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京都人形三昧 番外編 愛でたきもの 雛とミニチュアのお道具展 −ミニチュアで織りなす『源氏物語』の世界−

豪華な雛飾りの魅力は、お内裏様だけではなく、そのお道具にもあると私は思う。お膳やお重、鏡台、違い棚など、一つひとつ塗も模様もきちんと施されたおひな様のお道具は、おもちゃなどではなく、立派な工芸品だ。その小さなお道具だけで、ひとつの世界を完成していることに驚く。

京都・百万遍にある思文閣美術館では4月6日まで「愛でたきもの 雛とミニチュアのお道具展 ミニチュアで織りなす『源氏物語』の世界」を開催中だ。

おひな様のお道具がお膳や家具調度に始まり、楽器、装身具など多岐にわたってそろっている。小さな琴や琵琶はいまにも音楽を奏でそうだ。貝合わせは通常蛤で作られるが、おひな様用は小さなシジミを使う。一つひとつに金泥で彩色が施されている。貝桶も金蒔絵がきれいだ。

中でも目を見張るのが台所道具と食器類。関西の雛飾りのお道具だが、お茶碗やお椀、湯飲み、急須など、そのまま所帯が持てそうなぐらいの品揃え。水屋にもきちんと道具が収まり、機能的に見える。ここで腕まくりをして立ち働くおひな様の姿を想像して、ちょっとおかしくなった。ほかにも源氏物語の豆本や源氏物語蒔絵小箱、源氏物語図絵印籠など源氏物語千年紀にちなんだ展示も。

そこで「夢浮橋」の絵を見ていた女性、「薫さんってモテないわよねぇ」とひと言。やっぱりみんなそう思ってるんだ。


Shibunkaku

■思文閣美術館

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京都人形三昧その3 京都国立博物館&京都文化博物館

写真は京都文化博物館Kyoubun

ひな人形やそのお道具というものは、なぜか私の心を惹きつける。桃の節句を祝う必要がなくなっても、やっぱりひな飾りには目を奪われる。おそらく、現実にはあり得ないサイズの道具が、非現実の世界へ誘うからだろう。京都国立博物館で行われた特集陳列「雛まつりとお人形」、京都文化博物館のコレクション展「池大雅と雛人形」は、おひな様や人形の数々に現実を忘れるひとときだった。

京都文化博物館はおひな様を年代順に近世まで展示。おひな様の作りや顔、飾り方の変遷がよくわかる展示だった。京都国立博物館も同様だが、さらに嵯峨人形や御所人形、衣装人形など幅広く展示されていた。また、人形の背景に使っている屏風や襖絵が重文だったりするのは、さすが国立の博物館。人形に気を取られているとうっかり見落としてしまいそうだが、そんなところにも目をひかれる展示だった。

おひな様の原形は3月の上巳の節句にからだをなでて穢れやわざわいを移し、川などに流す「形代」。これは古墳時代から作られており、木や草で作られたものだった。それが幼子の健やかな成長を祈る天児(あまがつ)や這子(ほうこ)となり、さらに二つ一組になって、立ち雛や紙雛が生まれた。ようやくここに来て男女一対だ。形代を原形とした立ち雛はその後もあまり形を変えずに現代に受け継がれている。

一方、いまよく見かけるお内裏様とおひな様の座り雛は、立ち雛とは系統が異なる。こちらは寛永年間(17世紀前半)ごろから作られるようになったようだ。寛永雛と呼ばれるおひな様はまだ頭髪も塗でポーズも何となくぎこちない。元禄年間に作られるようになった元禄雛は女雛に手先が付き、装束も十二単風で豪華になってくる。

享保年間(1716〜1735)に流行したのが享保雛。高さ50センチぐらいの大ぶりなおひな様は髪が植えられ、男雛は冠をかぶり、衣冠束帯を身につけて太刀を差し、笏を手に持つ。女雛は豪華な冠にボリュームのある十二単を付けている。顔も写実的で、瓜実顔の美男美女に作られている。目が笑っているようで、じっと見つめていると笑い声まで聞こえそうで、実のところちょっぴり怖い。

