友に寂しく暮らしている」というロマンチックなお話だけが伝えられています。まあ、末摘花の場合、没落貴族なので上流とは言い切れない部分もありますが、貴族の女性たちの素顔は女房たちのネットワークによって情報操作されていたことがうかがえます。

女房たちの善し悪しは情報操作の質をも左右します。後年、光源氏の若い妻となる女三宮は柏木という若い男性と密通していましたが、彼の手紙を隠しそこなって光源氏に見つけられてしまいます。この事件をきっかけに、柏木は病死し、女三宮は不義の子を出産後出家するという悲劇に見舞われます。

女三宮の女房たちは子どもっぽく、軽いタイプの女性がそろっていたと書かれています。彼女たちは女主人の不義を上手に隠すすべを心得ていなかったのでしょう。もし、主人の情報をきちんと守れる大人の女房なら、こんな悲劇は起こらなかったかもしれません。

◆私たちは自分でコントロールする

さて、翻って現代はどうでしょう。たとえば政治家を例に取ってみます。国会議員なら、情報戦略にも相応の予算をかけられるでしょうから、ウェブサイトでもそれなりに完成度の高いものを発信することができます。実際、有名な政治家のサイトを見ても、それなりのプロが作ってるんだな、ということがよくわかります。もちろん、発信する情報についても十分精査されているはず。無用の情報や本人に不利な情報を発信することはありません。これは上流の女性が欠点を隠されるのと同じようなものです。

ところが、地方議会の議員などになると、自分でウェブサイトを作っているのか、素人に任せているのか、ずいぶんずさんなものが見つかったりします。先日、まったく別件で検索をしていたところ、とある県議会議員のサイトのディレクトリにある資料にアクセスできてしまいました。そこには何と、その県の職員全員の名簿が。局や課、係と行った細かい所属まで明記されていて、誰が何を担当しているかはっきりわかります。そういったものを簡単に見られるところに置いておくのはいかがなものでしょう。

さらにこの人、自分のプロフィールに現在の役職や家族のことまでずらずらと書きたてています。なんたら研究会の会長だの、ナントカ業協会の顧問だの、消防団の団員だの、名誉職がうれしいんだか何だか、いっぱい羅列してあります。なかには何某中学校PTA会長といったものも。家族は妻と子どもが何人か。名前も誕生日も丸わかり。PTA会長をしているということから、息子が通っている中学校の名前までわかります。ここまで細かい情報を出す必要はありませんというより、出してはいけません。

たとえば、子どもたちの誕生日。自分の誕生日をキャッシュカードの暗証番号に使うのはいまや非常識ですが、子どもの誕生日を暗証番号にしている人はまだいるのではないでしょうか。この県議の妻がそうしていないとは限りません。あるいは、子どもの学校も名前も誕生日もわかっている場合、誘拐のターゲットにされる可能性もあります。

この県議は情報のコントロールということをあまり理解していないのかも。国会議員のように予算をかけられないからとか、アドバイスしてくれるブレーンがいないからといった言い訳はあるでしょう。でも、どの情報を公開し、どの情報を非公開にするか、といったことは自分でも選択できるはずです。

源氏物語から現代にいきなり飛んでしまいましたが、いずれも情報をいかに発信するか、いかにコントロールするかが大切、ということです。これは一般人のブログなどにもいえることです。発信する内容を十分精査しなければ、炎上したり、プライバシーがだだ漏れになったり、いろいろな問題が発生します。みなさまなら十分理解されていると思いますが、どんな情報を発信すれば、自分にとってメリットがあるのか、これは書いても大丈夫か、女房のいない私たちは自分で考えなければいけない、というお話でした。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に加筆訂正の上、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(2)

(昨日からの続き)
◆父の未亡人をひたすら口説く 

もうひとり、しばらく出てこないのが藤壺。桐壺帝が退位して普通の夫婦のように一緒に暮らしていましたが、その桐壺院が亡くなってしまいました。院に居続ける理由のなくなった藤壺は三条の里邸で暮らすことになりました。光源氏にすればもう、ふたりの逢瀬を妨げるものがなくなったということです。このチャンスを逃す光源氏ではありません。

ある日、どのように仕組んだのか、光源氏はまんまと藤壺の部屋に忍び込んでしまいました。切々と口説く光源氏。ここで光源氏を受け入れれば、自分の産んだ子どもの立場が危うくなると、光源氏を拒み続ける藤壺。そのうちに、藤壺はたまらなくなって胸さえ痛み始めてきました。周囲の女房はうろたえて、光源氏を塗籠(ぬりごめ 周囲を壁手固めた部屋、寝室や物置に使われる)に隠し、藤壺を介抱します。

ここで注意したいのが「御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし」という一文。光源氏の衣を隠している人も大変困った、ということです。言いかえれば、光源氏はほぼ裸だったということ。つまり、男女のことがあったことが読み取れます。藤壺は心は拒み通しても、からだは受け入れてしまったということですね。受け入れる性である女性の悲しさを感じさせられます。

源氏物語の時代、物事をあからさまにするのは見苦しいこととされていました。それゆえ、紫式部も男女のことはそれほどあからさまに書いたりしていません。でも、行間を読めば、なんとなく読み取ることができます。そんなことばかり考えているのもどうかと思いますが、たまにそういう読み方をすると、源氏物語がもっとおもしろくなるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(1)

源氏物語には非常にたくさんの人物が登場します。共感できる人物やそうでない人、あるいは好きな人、嫌いな人、様々ですが、なじみになった登場人物がしばらく出てこないと「あの人、どうしちゃったのかな?」と思ったりします。というわけで、今回はちょっとだけ大人の源氏物語。

◆秋の一夜 野宮の逢瀬

ここしばらく登場しないのが、六条御息所。あの生霊騒動以来、彼女の姿を見ませんが、どうしているんでしょうか。実は彼女の娘の姫宮が伊勢神宮の斎宮に選ばれたので潔斎のため、一緒に嵯峨野の野宮にこもっていました。いまでも嵯峨野には野々宮神社がありますが、これはその名残。本来斎宮が変わるごとに新築されていたので、現在とは違う場所にあったと考えられますが、黒木の鳥居が当時の姿を今に伝えています。

六条御息所はもともと教養高く優雅なマダム。風流に、趣向を凝らして住んでいて、嵯峨野の邸は都の貴族が集まるサロンとなっていました。しかし、そこに光源氏の姿はありません。生霊騒動以来、光源氏は六条御息所と距離を置いていました。六条御息所だって、光源氏の気持ちはよくわかっています。一切の未練を断ち切って、娘とともに伊勢に下ってしまおうと心を決めていました。光源氏もそれは理解していますが、そのまま別れてしまうには惜しい女性でした。光源氏は意を決して六条御息所の元を訪れました。

時は9月7日。秋の盛りの嵯峨野の夜は風情豊かです。都からはるばる訪ねてきた光源氏を、六条御息所はもう会う立場ではないと、娘の潔斎にかこつけ対面を拒みました。でも、それにくじける光源氏ではありません。静止する女房を振り切り、強引に上がり込んでしまいました。

ずっと思い続けてきた人、恋しい人、愛しい人。もう会えないと思っていた光源氏の姿を久しぶりに見た六条御息所の気持ちはどうでしょう。恋したことのある人ならきっとわかると思います。しかも光源氏は「伊勢行きは思いとどまってください」と六条御息所を口説きます。このことばが光源氏の本心かどうかは別として、ゆらゆら揺れる六条御息所の心。

場面はいつの間にか夜から夜明けに変わっています。まさか、かつてあれだけ情熱をぶつけ合った二人がただ語り明かしただけ、というわけはないでしょう。娘の潔斎のために野宮にこもっている六条御息所ですが、ここは光源氏と一夜をともにしたということだと、私は解釈しています。だいたい、源氏物語では男女の間にそういうことがあったかなかったか、うすらぼんやりとしか書かれていないことが多々あります。はっきりしてほしいと思うこともありますが、そこは大人の勘と経験と行間から判断するしかありませんね。

それにしても光源氏は罪作りです。二度と会えないと思っていた人と、一夜をともにした喜びは大きいかもしれません。でも、そういうことがあったから、後ろ髪を引かれます。心が残ります。なまじ会わない方が心が乱れなくてよかったのかもしれません。六条御息所はこのあと伊勢に向かいますが、その道すがらも、伊勢に着いてからも光源氏への思いを断ち切れずに過ごすことになるでしょう。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(2)

(昨日からの続き)
◆臣下の子が皇位に付く?