次に流行したのが次郎左衛門雛。これはまん丸な顔に引目かぎ鼻で可愛らしい。京都の人形師の雛屋次郎左衛門が作り始めたとされることからこう呼ばれる。一方江戸では18世紀後半に古今雛が作られた。こちらは瓜実顔で、いまの雛人形もこの系統を受け継いでいる。また、公家社会では有職の作法に従って忠実に再現された有職雛が作られた。装束によって束帯雛や直衣雛、狩衣雛などが作られた。

京都国立博物館ではこうした歴代の雛に加え、明治時代に造られた軍装の雛飾りも展示。これは軍服姿の明治天皇をモデルにしたと思われる雛人形で、一番手前には馬車に乗った親王の姿も見られる珍しいもの。随身なども洋装で、当時の式典の様子をよく伝えている。

内裏雛の左右やお道具が東西で異なるのは宝鏡寺の項でお伝えしたが、そのほか、関西では「御殿飾り」という飾り方がある。関東では5段、7段などの豪華な段飾りが主流だが、関西では内裏雛の住まいである御殿を最上段に置き、奥に内裏雛、その前に官女などを置く。お道具は関東ほど豪華ではなく、おくどさんや水屋などが飾られるのは既述の通りである。現在はほとんど飾られることはない。今回、京都文化博物館では、大正時代の豪華な御殿雛飾りが展示されていた。そのほか、源氏枠という飾り方もある。こちらは屋根のない御殿飾りのようなもので、源氏物語絵巻の構図のように上からも雛を眺めることができるため、こう呼ばれる。

なお、期間は京都国立博物館が3月30日、京都文化博物館が4月13日まで。おひな様の時期なんて過ぎてしまったと思わないで。4月8日は旧暦の桃の節句。ことしはもう一度、ひな祭りを楽しんではいかがだろう。


Kyouhaku

こちらは京都国立博物館の旧館とロダンの「考える人」

■京都国立博物館
■京都文化博物館

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京都人形三昧その2 辻村寿三郎 新作人形展〜平成アールデコ〜

Jusaburo

人形の魅力というのは、どこにあるのだろう。きれい、かわいい、美しい…。そんなありきたりな言葉では言い表せないものを人形は持っているように思う。例えば、精緻な技で作られたひな人形や日本人形は美しい。でも、人形と真正面から対峙すると、時に薄ら寒く感じるのはなぜだろう。市松人形のつぶらな瞳、赤い唇。だけど、だけど可愛らしい顔の向こうに得体のしれない不気味さを感じるのは私だけではないだろう。

そんな人形のデーモニッシュな魅力を最大限に生かした作家が現代の人形師、辻村寿三郎氏だろう。氏の人形は様々な表情を持つ。妖艶な人形、何かを語りかけるかのような、ドラマチックな表情の作品、そして愛らしいうさぎたち。だけど、少しずつ不気味さを抱えている。それが魅力となって見る人を惹きつける。

京都高島屋グランドホールでは「辻村寿三郎 新作人形展〜平成アールデコ〜」を開催中だ。新作人形展とあるが、意外に旧作も多い。久々の邂逅に、懐かしく思える人形もある。例えば、南総里見八犬伝の伏姫や八房(伏姫を見ると、「あいーん」といいたくなるのは内緒だ)。そして大蛇が象徴的なオロチなど。そのほか阿蘭陀異聞のシリーズや西鶴五人女、南北五人女、十二星座などの展示も。

うれしかったのは創作人形ドラマ「源氏絵巻縁起」の展示。源氏物語を辻村流にアレンジした作品で、宮中でひどいいじめにあった桐壺更衣はとうとう気が触れてしまうという哀れなストーリー。

ジャポニカや平成アールデコのシリーズは妖艶でスレンダーな美女たちの競演だ。瞳のないまなざしは底知れぬ魅力と魔力をたたえている。それにしても人形なのに何と色っぽいのだろう。もし私が男なら、人形と間違いを犯してしまうかもしれない。乱歩の「押絵と旅する男」の世界。そういえば、辻村氏は押し絵と旅する男を人形芝居にしている。今回、会場ではそのビデオが流されていた。また、小さなステージでは平成アールデコのライブも。

今回、人形たちをじっくりとそばで見て感じたのがその衣装や顔、頭の細やかな仕事。人形の衣装には明治から昭和にかけての古裂を使用しているという。それが見事に人形とそのストーリーにマッチした衣装に生まれ変わっている。洋装の人形ではスパンコールやビーズ、レースなどを多用、実にゴージャスだ。

そんなところまでじっくり見ていくと、小規模な展示ながら1時間半はかかる。見終わったあとには疲れに似た充足感が残った。久々の辻村寿三郎を思いきり堪能できる展示だった。

なお、会期は月24日まで。22日、23日は辻村寿三郎氏本人が来場、サイン会も行われる。いまならきものでの来場者は無料。夕方6時以降はトワイライトサービスで入場料半額。

■辻村寿三郎公式ホームページ
■京都高島屋

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「源氏かおり抄の世界」展 〜香りで綴る源氏物語〜

Sugimotoke

源氏物語と香りは切っても切り離せない関係にある。物語の随所で香りは大きな役割を果たす。夜の闇がいまよりも濃かった時代、人々は香りで人を区別していたのかもしれない。例えば、空蝉は自分の寝所に忍んできた人物を、香りで光源氏と判断したわけだし、光源氏は膝行りでてきた末摘花の香りに「さすがは高貴の姫君」と納得している。

また、物語では香りの使い方でその人物や集団の性格を表現している部分もある。例えば「花宴」の巻では、薫き物が煙いほどにたかれていて、女たちが衣擦れの音をさせながら起ち居する右大臣邸の様子を「奥まりたるけはひたちおくれ、今めかしきことを好みたる」と批判的に描いている。「鈴虫」の女三の宮の持仏開眼供養の場面でも同様のことが描かれている。

香りへのこだわりは「梅枝」の巻にもよくあらわれている。ここでは薫き物合わせの様子から、その種類まで書かれており、平安時代の香りを知るよすがとなっている。そして極めつけは自分自身がかぐわしい香りを放つ、薫と薫に対抗してよいお香を焚きしめている匂宮の二人。この二人は光源氏のように「光る」ほど美しくはないけれど、香ったり、匂ったりする程度には美しいのである。

そのほかにも香りが登場するシーンは数多い。ことほど左様に源氏物語と香りは切り離すことのできないものなのである。

その源氏物語五十四帖の世界を、様々な香りや形で表現したのが「源氏かおり抄の世界」展〜香りで綴る源氏物語〜。お香の老舗「松栄堂」が源氏物語千年紀を記念して開催しているもの。各帖を香りやその使い方、容器などで表現する。例えば、花宴であれば、桜模様の匂い箱に香を入れる、須磨であれば海の風物を描いた貝桶に貝の形の匂い袋を入れるといった感じ。と書いてもとても伝わりにくいと思う。これはぜひ現地で見ていただきたい。

会場は築100年を超える町家「杉本家住宅」。室内にはほのかな薫き物の香りが漂う。あるかないかのかすかな香りは、オープンな作りの日本家屋だから似合うのかもしれない。機密性の高いマンションでは、加減を間違えると右大臣家のようになってしまうだろう。展示のほか、聞香も体験できる。やわらかな伽羅の香りは奥ゆかしさに満ちている。

もちろん、会場の住宅そのものにも目を向けてほしい。これは伝統的な町家として京都指定の有形文化財にもなっている。どっしりと黒光りする柱、苔むした庭、荘厳な仏間、どこを見ても堂々たる風格が漂う。杉本家は呉服商奈良屋を営んでいた。そのため、入り口を入った左右には店の間がふたつ向かい合っている。今回展示に使われた座敷は12室。どこまで部屋が続いているのかと思うぐらい広い家屋だ。さらにその奥には、今回は公開されていない土蔵や漬物小屋もある。おくどさんのある台所は一間幅で十二畳分。太い梁や柱に目を見張る。また、同家は祇園祭の際、伯牙山のお飾り場として店の間に屏風や祭りに使われる懸装品が飾られる。京の町衆の伝統を伝える京町家なのである。