こういうことを頭に入れて、源氏物語の皇位継承について見てみましょう。光源氏が生まれたとき、帝は桐壺帝でした。桐壺帝は光源氏を皇太子にしたいと考えたこともあったとは思いますが、光源氏の母・桐壺は更衣と身分が低く、その父は按察使大納言(あぜちのだいなごん)で、しかも桐壺が入内したころにはすでに亡くなっていました。いくら寵愛していても、実家の後ろ盾もなく、身分の低い母から生まれた子を皇太子にするわけにはいきません。もしそんなことをすれば、他のお后たちやその親族から、どんな指弾を受けるかわかりません。桐壺帝は無難に、右大臣の娘である弘徽殿女御が産んだ息子を皇太子にしました。この人が後の朱雀帝です。

一方、桐壺帝の前に別の帝がいました。この人は「先帝」と呼ばれ、桐壺帝の中宮で光源氏の最愛の人・藤壺やその兄・兵部卿宮の父です。また、六条御息所の亡くなった夫は先の皇太子でした。おそらく先の皇太子と桐壺帝は兄弟だったと考えられます。本来桐壺帝の後に天皇になるはずだった皇太子が亡くなり、弘徽殿女御の子が皇太子になったのではないでしょうか。

こうして弟から息子に皇位の継承権が移ったにせよ、ここまでの皇位継承に乱れはありません。しかし、源氏物語はこの後、とんでもない人物に皇位を継がせます。それは藤壺と光源氏の間にできた男子、冷泉帝。この人は、臣下の光源氏の息子です。物語とはいえ、臣下の子が皇位に付くことは許されるのでしょうか。源氏物語を読んでいると「本当にいいのか?」と疑問に思います。

でも、光源氏は桐壺帝の子。その息子の冷泉帝は桐壺帝の孫です。桐壺帝の男系男子であり、しかもそれを産んだのは先帝の四ノ宮の藤壺。実は皇統に乱れがあるわけではないのです。冷泉亭はきちんと桐壺帝のDNAを受け継いでいます。読者は違和感なくこれを受け入れることができるでしょう。物語とはいえ、皇統に乱れがないからこそ、源氏物語は長年受け入れられて来たのではないかと思います。

皇位の継承問題は源氏物語でも時に影を落とします。今後はこういったこともちょっとだけ頭に置いておくと、また、違った読み方ができるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に掲載した原稿に加筆し、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(1)

先日、秋篠宮悠仁親王殿下が1歳の誕生日を迎えられました。昨年のお誕生の際には41年ぶりの皇族男子ということで、改めて皇位継承問題が話題になったりしました。これに便乗して、今回は、源氏物語における皇位継承問題について、ちょっと見てみたいと思います。

◆平安時代の皇位継承

現在の皇室典範によると「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあります。皇位は天皇の直系男子に承継されるものであり、退位と養子が禁止されています。また、皇位の継承順位は皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫となっています。…と、このあたりはもう最近の皇室典範改正議論などでもさんざん目にしているでしょうから、省略しておきましょう。

さて、光源氏の時代の皇位継承についてです。平安時代の皇位は父から子、子から孫と必ずしも順当に継承されるものではありませんでした。親子で継承することもありましたが、時には兄弟で継承することもありました。たとえば、現実を見てみると、第62代の村上天皇は第61代朱雀天皇の弟です。このあたりを見てみると、直系で3代続いたかと思うと、また、何代か前の天皇の弟に皇位が移ったりして結構複雑に入り組んでいます。

また、帝の子として生まれたら、誰でも皇位に付けるわけではありません。「後宮」というものがあった時代です。後宮には中宮もいれば女御、更衣と様々な身分の人がひしめいていました。生まれた子どもらの立場は母親たちの身分とその実家の家柄や権勢がものをいいました。母親が大臣家の娘で女御であれば皇位継承者になる可能性はありますが(無能な大臣だったらなれないことも)、更衣であれば皇位につくのはほぼ無理といえるでしょう。戦のない平安時代ですが、宮中では皇位継承権をめぐる戦いが繰り広げられていました。

もし、自分の娘の産んだ子が皇太子になり、皇位に付けば、娘の父は天皇の外戚として権力をふるうことができるからです。外戚となって栄華を極めた人といえば「この世をば我が世ぞと思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と歌を詠んだ藤原道長です。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(2)

(昨日からの続き)
◆正式な手続きを踏まない婚姻の不安

光源氏はやっと思いを遂げた喜びでいっぱいです。二人が結婚したことを周囲に知らせるため、結婚のあとに食べる餅を整えたり、紫の上の裳着の儀(女子の成人式)を行い、兵部卿宮の娘だということも披露しました。一応結婚したという形を整えたわけです。

でも、当時の正式な結婚は同じ身分、階級の男女が手紙のやりとりに始まり、様々な手続きを踏んで一緒になるもので、家と家の結びつきが重視されていました。男は妻の実家を足がかりに出世しようと考えたり、妻の親も将来性豊かな婿を取って一家の繁栄をねらったりしたのです。

従って、本人同士の合意だけで成り立つ自由恋愛は野合と見なされ、軽んじられていました。正式な手段を踏まず、なし崩し的に事実婚に踏み切られた紫の上の場合は、双方の合意はありませんでしたが、プロセスを考えれば典型的な野合だったといえます。

もし、彼女が父・兵部卿宮の姫君としてその邸に住んでいたら、こんな目には遭わなかったかもしれません。実家の後ろ盾のない、野合的な結婚なんてしなくてすんだはずです。いくら光源氏のことを嫌っても、彼女にはほかに行くところがありません。世間的に認められた正妻の立場を得たわけではないのに、光源氏の愛情と財力以外、頼るものがないのです。

光源氏が本当に紫の上を愛しているのであれば、兵部卿宮との間できちんとした手順を踏んで紫の上を正妻にすべきでした。これは光源氏一生の不覚、大失敗でしょう。形が整っていれば、紫の上の立場は安泰だったはずです。一見愛されているようで、実はとても不安定なこの立場は、後々紫の上を悩ませることになります。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(1)

さて、前回妻を亡くして傷心の光源氏はその後どうしているのでしょうか。

◆手折られた花の不機嫌

光源氏22歳の秋ももう終わり近く。葵の上の喪に服していた光源氏は3カ月の服喪期間が明け、久しぶりに二条の邸に戻ってきました。ここには紫の上がいます。まだ正式な妻ではないので妻をあらわす「上」という語はつけられないのですが、ここでは便宜上そう呼びます。紫の上はいま14歳。育ち盛りの彼女は3カ月ほど顔を見なかった間に、美しさ、女らしさを増しています。その成長ぶりに光源氏は満足げ。

これほど美しく成長した少女を、ただ眺めて過ごすだけで満足する光源氏ではありません。そろそろ男女の関係になってもいいかも…と考え、紫の上にもそれとなくほのめかしますが、奥手なのか興味も示してくれません。でも、夜は光源氏と同じ床で寝ています。ですから、周囲の人にはいつそういうことがあったかわからないわけです。

ある朝光源氏一人が早く起きてきて、紫の上は布団をひきかぶったまま起きてこないことがありました。布団をめくっても起きようとはせず、不機嫌に押し黙っています。察しのいいみなさまなら、何があったかご理解いただけると思います。妻を亡くしたばかりなのに、なんてやつ、という感じですが、それが光源氏です。長い間紫の上の成長を待ち続け、ようやく思いを遂げた光源氏は実に上機嫌です。それは理解できます。でも、紫の上のこの不機嫌は何?