源氏物語を香りで表現する展示や聞香体験も目新しく、楽しいものだが、風格漂う京町家の内部を目にすることは少なく、貴重なチャンスだ。開催は3月23日まで。残りあと2日だが、もし機会があれば足を運んでほしい。

■松栄堂 
■杉本家住宅 

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京都人形三昧 その1 宝鏡寺

Houkyouji

いつしか、雛をし据ゑて、そそきゐたまへる。三尺の御厨子一具に、品々しつらひ据ゑて、また小さき屋ども作り集めて、 たてまつりたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。(源氏物語 紅葉賀)

光源氏の邸に誘拐同然に連れてこられた少女の紫の上は、祖母を亡くした悲しみも少しずつ癒え、新年を迎えた。上記はその一場面、ひいな遊びを楽しんでいる様子である。小さな道具を棚に並べたものや、いくつもある小さな御殿は光源氏からのプレゼント。財力のある光源氏が仕立てたものだ、少女の紫の上にはとても魅力的なおもちゃだっただろう。

平安時代の昔から、人形遊びは女の子の生活から切り離せないものだった。それは出家したとしても同じだ。堀川寺之内にある宝鏡寺は代々皇族の女子が住職となった寺。それだけに、歴代の皇女が慈しんだ人形が数多く所蔵され「人形の寺」と呼ばれている。


Kouchiki

同寺では毎年春と秋に所蔵の人形を展示する人形展を開催している。ことしの春の人形展は1月1日から4月3日まで。今回は皇女和宮をテーマにした展示のほか、ひな人形をはじめ、孝明天皇ご遺愛の御所人形「孝明さん」などたくさんの人形を見ることができる。万勢伊さんという人形はおとらさん、おたけさんというお付きの人形を従えている。さすがは高貴の人のお人形だ。

今回、うれしかったのが撮影専用の人形が置かれていたこと。直衣・小袿姿の有職雛と等身大の小袿姿の人形が展示されていた。内裏雛はノーブルな顔立ちで写実的。お内裏様が向かって右に座っているが、これは京風の飾り方。天子は南面して、先に日を浴びるという宮中の席次に従って、右に置かれるそうだ。逆に関東では洋風の、右(向かって左)に偉い人が座るという考え方から、左右が逆になったという。

また、お雛様のお道具がおくどさんと水屋なのも関西の特徴。見た目のハデさはないけれども、これは女子に家事を習わせるためのものだったとか。

Hinamatsuri

桃の節句を迎えた3月から4月にかけては、京都各所で雛の展示が行われている。このシリーズも、いましばらく続く「予定」だ。

http://www.hokyoji.net/

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麩嘉の麩まんじゅう

Fumanjuu

良質の水に恵まれた京都では、様々な美味、食材が水によって培われてきた。豆腐しかり、伏見の銘酒しかり。いや、京料理そのものの味わいも水が作り出したと言ってよいかもしれない。

京料理の脇役として欠かせない食材のひとつが「生麩」である。モチモチとした独特の歯ごたえ、なめらかな舌触り。味というほどの味はないが、彩りもよく、食感が楽しいモノでもある。生麩は小麦粉を水で練り、デンプン質を洗い流した小麦タンパク、つまりはグルテンの塊。中学校ぐらいの時、理科の実験で作ったことのある人もいるかもしれないが、やはり生麩づくりにも良質の水は欠かせない。

西桐院椹木町上ルにある「麩嘉」は文化文政年間創業の生麩の専門店だ。店名は決して「不可」とか「負荷」と同じような抑揚で読んではいけない。「ふぅかぁ」とやさしげに発音してほしい。同店の本店がある西桐院通はよい地下水が湧出するところ。本店脇には京洛七名水のひとつ、滋野井の流れを汲む小さな井戸がある。

生麩には様々な種類があるが、同店の名物が麩まんじゅう。甘さをぐっと押さえたさらし餡を生麩で包んだお菓子だ。京料理のお弁当の片隅に入っていることもたまにある。モチモチの食感はお餅ともまた異なる。うっすら緑色の生麩はヨモギ入りかと思ったら、実は青のり入り。口に入れると磯の香りがいっぱいに広がる。餡とのバランスが絶妙だ。1個はわずかに一口大。もっちりツルリとした口当たりのよさに、2個、3個と食べたくなってしまう。