おそらく、この初体験が合意の上ではなかったということ。それまでも周囲から光源氏のことを夫といわれ、彼を父のように、あるいは兄のように思っていた紫の上。これが夫婦のあり方と、彼女なりに考えていたのかもしれません。それが思いもかけぬ乱暴狼藉。レイプまがいの振る舞いに、14歳の潔癖な少女は大きなショックを受けたことでしょう。その後も光源氏への嫌悪を露わにしながら、彼を拒んでいます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(3)

◆葵の上、退場

季節は八月、もう秋です。出産を終え、弱々しく横たわっている葵の上に、光源氏はいままでにない愛しさを感じています。葵の上も夫の愛を実感し、二人はようやくうち解けた夫婦になりつつありました。

八月は秋のビッグイベント「秋の司召」が行われる時期。いわば当時の大人事異動です。光源氏も左大臣もみんな御所に出かけていきました。ところが、そんなとき、葵の上が急に苦しみはじめ、光源氏たちに知らせる間もなく息を引き取ってしまったのです。ようやく夫と心が通い始めたのに、子どもも産まれてこれからというときに、彼女はあえなく物語から退場してしまいました。

大切な娘が亡くなった左大臣家はもう大騒ぎ。物の怪が取りついていたことを考え、遺体は2〜3日そのままにしておきましたが、どんどん様子が変わっていきます。遺体が朽ちていく様子を見守る家族の姿は凄絶です。8月20日過ぎ、ようやく葬送が行われました。

葵の上の死は、六条御息所が光源氏にさんざん振り回された結果、起こるべくして起こった事件だと言えるでしょう。事件の前、桐壺帝は光源氏に六条御息所の扱いについて忠告しています。「人のため、恥ぢがましき事なく、いづれをも、なだらかにもてなして、女の恨みな負ひそ」つまり、どの女も傷つけぬようにして、恨みを負うなといったところです。ずいぶんさばけた父の教えですが、役には立ちませんでした。今回の教訓は、この桐壺帝のひと言に凝縮されているのではないでしょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(2)

(昨日からの続き)
◆知らぬ間に魂が抜け出して・・・

あの祭の日から六条御息所は時々、嫌な夢を見るようになりました。出てくるのは葵の上と思われるきれいな女性。六条御息所は、横たわっている彼女の髪を持って引きずったり、激しく叩いたり、日ごろはあり得ない乱暴狼藉をはたらいています。「もしかしたら自分が知らない間に魂が抜け出しているのかも・・・」。おののく六条御息所。世間も葵の上が六条御息所の生き霊に悩まされているとうわさしています。「うわさは本当かもしれない」。人知れず悩む日が続きます。

一方、こちらは葵の上。出産までまだ日があると思われていたのに、急に産気づいて苦しみはじめました。大臣家のことですから、万全を期して加持祈祷にも力が入ります。そのとき、光源氏に向かって「お話ししたいことが」と葵の上。陣痛に苦しむ妻の手を取り、光源氏が慰めようとしたときです。

「調伏が苦しいので、少しゆるめてください。物思う人の魂がからだを離れてしまうって本当だったのね」そう語る女性の様子や声はまるで六条御息所。目の前で妻が愛人に変身してしまいました。そのときの光源氏の心情を、原文では「あな、心憂」と簡潔に表現しています。今風にいえば「うわぁ、気持わる〜」といった感じでしょうか。自分の奥さんの顔が、愛人の顔に変わったりしたら、それは気持ち悪いでしょうね。これを読んで「ぞっ」としたあなた、もしかして不倫中ですか?それなら、どうぞ気をつけてくださいね。

さて、苦しみながらも葵の上は無事男の子を出産しました。後に「夕霧」と呼ばれるようになるこの子は、表向き光源氏の第一子ですが、実は2人目の子ですね。そんなことは知らない帝や貴族たちからは続々と出産祝いが届きます。

六条御息所の耳にもそんな話は聞こえてきます。心は穏やかではありません。魂が抜けたような気がするときは、体に護摩を焚いたときの芥子のにおいが染みついているように思えます。髪を洗っても、衣を着替えてもにおいは落ちません。生き霊になってしまった浅ましい自分。六条御息所の嘆きはつのるばかり。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(1)

今回も雅に参りましょう、といいたいところですが、そうはいかないちょっと恐ろしげな気配。少しは残暑を和らげてくれるかもしれない、オカルトなお話に突入です。

◆賀茂神社の御禊の日に

光源氏22歳の夏。朝廷では桐壺帝が退位し、弘徽殿女御の長男・朱雀帝が即位。同じころ、光源氏の妻・葵の上が初めての子を妊娠します。この話でいつも思うのは、不仲でもセックスレスではなかったんだな、ということ。意外な気もします。とまれ、光源氏は妊娠した妻を見て、いままでになかった愛情を感じるようになっていました。

それとは逆に、光源氏の冷たさに泣いていたのが六条御息所。正妻には子どもまでできたというではありませんか。彼女の苦しみはつのるばかり。ちょうど六条御息所の姫君が天皇の代替わりに伴って伊勢の斎宮に選ばれたのを機に、一緒に伊勢に行ってしまおうかと思案しています。

斎宮と同時に、賀茂神社に使える齋院も代替わりします。そのときには様々な儀式が行われます。これがいまに伝わるのが葵祭。祭の前日に行われる御禊(身を清めるみそぎ)では、上達部がお供をすることになっています。光源氏もその一人に選ばれました。祭当日は、日ごろ姿を見るのも珍しい貴公子達が登場するとあって、大勢の人が見物にやってきました。なかでも光源氏はまるでアイドルのような人気です。

貧しい人々は徒歩で、身分の高い人は桟敷や牛車の中から見物します。その中にひっそりと止められている網代車がありました。光源氏への思い断ちがたく、ひと目を忍んでやってきた六条御息所の牛車です。ところが、そんなに混雑したところへ、大勢の従者を従えてゆっくりやってきた車が。こちらは周囲から進められて渋々やってきた葵の上の車。さあ、大変!本妻と愛人の鉢合わせ。ドキドキもんです。

葵の上の従者は、主人の威を借りて六条御息所の車を押しのけようとします。そこから従者同士の小競り合いが始まり、六条御息所の車は御簾が破れたり、車を壊されたり、見るも無惨な姿になって片隅へ押しやられてしまいました。

ちょうどそこに行列がさしかかります。光源氏は相変わらずの水際だったいい男っぷり。自分の女たちには目配せを送ったり、葵の上の前では威儀を正したりして通り過ぎていきます。でも、みすぼらしい姿になった六条御息所の車には目もくれません。高貴な生まれで、皇太子妃にまでなった六条御息所。世が世なら、彼女が皇后だったはずなのに、いまはただの捨てられかけの愛人です。しかも、正妻の従者にまで横暴を働かれ、六条御息所のプライドはずたずたに傷ついてしまいました。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(2)

(昨日からの続き)
◆私は何をしても許されるのです

人恋しさをもてあましていた光源氏はやれうれしや、と朧月夜の袖をとらえます。薄暗い廊下でこんなことをされたら、誰だってギョッとします。朧月夜は「まあ、怖い!誰なの?」とその振る舞いをとがめますが、光源氏は朧月夜を抱き上げて部屋の中に連れて行き、朧月夜は驚きで一体何が起きたのかと、呆然としています。その様子は可憐で、やはり普通の身分ではなさそう。結構気が強いのか「ここに人が!」と叫ぼうとします。

でも、そんなこと、光源氏はお構いなし。「私は何をしても許されるんだから、人を呼んでも困らないよ。まあ、静かにしてらっしゃい」と、平気です。これ、お坊ちゃまの光源氏だからいえることばです。朧月夜はその声に聞き覚えがありました。昼間の花の宴で、漢詩を吟じていたあの声。そう、光源氏の声。

「この人だったら、いいや」朧月夜がそう思ったかどうかはわかりません。原文では光源氏の声を聞いて「いささか慰めけり」、ちょっとホッとした、と書かれています。相手は当代一の貴公子。あまり物わかりの悪い女とも思われたくないわ、と思ったのか、朧月夜は結局光源氏に身を任せてしまいます。

肌を重ねてみれば、朧月夜は思いのほかに若々しくかわいらしい様子。高貴な姫君独特の気高さと、教養に裏打ちされたエスプリ、ちょっぴりわがままで気が強そうだけどかわいらしい朧月夜の様子に光源氏も彼女と離れがたく思います。でも春の夜は短く、お互いに名前も告げず、扇だけを交換して別れました。

その後、光源氏の乳母子・惟光らの働きで、朧月夜の正体がわかりました。右大臣が催した藤の宴で、二人はようやく再会します。実は朧月夜は弘徽殿の女御の妹。しかも皇太子妃になることが決まっていました。お妃になるはずの娘がキズモノになってしまって、右大臣にとっては大問題。なにやらロミオとジュリエットのような、波乱含みの恋の幕開けです。

今回の教訓、戸締まり、つまり日常生活をきちんとしておかないと、大切な娘がイケナイ男に捕まってしまうかもしれませんよ、というお話。弘徽殿の局の人たちが、もう少しきちんと戸締まりをしていたら、こんなきな臭い関係、始まらなかったかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(1)

源氏物語にはたくさんの貴族たちが登場します。光源氏を中心とした皇族関係や、光源氏の妻の左大臣一族、あるいは左大臣の政敵で光源氏の敵でもある右大臣一族など、それぞれ個性豊かに描き分けられています。今回は右大臣一族のお嬢様が登場します。

◆桜と月の美しい夜に

光源氏20歳の春のことです。御所で「花の宴」が催されました。これは春のビッグイベント。桜の下で帝や東宮、後宮のお妃、貴族や役人など多くの人が集まり、歌を詠んだり舞を舞ったりして1日を過ごす催し。帝に自分をアピールするチャンスですから、貴族たちも念入りに漢詩を詠んだり、ちょっと舞いの練習をしておいたり、準備には余念がありません。その中でも光源氏はひときわ輝いて見えます。「春」という漢字を読み込んだ漢詩も人々の賞賛の的。帝に請われて舞を舞えばまた見事。宴は夜遅くまで続きました。

さて、ほんのり酔い心地の光源氏。桜も月も美しい夜です。こんな夜って、ちょっとなまめいた気分になった経験、ありませんか?光源氏は恋しい藤壺にひと目でも会えないかと、御所の藤壺あたりをうろうろしています。もちろん、戸締まりは厳重。蟻の入り込むスキもありません。

向かいに見えるのは弘徽殿。光源氏の母・桐壺いじめの首謀者、弘徽殿の女御の殿舎です。弘徽殿の女御は帝の元に召されているようで、人も少なく戸締まりも不十分でどことなくスキのある雰囲気。酔っぱらいの光源氏は恐いものなし。厚かましく上がり込んで、女房たちの部屋をのぞいて回ります。コラ!

で、ふと見ると向こうから若い女性が「朧月夜に似るものぞなき」と歌いながらやってきます。服装から見ると身分の高い姫君のよう。彼女も宴の余韻冷めやらず、何となく浮かれていたのでしょうか。この姫君を「朧月夜」と呼びます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(2)

(昨日からの続き)
◆不義の子を身ごもって…

ところが!です。恐ろしい事実が判明します。藤壺の妊娠。男女の関係を持ったのですから、当然といえば当然ですが、相手は桐壺帝の妃。しかも、実家に帰っていたときに妊娠してしまったのです。光源氏もそれを聞き、恐れおののきます。二人の手引きをした王命婦もさすがに怖くなり、もう二人を合わせようとはしません。桐壺帝には「物の怪のせいで妊娠に気づくのが遅れた」とごまかしました。桐壺帝がこれを本当に信じていたのかどうかはわかりません。ただ、現在のように科学が発達していなかった分「物の怪のせい」ということばは有効だったようです。

一方、寵姫の妊娠を知った桐壺帝の喜びはいかばかりでしょうか。一層藤壺をそば近くにおいて離そうとしません。宴の音楽のリハーサルを見せたり、彼女を喜ばせようと心を砕いています。悪いことにそのリハーサルには光源氏も出演していたのです。頭中将と「青海波」という二人舞を舞いました。それを帝のそばで眺める藤壺。藤壺に届けとばかり踊り、歌を詠む光源氏。二人の心は千々に乱れていたことでしょう。

秋も過ぎ、出産予定の12月が過ぎ、正月を迎えてもまだ藤壺は出産しません。光源氏も藤壺も、これはあのときの子どもと、罪の意識におののいています。ようやく子どもが産まれたのが2月の10日過ぎ。生まれたのは光源氏そっくりの玉のような男の子でした。父性愛に目覚めたのか、光源氏はしきりに子どもに会いたがります。初めての子どもですからね。一方、藤壺は子どもの顔を見るのさえ恐ろしく感じています。だけど、こうなると母は強し。光源氏を遠ざけ、事実を知っている女房さえ遠ざけて子どもを守ろうとします。

出産を知って喜んだのが桐壺帝。自分のいちばんかわいがっている光源氏にそっくりな男の子。母親の身分も高く、この子なら将来皇太子にだってできます。しかし、桐壺帝が寵愛と期待を語るたび、藤壺は身の置き所のない罪の意識にさいなまれます。ある日、桐壺帝は赤ん坊を抱いて光源氏の前に現れました。「これが我が子か」と思う間もなく、「あなたによく似ている。小さいときはみんなこうなのだろうか」という帝のことばに光源氏はいたたまれなくなります。

ここで読者はコキュと間男の対面を読むことになります。満面の笑みで間男に不義の子を見せて喜んでいる図。何も知らず笑っている桐壺帝はとてもマヌケに見えます。おそらく、光源氏もおののきながらも一抹の軽侮を感じていたかもしれません。私も初めて読んだころはそう思っていました。だけど、少し大人になったいま、桐壺帝は、本当に何も知らなかったんだろうか、と思うことがあります。みなさんはどうお感じになりますか?(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(1)

今回は、失敗学でも何でもありませんが、源氏物語を語るに欠かせない重要局面なので、ここでまとめておきたいと思います。源氏物語重大事件のひとつ「藤壺妊娠事件」です。光源氏が若紫を自宅へ連れ帰ったり、末摘花にいいよったり、源典侍と浮き名を流している間に、こんな重大な事件が語られています。

◆「帝の妃」への恋

藤壺とは、光源氏の父・桐壺帝の妃の一人。先帝の娘で、光源氏の母・桐壺の死後、女御として桐壺帝のもとに入内しました。光源氏より5歳年上の藤壺は、その面差しが光源氏の母に似ているいわれ、光源氏と並ぶ美貌の持ち主として「輝く日の宮」と呼ばれていました。

藤壺のもとにたびたび出入りしているうち、少年時代の光源氏は恋心を抱くようになったのです。葵の上と結婚したころからすでに、藤壺に思いを寄せていたことが書かれています。ちなみに、光源氏が北山で出会い、我が家に連れ帰った紫の上(若紫)は、藤壺の兄、兵部卿宮の婚外子です。そのためか藤壺と紫の上もよく似ているとされています。

少年時代からふくらんでいった光源氏の恋心。しかし、帝の妃への恋は禁断の恋。容易には満たされません。空蝉に出会う以前、もしかしたら二人は関係を持ったのではないかという記述がありますが、それすらあまりにもぼかされていて、定かではありません。光源氏は満たされぬ思いを抱えながら長年過ごしていました。

藤壺と光源氏の恋のことを「義母との不倫」といったりする人がいますが、そういう考えはとても現代的ですね。ここは藤壺を「帝の妃」と認識しておくのがいちばん妥当だと思います。本稿でもそういう立場で話を進めていきます。

◆里帰りのすきにとうとう…

さて、そんなある日のこと。藤壺は体調を崩して実家に里帰りしました。光源氏はこのチャンスを見逃しません。ある日、藤壺の女房の王命婦に手引きを頼み、ついに藤壺と関係を持つことに成功したのです。ここでおもしろいのは「命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集めてもてくる」と書かれていること。光源氏が衣装を脱いでしまっていることがよくわかります。つまり、二人はことに及んでしまった、ということをここではっきりさせているわけですね。源氏物語にすると、珍しくえっちな表現です。

しかし、思いを遂げたのもつかの間、光源氏は短い夜を恨みながら藤壺のもとを去らなければいけません。一方、藤壺も光源氏を憎からず思っています。もしかしたら、彼女は桐壺帝よりも光源氏の方が好きだったのではないか、と思う節もあります。だけど帝の妃という立場は重いものです。もし、これが誰かに知られたら、と思うと藤壺は居ても立ってもいられません。とにかく、帝にだけは気取られたくない、と帝から参内の要請があってもなかなかこれに応じませんでした。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(2)

(昨日より続き)
◆ふたりの貴公子の間で揺れるおんなごころ

特にこれを聞いて対抗心を燃やしたのが光源氏の妻の兄・頭中将。彼は光源氏の親友ながら、ことあるごとに張り合うライバルでもありました。以前、光源氏が末摘花に言い寄ったときには、頭中将もやはり対抗して手紙を送ったりしています。頭中将もさすがに源典侍に手を出す気はなかったのですが、光源氏との関係を聞いて源典侍を再評価し、実地検証に及んじゃったみたいです。

もちろん、光源氏に冷たくされてさびしかった源典侍、こちらも当代屈指の貴公子からのお誘いです。乗らないわけがありません。もしかしたら「あたしって、こんなに若い男性から誘われて、まだまだイケテルのね」なんて、勘違いしていたのかも。