西桐院の本店は、由緒正しき町家のいかにも老舗といったたたずまい。かわいいおかめさんののれんが、少しは敷居を低くしてくれているが、ちょっと足を運びにくい気もする。そんな方におすすめなのが、錦小路堺町角にある錦店。京阪や阪急の駅からも徒歩で行け、入りやすい店構え。ただし、時間帯によっては麩まんじゅうが品切れの場合もあるので注意。

Fuka

写真は錦店
■京都市中京区錦小路通堺町角
■075−221−4533 FAX075−221−1608
■9時30分〜17時30分、毎月曜、2月から8月までの最終日曜休み。

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黄金色の京都御所

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京都御所は常緑樹の松と、楓や銀杏などの落葉樹がバランスよく植えられ、四季を通じて美しい。かなりの樹齢の木も多く、街中にありながら、自然の精気を感じられるパワースポットだ。

その中に1本、ほとんど葉は落ちているのに、驚くような自己主張をする銀杏を見つけた。散り敷いた葉が周囲に広がり、さながら黄金の丘。立派な木の多い御所の中でもとりわけ見事だった。

写真はその銀杏。てっぺんまで入らないので、気まぐれでアスペクト比1:1にトリミングしてみた。

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近江八幡・酒游館

滋賀県は、中央に日本一の湖・琵琶湖を擁する近畿の水瓶。京都の陰に隠れていささか地味に感じるが、史跡や国宝、重要文化財も多く、おいしいものにも恵まれている。

近江名物といえば、ふなずしだとか、鮎の甘露煮だとか、いろいろあるけれども、私は「赤コンニャク」が好きだ。コンニャクといえば、灰色か白が定番だが、近江八幡では「赤」と決まっている。べんがら塗のような、ちょっと錆びた赤はコンニャクとしてみると衝撃的だが、これを土佐煮にすると実においしい。別に唐辛子が入っているわけではない。その由来はよくわかっていないが、ハデ好きの殿様、織田信長に由来するとも言われる。なるほど、コンニャクまで赤がいいというのは、何となく信長っぽい気もする。

ほかに近江の名物といえば、近江牛に、湖の淡水魚、そして近江米。近江八幡なら、丁字麩もうまい。そうした近江の味がぎゅっとひとまとめに詰まったのが、近江八幡の酒游館の「ことぶき膳(梅)」(2520円)。同店は西勝酒造が営業している。享保二年(1717年)創業の老舗の造り酒屋。店舗は酒を熟成させる蔵を改装したもの。

料理は一膳一重。お膳には近江牛のしぐれ煮や赤だし、炊き合わせ。お重には近江牛のたたき、赤コンニャクの土佐煮、丁字麩の芥子酢みそ和え、鮎の甘露煮など、近江名物がぎっしり。もちろん、ご飯のお米は近江米に違いない。さらに食前酒として西勝酒造の酒が付いてくる。私たちの時は「風花」という濁り酒が供された。こうして並べると、近江の食の豊かさがよくわかる。織田信長も賞味したであろう濁り酒や赤コンニャク。近江の歴史に思いをはせようと思ったけど、酔いに霞んだ頭は目の前の美味に気を取られるばかりだった。
■523-0862 滋賀県近江八幡市仲屋町中21
■(0748)32-2054 FAX(0748)32-6336
■午前10:30〜午後5:00 火曜定休
http://www.shuyukan.com/index.html

Shuyukan

写真は「ことぶき膳」のお重。

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古都暮色

本日はあれこれ細かい能書きはなし。
古都の夕暮れをお楽しみください。


Yuuhi

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石黒香舗のにほひ袋

匂い袋は京土産の定番のひとつ。といっても、観光地の土産物店などで売っている、ほんのり香水の香りの匂い袋ではない。せっかくの京都だ。本格的な香りを手に入れたい。

京都にはお香の老舗がいくつもある。私がよく訪れるのは三条通柳馬場西入ルの「石黒香舗」安政二年(1855年)創業の匂い袋専門店だ。店内は香木の香りで満ちている。定番の巾着型の匂い袋のほか、同店オリジナルの干支や花、動物など様々な意匠を凝らした匂い袋は見ているだけで楽しい。