源典侍と頭中将の関係は秘密裏に進み、光源氏はまだ気づいていません。源典侍もことあるごとに光源氏の薄情を恨んだり、誘うようなそぶりを見せますが、光源氏もさすがにその気にはならないようです。ところが人はシチュエーションによって心揺れるもの。夕立が過ぎた風情豊かな宵、御所で源典侍が一人琵琶を弾いていました。さすがに名手だけあってつい耳を傾けてしまいます。催馬楽(さいばら)を歌う声もなかなかのもので、これに惹かれて光源氏はふたたび源典侍と夜をともにしてしまいました。

ところが、これをこっそり目撃していた男が!
ふたりがまどろみ始めたころ、男は源典侍の部屋に踏み込みました。物音に気づいた光源氏、これは源典侍の元カレが忍んできたのだと思って、屏風の陰へ隠れます。これを見た侵入者は太刀を抜いてえらく恐ろしげに振る舞います。ふたりの男にはさまれた源典侍はさすがに恋多き女。こんな場面にも多々遭遇してきたのでしょう、侵入者を押さえようと「あが君、あが君(=あなた、あなた)」とすがっています。

最初はとまどい「みっともない姿で逃げていくのはやだな」とか考えていた光源氏、侵入者ともみ合っている途中でようやくその正体に気づきました。男はふたりの様子をうかがっていた頭中将。こうなればもう、ほとんどじゃれ合いです。お互い袖がちぎれたり、帯がほどけたり、青年貴公子も見る影なし。ボロボロになったふたりは、そろって帰って行きました。その後ろ姿を見送る源典侍、ちょっぴり女冥利に感じていたかもしれませんね。

このエピソードは源氏物語の中でも珍しいドタバタです。でも、そんな中でもみんな歌を詠んでいるのはさすが王朝物語。雅は決して忘れません。さらに、こんなことがあった後も源典侍は光源氏を追いかけ回していたと物語は伝えます。うーん、ある意味ストーカーですね。この人。

ところで、源氏物語には様々なモデルが考えられていますが、この源典侍のモデルは何と紫式部の兄嫁だったとか。おなじく源典侍と呼ばれていた兄嫁は物語のおかげで宮中にいたたまれなくなり、典侍の職を辞したとも伝えられています。もしそうであれば、紫式部ってずいぶん罪作りです。

本日の教訓、超年上の女に手を出すときは、それなりに覚悟を決めましょう。加えて、小説家にはモデルにされないようにしましょう(←こじつけ)。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(1)

◆20歳の貴公子と「いたう老いたる」おんなの恋

以前、40歳の小泉今日子と20歳のKAT-TUN(カトゥーン)の亀梨和也くんの年の差カップルが報じられ、話題を呼びました。世の中年女性はこのオハナシに大いに勇気づけられたのではないでしょうか。何せ女性が20歳年上。まあ、小泉今日子だからOKなのかもしれませんが、それでもちょっぴり楽しい夢が見られそうな話題ではあります。

ところが!1000年も前、源氏物語ではもっともっとすごい年の差カップルが描かれていました。男性はいまをときめく20歳の青年貴公子、光源氏。ちょうど亀梨くんと同い年です。一方、女性は57、8歳。光源氏の3倍近い年齢。原文では「年、いたう老いたる=ずいぶん老いている」とも書かれています。いまの57、8歳ならまだまだ若々しい人もたくさんいますが、当時はもう本当におばあさん扱い。イメージ的には77、8歳ぐらいの雰囲気を思い浮かべてください。あ、東山紀之と森光子を思い浮かべるのもちょうどいいかも。

この女性は源典侍(げんのないしのすけ)と呼ばれ、帝に使えていました。源と付くぐらいですから、皇族の流れをくむ家柄の出身で、教養も高い才女。歌や音楽の才能もあり、帝も一目置いて重用していました。ところがこの人にはひとつ欠点が。原文には「いみじう仇めいたる心ざま」とありますが、ずいぶん浮気性だといったような意味です。つまり、いくつになっても男性を求めてやまない、よくいえば恋の狩人でした。

◆ストライクゾーン、広すぎ!

光源氏も恋の狩人としては人後に落ちません。恋のうわさが絶えない源典侍に「なぜこの年でそんなに浮気性なのか」と、興味を持ち、ついつい誘ってしまったのです。勇気があるというか、好奇心旺盛というか、恐いもの知らずというか。でも、源典侍の方は有頂天。孫のような年ごろの、水もしたたる貴公子からのお誘いです。飛びつかないわけがありません。結局ふたりは男女の関係に。わずか10歳の若紫を強奪してきたかと思えば、今度は超年上。光源氏のストライクゾーンの広さは脱帽ものです。

でも、光源氏が人間くさいところは「こんな関係、人に知られちゃまずいよな」と思っているところ。さすがに外聞が悪いと思ったのか、しばらくは源典侍に対してよそよそしく振る舞っていました。ところがある日、ふたりきりになる機会が。こんな時、ついちょっかいを出してしまうのが光源氏の悪い癖。源典侍にしたら「そんなところがカワイイ!」ってな感じでしょうが。

さて、ふたりきりになった源典侍、確かにファッションセンスは抜群です。ヘアスタイルも色っぽく華やか。だけど若作りなんですね。そばへ近づくとそれが一層あからさまに。さらに振り返ったその姿。紫式部はこれでもか、というほど意地悪い筆致でこき下ろしています。

目元は落ちくぼんで黒ずみ、髪はそそけだち、手元の扇はド派手なマッカッカ。しかもその端には「私はいま空き家よ」というような意味の歌が。それを見て改めてぞっとした光源氏、逃げようとするのですが、源典侍は袖をとらえて離しません。色気たっぷりに光源氏の気をひこうとし、冷たくされるとヨヨと大げさに泣いて見せたりします。

ところがこのシーン、障子の影から帝がご覧になっていました。うわさは瞬く間に宮中に拡大します。「光源氏様が源典侍と…」「ウソ、あんなおばあちゃんと?」「いやん、ショック」「源典侍様って隅に置けないわね」「私だって」などと、口さがない女房たちはあれこれうわさします。もちろん、宮中に仕える殿上人の間にも伝わっていきました。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(2)

(昨日より続き)
◆恐怖の女房ネットワーク

当時、貴族に仕える女房たちは、親戚同士だったり、複数の家に仕えている人がいたり、お互いが複雑につながりあっていました。そこには自然に女房たちのネットワークが形成されます。ネットがうわさも真実も形を変えながら伝えていくように、彼女らの話もあちこちに伝わり、広まっていきました。これに乗るのは主人たちのうわさや、スキャンダル。

どこそこの中納言が、誰かの娘に恋文を送っただの、あの大将がどこかに新しい女を作っただのという話が飛び交います。どこそこの大納言はステキな歌を詠んだけど、誰それの手紙と花のコーディネートは最低だったわね、などと彼女らにかかれば王朝の貴公子たちも形無し。

うわさ話が話題の中心なんてつまらない、なんていわないでくださいね。縁談ひとつが自分の主人の台所事情を変えるこの時代です。もし、自分の仕えているお姫さまの恋人が地方勤務になれば、お姫さまともども自分も地方に行くことになります。つまり、主人の動静が自分の去就をも決めるわけです。女房たちがうわさ話に熱心になるのも当然です。光源氏が紫の上を引き取ったという話も、このネットワークに乗って葵の上の耳に届いたんでしょう。

◆深まる溝、埋まらぬ隙間

閑話休題。
こんなうわさを聞いて、葵の上がおもしろいはずがありません。それでなくても訪れも絶え絶えな年下の夫。ようやく、顔を見せてくれたけど、笑顔で迎えられるわけないですよね。つんと取り澄ました硬い表情で夫に相対します。そんな妻に対し、光源氏は心の中で「もっと素直に恨み言を言ったり、泣いてすがったりすればもっとありのままを話して慰めることもできるのに。そんな風だから浮気するのさ」なんて、虫のいいことを考えています。気位の高い葵の上がそんなことできるわけないでしょうに。

この二人を見ていると、最初のちょっとしたボタンの掛け違いが少しずつ深い溝になっていくんだな、という感じがします。どちらが悪いというのでもなく、お互いにもう一歩ずつ歩み寄っていれば、もう少し近づきあえたはずです。この二人の隙間はいまのところ埋まりそうにありません。外では数々の女性と浮き名を流している光源氏も、妻には苦労しています。きょうは結婚のはじめに失敗しちゃった夫婦のお話をご紹介しました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(1)