店の奥では好みの袋に好みの香りを入れてくれる実演販売もしている。贈る人の顔を思い浮かべながら、袋を選んだり、香りを選ぶのは楽しい。香りは白檀のみのもの、定番の香り、さらにさわやかさを増したもの、そしてじゃこう入りの高級品がある。小さなものは347円からと、価格もお手ごろなのがうれしい。

匂い袋の香りは香木の配合によって複雑に変化する。白檀だけのものは甘く酸味のある香りが特徴。白檀は匂い袋のベースになる香木でもある。そこへ丁字(西洋料理で使うクローブのこと)や桂皮(シナモン)、大茴香(中華料理で使う八角)、龍脳など様々な香料を混ぜ、好みの香りを作り上げていく。甘松はそれ単独ではいい香りとは言い難いが、香りに深みを出すには欠かせない。

源氏物語でもお香は随所に登場する。光源氏の女君の中でも一番いいお香を持っていたと考えられるのが、末摘花。彼女は没落貴族で邸は荒れ果て、食べるものもろくになく、薄汚れた衣装を着てはいたが、お香だけは先祖伝来の高級品を持っていた。光源氏が末摘花に初めてであったとき、えび香のいい香りが漂ってきたので、光源氏は「やっぱり」と思っている。

何が「やっぱり」なのか。さすがにいい香りを使っているので、やっぱり宮家の姫君、高貴な出自だというのである。付け加えておけば、このとき、光源氏は末摘花の容貌をまだ知らない。彼女に幻想を抱いている段階である。

ほかにも末摘花は、香木でできた衣装箱を持っていたり、乳母子の侍従が筑紫へ旅立つときには伝来の薫衣香を贈ったりしている。不美人だといわれても、世間知らずとばかにされても、守り続けてきた格式だけは誰にも負けないのが末摘花だ。成り上がり者では手に入れられない香りを、末摘花はまとっていたのである。
Photo
写真は石黒香舗で作ってもらった匂い袋。黒い招き猫の柄がかわいい左の紫は、私の好きな龍脳多めのさわやかな香り。右の赤はじゃこう入りの極品。正絹の金襴の袋に入っている。

■ 〒604-8111 京都市中京区三条通り柳馬場西入
■ TEL 075-221-1781
■ FAX 075-221-8091
http://ishiguro-kouho.com/index.html

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大本山盧山寺 紫式部邸宅あと

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盧山寺は13世紀中盤に、現在の出雲路あたりに開かれた寺である。その後、船岡山南麓にあった輿願金剛院に統合された。現在地に移ったのは1573年。ここは紫式部の邸宅だったところだ。

紫式部の住まいはその曾祖父、中納言藤原兼輔によって建てられた。賀茂川の西の堤防に接していたため「堤邸」と呼ばれ、兼輔は堤中納言の名で呼ばれている。ちなみに「堤中納言物語」という平安後期の物語があるが、これは兼輔とは何の関係もないらしい。

その後邸は叔父の為頼、父為時と受け継がれた。紫式部が住んだころにはすでに築100年は経とうかという古い家だったそうだ。

源氏物語ではこのあたりを「中川のわたり」としており、光源氏が空蝉と出会った紀伊守の家もここからやや南に下がったあたりに設定されていたと考えられている。さらに、その南には麗景殿女御の中川の邸、つまり花散里の姉の邸が想定されていた。

紫式部が、自分の邸の近くに空蝉や花散里といったどちらかというと地味な、でも好意的に描かれた人物の住まいを置いたのは、何らかの意味があるのだろうか。

私が訪れたときはちょうど、非公開文化財の特別拝観が行われており、住吉廣尚画の「若紫」の絵が展示されていた。また、本堂前の庭は「源氏庭」と名付けられており、紫式部にちなんだ紫色の桔梗が植えられている。

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藤袴

源氏物語の巻名にもなっている藤袴は菊科の植物。
「藤袴」の巻で、夕霧は玉鬘にこの花を差し出す。それまでは姉弟だと信じていた人が、いとこだと知った驚き。その気持ちはいつしか思慕に変わり、夕霧は「同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかごとばかりも」と歌を詠む。それをさらりとかわす玉鬘。物語中ナンバーワンのモテ女に果敢に挑んだ夕霧はすごすごと引き下がるのみだった。

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写真は源氏物語千年紀プレイベントの会場におかれていた藤袴。平安時代はありふれた野草だったが、現在では絶滅寸前の稀少な植物。KBS京都では源氏物語千年紀のイベントのひとつとして「守ろう!藤袴キャンペーン」を実施している。

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源氏物語千年紀 プレイベント 華麗なる源氏物語の世界〜序章〜

11月1日、京都市の京都会館第2ホールで「源氏物語千年紀プレイベント 華麗なる源氏物語の世界〜序章〜」が開催された。

プログラムは、能楽金剛流二十六世宗家の金剛永謹(ひさのり)さんによる舞囃子「源氏供養」に始まり、様々なプログラムが披露された。メインプログラムは源氏物語千年紀委員会呼びかけ人でもあるドナルド・キーン氏の講演「源氏物語と私」。講演会の詳細は関西インターネットプレスに掲載しているので、そちらをご覧ください。

今回のイベントは来年11月1日の源氏物語千年紀に向けた1年のスタートとなる大きなイベントで、参加者も千人を数える大盛況。ドナルド・キーン氏のお話など、源氏物語に関心の高い層にとっては、非常に興味深い内容だったと思う。しかし、せっかく千年に一度の年なのだ。源氏物語ファンだけではなく、源氏物語を知らない人、源氏物語に関心の薄い層にも源氏物語千年紀を周知し、源氏物語に興味を持ってもらうための催しが必要ではないだろうか。

ドナルド・キーン氏も講演の中で話していたが、現在の学校教育では源氏物語を文学として鑑賞するのではなく、古文の文法の読解のために教えている。そのため、学生たちは係り結びなど読解にばかり力を入れ、文学として源氏物語を読むことを知らない。大学に合格してしまえば、それっきり源氏物語を手に取らない人がほとんどだ。これでは源氏物語嫌いばかりを増やしているようなものだ。

せっかくの源氏物語千年紀。学校教育の中で源氏物語を現代語訳で読ませたり、原作に忠実な映像を作るなど、源氏物語の裾野を広げる取り組みを期待したい。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学18 明石入道は失敗したのか?(2)

(前回からの続き)

■結婚したのはいいけれど

さて、光源氏を明石に迎えた入道、こうなったら作戦開始です。まずは男同士でうち解けて話し合い、その次は娘の琵琶が上手なことを自慢します。そういわれれば「一度聞かせてよ」というのが、礼儀でしょう。そうでなければ光源氏ではありません。でも、光源氏と明石入道の娘(=明石の君と呼びます)は、ずいぶん身分違い。光源氏も最初は自分の家に娘をよこすよう、話を持って行こうとしています。

でも、これでは召人扱いです。召人というのは、お手つきの使用人のこと。決して対等な扱いではありません。入道は、何とか、妻の一人として扱ってもらおうとあの手この手を使い、ようやく光源氏を自宅に迎えることに成功、明石の君は光源氏と結ばれることになりました。

これだけなら、明石入道の作戦は大成功ですが、光源氏は都に愛する紫の上を残したままです。都を出てくるときには「心はあなたのそばにあるよ」と誓い合ったのに、一人にしておけばこの始末。さすがに本人も気がとがめたのか、明石の君のところに通う足も間遠になりがちです。明石の君は、こんなかりそめの関係なら、出会わない方がよかったと悔やみます。

それでも、男女の仲は少しずつ慣れ親しむもの。時間とともに、光源氏の訪問も少しずつ増えてきました。その上、明石の君のお腹には光源氏の子が宿ったようです。これで自分の立場も安泰、と思ったかどうかはわかりませんが、少し気持ちも落ち着いた矢先、光源氏に帝の勅許が出て、都に戻ることになったのです。当然明石の君は置き去りです。女からすれば「私はもてあそばれただけ?」という気がするでしょう。