◆お妃候補だったのに…

さて、光源氏の結婚については以前ちらりと書いたことがありました。彼は12歳で元服した際、4歳年上の葵の上と結婚します。彼女の父は左大臣。母は光源氏の父・桐壺帝の妹。つまり、光源氏のおばさんの娘=いとこということになります。ああ、人間関係が錯綜していますね。

ともかく、彼女は民間人では最高クラスのお嬢様。美人で誇り高く、教養も十分な彼女は皇后になってもおかしくない立場です。実際、当時の皇太子から妃にと望まれています(皇太子の祖父は左大臣の政敵、右大臣です)。ところが桐壺帝の意向によって光源氏の妻になりました。左大臣にとっては帝の覚えがめでたくなり、政略としては成功に思えます。

でも、光源氏と葵の上にとってはそれが間違いだったかも。結婚当初から二人の間はぎくしゃくしていました。末は皇太子妃、と育てられていたはずの葵の上にすれば、何で光源氏と結婚しなきゃいけないんだろう、という感じです。いくら光源氏のルックスがよくても、才能にあふれていても、桐壺帝に寵愛されていても、臣下と皇太子では雲泥の差があります。

もし、葵上が皇太子に嫁いでいたら、彼女の人生はまったく違っていたでしょう。高い身分と美ぼうと教養を兼ね備えた彼女は内裏でも重んじられたはずです。宮中にライバル多しとはいえ、彼女にかなう人はなかなかいません。男の子を生んだら、その子は天皇に、彼女は国母になる立場の人です。

しかし、夫は臣下で4歳も年下。どうも結婚当初から、葵の上は自分の方が年上だということを気にしていたようです。そんな気持ちが、よけいに彼女をかたくなにしたのかもしれません。光源氏が訪れても、女房たちに囲まれて端然と座っているだけ。たまに話をしても、他人行儀。

◆堅苦しい妻にうんざり

一方、光源氏もお堅くてうち解けない雰囲気の葵の上になじめないものを感じているようです。恋のアバンチュールなら、いくらでも口から出まかせの愛のことばが出てくる光源氏も、葵の上相手ではどうも勝手が違います。話しかけてもかえってくる返事はタカビーで、会話もスムーズには展開しません。自然に葵の上を訪れる頻度も少なくなり、余計に二人の関係はこじれていきました。

そんなある日、葵の上の耳に飛び込んできたのは、光源氏が自邸に女性を引き取ったといううわさ。当時10歳の紫上のことですが、大人の女性だとか、光源氏はいずれこの人を正妻にするだろうとか、うわさはいい加減な方向にふくらみます。葵の上にしたら聞き捨てなりません。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(2)

(昨日より続き)
◆光源氏様って、ロリコン?

少女が藤壺に似ているのも当然。彼女は藤壺の兄、兵部卿宮が忍んで通った女性との間にできた子どもだというのです。光源氏は祖母・尼君にさっそく少女を引き取りたいと伝えます。だけど、そんなこと突然いわれても尼君が困りますよね。当然「まだ子どもですから」と相手にされませんでした。

その後も手紙を送ったり、乳母子の惟光を使いに出したり、あれこれ画策しますが、ことははかばかしく進みません。そのうちに尼君が亡くなり、少女は頼る人がなくなってしまいました。このチャンスを見逃す光源氏ではありません。少女の家をたびたび訪れ、時には彼女と同じ寝床で寝ようとすることも。周囲の女房たちは「子ども相手になにを…」と気が気ではありません。

一方、少女の父の兵部卿宮、いままで放っておいたくせにどういう風の吹き回しか、彼女を引き取ることにしたようです。兵部卿宮には気の強い奥さんとその子どもたちがいます。少女の存在はじゃまだったのでいままで尼君に預けていたのですが「まあ、放っておくわけにもいくまい」ってな感じで、引き取ることにしたんでしょう。そうなると、光源氏の思うようにことが進まなくなる可能性があります。

いよいよ明日引き取られようという前の夜、光源氏は先手を打って少女を連れ出し、自分の邸・二条院に住まわせることにしました。強引な手法です。18歳という若さがなしえた無謀といえるでしょう。

それから、折に触れて光源氏と少女の楽しい生活が語られます。少女の雛遊びの相手をしたり、手習いをしたり光源氏は彼女の成長をじっと待っています。末摘花の赤い鼻を見てしまったときには光源氏が自分の鼻を赤く塗って「私がこんな顔になったらどうする?」とふざけています。少女とのエピソードは重いお話の中の清涼剤のような役割です。

少女を連れ去った光源氏を「ロリコン」と評する向きがありますが、それは違います。ロリコンというのは少女を対象にした性愛ですが、光源氏の場合、この少女は性愛の対象ではありません。光源氏の関心はあくまでも成長した女性にあります。いまは少女の成長を心待ちにしている段階。早く大輪の花を咲かせよとばかりに水をやり、肥料をやり、将来の姿を楽しみにしているところです。なので「光源氏って、ロリコンよね」という誤解は解いていただきたいのです。本日は失敗学ではありません。ちょっぴり光源氏の弁護に回ってみたくなった、というのが本音です。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(1)

◆あの人に似ている…

光源氏18歳の春。前回登場した末摘花にメール、じゃなかった、恋文でアプローチしていたころ、光源氏は瘧病(わらわやみ)という病気にかかります。マラリアみたいに熱が出たりひいたりする病気ですが、この治療のために、光源氏は北山に加持を受けに行きました。北山というのはいまの金閣寺か鷹峯あたりだと考えられています。満開の桜、春霞の山々、舞台装置は実に美しくのどかです。

そこで光源氏は近くの僧房に女性が身を寄せていることを知り、のぞき見に行きます(オイ!)。当時、女性の姿って、滅多に見られるものではなかったので、男たちはこうしてのぞき見(垣間見といいます)で、女性の姿を知っていたわけです。だから、別段これは犯罪ではないので、お見逃しください。

そこに登場したのは「雀の子が逃げたの」と泣きながら祖母の尼君の元に走り寄る10歳ぐらいの少女。「走る」という、当時の女性としては異例の登場で、彼女は読者に強い印象を残します。そして光源氏にも。

少女の姿を見たととたん、光源氏は彼女から目が離せなくなりました。「あの人に似ている」。光源氏が少年のころから思い続けてきた人、父の妻・藤壺の女御にそっくりなのです。将来どんなに美人になるだろう。あんな姫を引き取って藤壺の代わりにできたら、自分の思うとおり教育して理想の女性に育て上げたら、どんなに楽しいだろう、と思いを巡らす光源氏。(明日へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学5 末摘花の巻 やっぱり、うわさを信じちゃいけないよ(2)

(昨日からの続き)
◆赤鼻のお姫様

さて、久々に姫君と一夜を過ごし、明くる朝は一面の雪。この雪明かりで光源氏は初めて姫君の顔を見ました。そのときの感想は「あな、かたは」と書かれています。「うわ、なんだこれは!」という感じでしょうか。やけに座高が高くてやせさらばえていて、おまけにひどい馬面で、着物も薄汚れていて、黒貂の毛皮を羽織った姿は目も当てられません。
何より驚いたのは鼻の先が長く垂れ下がっている上、赤く色づいていること。このことから彼女はベニバナの別名である「末摘花」の名で呼ばれます。

紫式部は残酷なほどリアルに彼女の不美人ぶりを描いています。ただ、落とすばかりではなく「髪の毛だけは黒々と長く豊か」と美点を書き加えているのはさすがに宮家の姫君に遠慮したのでしょうか。まあ、彼女の姿を見た光源氏はそれはそれは驚いたでしょう。いままで美人ばっかり見ていたのに、こんな不美人に出会うなんて。

でも「そんなブス、何でいままでわからなかったんだ?」って思っている人、いませんか?当時は電気がありませんから夜は完全な闇。外では月明かりや星明かりだけが頼りです。室内では小さな燭台程度の灯りはありましたが、部屋全体を照らす灯りはありません。もし、光から顔を背けていたら、顔なんてほとんどわかりません。おまけに当時の女性は基本的に人に顔を見せないようにしていましたから、関係を持っても顔を知らない、ということもあり得たわけです。なので、この光源氏のオドロキも不自然なことではありませんでした。

それよりも、今回の光源氏の失敗は、人のうわさ話に乗せられたところにありました。実は末摘花の情報を光源氏に伝えたのは彼の乳母子の大輔の命婦という女房。彼女は末摘花の屋敷、すなわち常陸宮家でも働いていました。ところが常陸宮家はいまや破産寸前。大輔の命婦にとっても死活問題ですから、資金源が必要です。それには光源氏と末摘花をくっつけるのが一番、と考えたんですね。実際、光源氏は常陸の宮家の窮状を放っておけず、援助の手をさしのべています。だから、今回の教訓は「人のうわさ話には要注意」ということです。だけど、結果的には常陸宮家を救ったのですから、OKとしましょうか。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学5 末摘花の巻 やっぱり、うわさを信じちゃいけないよ(1)

今回ご紹介するのは源氏物語一の不美人、末摘花と呼ばれる女性のお話です(巻数的には若紫の方が先ですが、今回は末摘花をご紹介します)。

◆没落貴族の娘って、ロマンチック…

光源氏18歳の春です。このころ、光源氏は生涯の伴侶になる若紫と出会ったり、父の妻で長い間思い続けてきた藤壺の女御と密会したり、いろいろすったもんだがあります。そのお話は次回以降に譲るとして、あれこれ忙しい合間に、また新しい恋を求めていました。

以前悪友同士で女性論を戦わせたとき、中流の女がいいという話が出ました。以来、光源氏は中流の女性に興味津々。彼らのいう中流とは受領(地方の知事ぐらいの地位)の娘や没落貴族の娘など。あの夕顔も中流の部類に入るでしょう。彼女の死以来、中流の女性からは遠ざかっていた光源氏のもとに、久々に中流女性の情報がもたらされます。

こんどは没落貴族のお嬢さんです。故常陸宮の姫君でいまは古びた屋敷で琴の琴(きんのこと)を友にひっそり暮らしているとか。没落貴族の娘って、何となく薄幸そうでロマンチックです。彼女の情報を聞いた光源氏はさっそく猛烈なアプローチを開始します。でも、彼女の周囲のスタッフは気の利かない老女房ばかり。男女の機微など姫君に教えているわけがありません。はかばかしい返事が得られず、光源氏は業を煮やして姫君の屋敷を訪れました。

語りかけても当然ろくな返事は帰ってきません。その姿を「なんて慎ましい!これぞ深窓の姫君だ」と勘違いした光源氏、とうとう強引に彼女と関係を持ってしまったのです。とはいっても灯りの乏しい当時のことですから、彼女の容姿はよくわかりません。おまけに反応も鈍くてマグロっぽい彼女に光源氏もがっかり。その後しばらくは彼女のことを捨てておく始末です。

だけど、光源氏のいいところは一度関係を持った女性を完全に見捨てたりしない点。ある冬の日、彼女の家をもう一度訪ねました。そのとき垣間見た屋敷内はぼろぼろで、女房たちの衣装も薄汚れ、食べるものもろくにない様子でした。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学4 女をないがしろにすると怖い目に遭いますよ(2)

(昨日からの続き)
◆そして真夜中 恐怖が…

光源氏は自分の身分を隠し、顔を隠して彼女のところへ足繁く通っています。年上の恋人の六条御息所のことなんてどこへやら。夕顔の家の周囲は比較的身分の低い人たちが住んでいて、周りからは生活の音が聞こえてくるようなところ。そんな光景もお坊ちゃんの光源氏には珍しく感じるのでした。

八月十五夜の夜、光源氏はもっと静かなところでふたりきりになりたいと、夕顔を某の院というところへ彼女を連れ出します。お供は彼女の侍女ひとりだけ。ここで思いっきり戯れようという算段。某の院は光源氏の別邸とされていて、日ごろは管理人がいるだけの荒廃した屋敷です。荒れ果てた雰囲気にちょっと怖がって甘える夕顔の様子もまたかわいらしいと、光源氏はもうめろめろ。

さて、戯れの限りを尽くし、夜更けて眠りについたふたり。光源氏は枕元に美しい女が座っている夢を見ます。女は「私がこんなにお慕いしているのに、こんな女を愛するなんてひどい」とか何とか、恨み言を吐きながら夕顔を起こそうとしています。あわてて目を覚ますと、灯りが消えたりして、物の怪の気配。光源氏はおろおろしながら管理人を呼んだり、侍女を励ましたりしていましたが、はっと気づくと夕顔が息をしていません。原文でははっきりとは触れていませんが、この物の怪は六条御息所だと暗示されています。

ようやく朝になって惟光が来てくれました。光源氏は泣くわ悲しむわ、馬から落ちるわで色男も台無し。すっかり弱って寝込んでしまいました。恋の絶頂から悲しみのどん底へ。夕顔は光源氏の心に忘れ得ぬ思いを刻んで、物語から退場していきました。

なお、この夕顔、葵の上の兄・頭中将の元恋人だということがわかりました。頭中将との間には娘まで生まれていたのですが、頭中将の妻の嫌がらせにあって身を隠していたのだとか。恋人や妻をないがしろにしてほかの女に心奪われていると、怖い目に遭うかもしれないよ、というのが本日の(強引な)教訓です。世の殿方、どうぞご注意を。
(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学4 女をないがしろにすると怖い目に遭いますよ(1)

◆光源氏、逆ナンされる

光源氏17歳。青春まっただ中です。前回、人妻の空蝉に振られましたが、そんなことでへこたれる男ではありません。いつのまにか元皇太子妃でいまは未亡人の六条御息所とねんごろになっています。その上で、また、新たな恋に足を踏み入れようとしていました。

実は彼、すでに12歳の時、元服と同時に4歳年上の葵の上と結婚しています。でも、いろいろ事情があって実のところ妻とはあまりしっくりいっていません。むしろ妻の兄の頭中将(とうのちゅうじょう)の方が親しいぐらい。

さて、そんなある日光源氏は乳母のお見舞いに行きました。乳母の家は民家が建て込んだちょっと庶民的なところ。その一角に白い夕顔の花が咲く家が。中にはなかなか美しげな女性たちの姿がチラチラと見えます。家来にその花を折ってくるよう命じると、家の中からかわいらしい女の子が出てきて「花はこれに乗せて差し上げてください。枝も風情のない花ですから」と扇を差し出します。

乳母の見舞い後、さっそく扇をチェックすると「あなたはもしかして、光源氏様では?」といったような意味の歌が一首。その家の女主人からのメッセージです。これって逆ナン?女性からの積極的なアプローチです。挑まれると受けて立ちたくなるのが人の性。ましてや光源氏です。これを無視しては光源氏の名が廃ります。乳母の息子・惟光の骨折りもあり、光源氏は首尾よくその女性と恋仲になりました。

この女性を「夕顔」と呼びましょう。妻のように堅苦しくもなく、六条御息所のように知性と教養があるわけでもなく、密かに恋いこがれる父の妻・藤壺のように高貴でもありません。空蝉のように芯が強いわけでもなく、なよやかで、かわいらしく、どちらかというといやし系。でも、男あしらいには慣れている様子。いまのことばで言えば、エロかわいい、ってかんじでしょうか。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学3 若妻から目を離してはいけません(2)

(昨日からの続き)
◆誰でもなびくと思ったら大間違いよ!

さらに、光源氏も失敗しました。彼は女性の気位というものを全く忘れていたようです。もちろん、空蝉だって光源氏ほどの貴公子に言い寄られれば多少は心が動くでしょう。ときめきもします。

だけどそれは所詮この場だけの遊び。慰み者にされて捨てられる恥を考えれば、彼になびく気持ちにはなれません。プライドの高い空蝉はそれ以降光源氏を拒み続け、光源氏はそれに反比例して彼女に惹かれていきます。「何をしても許される」という思い上がりが通じない女がいることに光源氏は気づいたようです。

このお話には後日談があります。光源氏は何とか無理算段して、もう一度空蝉の寝所に忍び込みます。ところが、それに気づいた空蝉は薄物の着物を残して部屋の外に逃げてしまいました。後に残ったのは空蝉の継娘。若くてピチピチのお嬢さんです。光源氏は彼女を抱き寄せて人違いに気づきましたが、行きがけの駄賃とばかりにこの娘とも関係してしまいます。見境がないというか、さすが17歳というか、彼はこの先も私たちを楽しませてくれそうです。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学3 若妻から目を離してはいけません(1)

◆夫は単身赴任中。そこへ…

母に死に別れてから十数年、17歳の光源氏はいまをときめく貴公子に成長しました。たぶん王朝一のモテ男。六条御息所という年上の恋人もいます。ほかにもガールフレンドの三人や四人はいるはずです。

ある夏の晩、光源氏は方違え(陰陽道の習慣)のため紀伊守(きいのかみ)の屋敷に泊まることになりました。この夜は紀伊守の父・伊予介(いよのすけ)の後妻も家族連れで泊まっています。伊予介は若い後妻をとても大切にしているのに、なぜか現在単身赴任中です。

光源氏が急に泊まりに来たこともあり、紀伊守の屋敷は人でいっぱい。どこか近くで女たちが自分の噂をする声が聞こえたり、動き回る気配がしたりします。「悪友たちが『中流の女にいい女がいる』なんていってたけど、こういうのが中流かな?」なんて、光源氏は考えています。

夜も更けて皆が寝静まったころ、光源氏の寝所に近い部屋で人の気配が。話の内容からどうやら伊予介の後妻のようです。この人は後に空蝉と呼ばれるので、ここでもそう呼ぶことにします。光源氏の好奇心がむくむくと頭をもたげます。人の気配がなくなると、そっと隣の部屋を開けてみました。なんと!鍵がかかっていません。

部屋の中には小柄な女が寝ています。おそらくこの人が空蝉です。光源氏は「長年あなたを思い続けてきました」と、口からでまかせの殺し文句を吐きながら空蝉を抱き上げ、自分の部屋に連れ帰ってしまいました。途中、空蝉の召使いの女房に会いますが、光源氏は悪びれもせず「明け方にお迎えに参れ」と告げます。このあたりが「何をしても許される」と思っている、貴公子の図太さ。本当にいまは恐いもの知らずなんでしょう。

で、自分の部屋に戻った光源氏、思いがけず空蝉の激しい抵抗に遭います。でも、さすがに男の力にはかなわず思いを遂げられてしまいました。空蝉は図らずも不倫することになってしまったのです。

だいたい、光源氏を女性がいっぱいいるところに泊まらせるなんて、虎を野に放つようなもの。だけど、この巻を読んでいつも思うのは「なぜ伊予介は愛妻を伊予に伴わなかったのか」という点です。もちろん当時は交通事情も悪く、遠方への赴任は大変でした。だけど空蝉は後に夫に従って遠く常陸(茨城県)まで行っています。伊予だって一緒に行けたはずなのに、都に残ったせいで彼女は思いがけない災難に遭ってしまいました。大切な若妻から目を離しちゃいけません、というのが本日の第一の教訓。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学2 愛人を持つ条件とは?(2)

(昨日からの続き)
◆桐壺帝は青かった

ところが、桐壺帝はその点、まだ青かったみたいです。桐壺更衣と呼ばれるあまり身分の高くない女性一人を溺愛してしまいました。そうなると、周囲の女性たちは黙っていません。で、桐壺更衣イジメが始まります。渡り廊下に鍵をかけて閉じこめたり、通路に汚物をまき散らして着物を汚してみたり、子どもじみたイジメです。

ここで戦えばいいと思うのは、現代人の思考でしょう。桐壺更衣はこのイジメに耐えきれず、だんだん衰弱、とうとう一人息子を残してはかなく死んでしまいます。この一人息子こそが、後の光源氏。桐壺帝は、自分の偏った愛情が原因で、息子の母を死なせてしまいました。

で、これでこの人、懲りればいいのですが、さらに、愛する人の忘れ形見として、息子を溺愛します。これがまた、周囲の人の反感を招き、光源氏を巡る対立の構図を作るわけで、その点では紫式部は抜群のストーリーテラーということができます。

とまれ、源氏物語の一番最初に登場するのは「桐壺帝の失敗」。偏った愛情は不幸の元、というお話です。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学2 愛人を持つ条件とは?(1)

「源氏物語の失敗学」、いよいよ今回から本編です。逐帖的に解説するのではなく、目に付くエピソードについて述べて行く予定ですが、ある程度は光源氏の年齢を追いかけながらお伝えしていきましょう。

◆どの女性にも文句を言わせない

さて、みなさま、つかぬ事を伺いますが、男性が愛人を持つ資格とは何か、お考えになったことがあるでしょうか。「愛人なんてとんでもない」というのはこの際、置いておいて、愛人を持つには様々な条件があります。経済力、男性的魅力、体力、コミュニケーション能力…。でも、大事なのは「どの女性にも文句を言わせない」ことではないでしょうか。

今回はそれができなかった男性の失敗の物語です。お話は源氏物語の一番最初の巻『桐壺』から。この巻はふつうに読んでるととっても退屈です。たぶん、学校の古典の時間に「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に」という、源氏物語の出だしを覚えさせられていやになった方も多いでしょう。そんな経験があるとおもしろいものもつまらなくなります。

まあ、この『桐壺』の巻は実際に読んでもちょっと退屈です。だけど、帝に焦点を当てて読んでいると、なかなかおもしろいものが見えてきます。通常「桐壺帝」という名前で呼ばれるこの帝には何人もの妻や側室がいました。

わかる人はわかると思いますが、妻や愛人が何人もいると男性はバランスを取るのが大変です。こちらの機嫌を取ればあちらの機嫌が悪くなり、こちらをかわいがれば、あちらの怒りが爆発する、という具合で、全体のバランスを取るにはかなりのテクニックを要します。

ましてや帝ともなれば、女性たちにも様々な思惑があります。帝の寵愛ひとつで子どもや一族の将来が変わるかもしれません。女性同士は当然「私こそは」と競い合いますが、そんな女性の間に立つ男性は、じょうずにバランスを取って、あちらもこちらもたてるのが、大人というもの。これが「どの女性にも文句を言わせない」ということでしょう。
(明日に続く)

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源氏物語に見る王朝貴族の失敗学1 源氏物語への招待(2)

(昨日からの続き)
◆作者・紫式部について

で、これだけではあまりに愛想がないので、今回は作者の紫式部について触れておきたいと思います。彼女は平安時代中期、権勢を極めた藤原道長の娘、中宮彰子の家庭教師として雇われ、源氏物語を書きました。

彼女の生まれは970年頃。母は早くに亡くなり、父の手で育てられました。父は都の中級官吏で、学者としても重んじられていた藤原為時です。教育熱心だった為時から漢学の手ほどきを受けていた紫式部は父に「この子が男の子だったら」といわれたほど優秀だったそう。

いくつかの恋や縁談もあったようですが、彼女は振り向かず、当時としてはかなり晩婚の30歳近くになって父親ほども年の離れた藤原宣孝と結婚、一女をもうけます。しかし2年後、夫は疫病で急死。その寂しさを紛らすために物語を書き始めたのが源氏物語誕生のきっかけだったといいます。

今回は源氏物語のプロローグだけに終わってしまいましたが、次回からは少しずつ、中身をひもといていきたいと思います。どうぞお楽しみに。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学1 源氏物語への招待(1)

◆人間性が伝わってくるドラマ

源氏物語って、高校の古典の時間に習って、とんでもなくつまらない思いをした方が多いと思います。当然ですよね。学校の授業で習うものにおもしろいものなんてそうそうありません。

だいたい、膨大な源氏物語の中から脈絡もなく一部分だけ、それも特につまらない一節を抜き出して、さらに文章をバラバラにして品詞を分析したり、「〜であることですよ」なんて、とっても不自然な現代語訳をしたり、おもしろいわけがありません。もう、本当に、古典を嫌いにするために授業してるんじゃないかってぐらい。

でも、初めて現代語訳で通読したとき、いままでの認識の間違いに気づかされました。実におもしろくて奥の深い物語。学校で習ったのはいったい何だったんだって感じ。だいたいにして源氏物語といえば、光源氏という理想の美男子が次々と女性と関係を持つ「色好み」のお話として知られていますが、話はそんなに単純でもありません。

登場人物が実にイキイキと、とてもリアルに描かれています。ひとつひとつの恋物語だって、ドラマ性に富み、女性たちの心の動きも手に取るように伝わってきます。そして舞台装置の豪華さは、この時代ならでは。

それから、理想の男性とされている光源氏、確かに容姿も才能も地位も名誉も富も恵まれていて理想的だけど、完璧ではありません。時々とんでもない失敗をやらかしたりします。だからこそ、彼の人間性が伝わってくるのかもしれませんね。

というわけで次回以降のコラムではそういった登場人物のちょっとした失敗や笑える話などを中心に取り上げていきたいと思います。それが源氏物語への入り口になれば幸いです。(明日に続く)

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