頑固で変わり者の父が、もし光源氏などと結婚させようと思わなければ、明石の君はこんな物思いなどしなくてすんだはずです。光源氏を送り出した明石の君の嘆きはどれほどだったでしょうか。いや、彼女だけではなく、周囲の嘆きも相当でした。入道の妻は「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたのかしら。あなたに従った私が馬鹿でした」とため息をつき、乳母と一緒に入道を非難します。入道は部屋の隅でいじけてしまいました。さらに数珠の置き場所がわからなくなったり、庭の遣り水に落ちて岩角で腰をしたたか打ったり、もう、さんざんです。きっと彼も心の中では「この結婚、失敗だったかも」と後悔していたのかも知れません。

さて、ここまでのお話だけなら、明石入道はぜいたくな高望みをして、娘を結婚させたのはいいけど、結局明石に置き去りにされて大失敗したということになりますが、お話はそう一筋縄ではいきません。きょうのところは「明石入道は失敗したのか?」という疑問だけを投げかけて、物語はこの先に続きます。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学18 明石入道は失敗したのか?(1)

前回、朧月夜との密会が露顕して、大変なことになりそうな光源氏でしたが、あれからどうしているのでしょうか?

■明石に住む変わり者

と、光源氏のことを書こうと思いましたが、ちょっとここで初登場の人物をご紹介しましょう。表題にもある「明石入道」。入道とあるから、お坊さんです。この人は大臣家の出身で、かつては近衛中将にまでなりましたが、その位を捨て、播磨の国の国司になった人。国司というのは受領で、いまの知事みたいなものですね。中央の貴族に比べるとずいぶん階級、身分が劣ります。ですから、大臣家の子息が受領になるなど、当時は考えられないこと。それをあえてしてしまったこの人は、かなり変わり者だということがわかります。いまは出家して明石に住み着いています。

この人には一人娘がおり、それはそれは大切に、まるで都の貴族のように育てていました。まあ、自身が大臣家の出身ですから、貴族のあるべき姿はよくわかっていたのでしょう。娘は美しく育ち、地元の国司などから結婚の申し込みを受けたりしていますが、入道は一切承知しません。娘は高貴な人と結婚させようと理想を持っている様子。娘には「もし自分が死んで、希望しない結婚でもすることになったら海に入って死んでしまえ」といっているぐらいです。やっぱり、変人ですね。

それから、この人の血筋にもちょっと触れておきましょう。大臣家の出身といいましたが、この人の叔父は按察大納言(=光源氏の母・桐壺更衣の父)。ということは、桐壺更衣とはいとこ同士に当たります。光源氏とはまったく縁がないわけでもありません。

一方、光源氏。密会が露顕してから、帝への謀反の疑いをかけられ、官位は剥奪されて、さらに流罪にされそうな雰囲気になって、思い切って須磨に退くことになりました。明石入道が暮らす明石とは目と鼻の先です。明石入道は娘を光源氏に縁づけようと考え、須磨へ迎えをよこします。ちょうど暴風雨で落雷に遭い、家が焼けたりして弱っていた光源氏たちは、この誘いに乗り、明石に移り住みました。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学17 大変!情事がばれちゃった(2)

(前回からの続き)

■密事はやがて露顕する

ドラマや小説では、こうした密事はたいてい露顕するものです。源氏物語だって例外ではありません。朧月夜が「瘧病(わらわやみ)」という病気になり、右大臣の邸に退出していたときのことです。体調も回復したころ「滅多にないチャンス」と、光源氏と自分の部屋で毎夜デートを重ねていました。一つ屋根の下には右大臣も、弘徽殿大后もいるようなところなのに、あきれるほど大胆です。光源氏はこんなシチュエーションがきっと燃えるんだと思います。周りの女房たちはやっかいなことを避けたいがために、告げ口したりはしません。

ある日、明け方ごろに激しい雷雨に見舞われました。みんなおびえて家中騒ぐので、光源氏は帰るに帰れません。夜がすっかり明け、雨が小降りになったころ、右大臣がお見舞いにやってきました。雨の音で足跡などが聞こえなかったのか、その訪れは唐突です。大変早口で「大丈夫ですか?心配していたんですよ」などというので、光源氏はつい笑ってしまいます。

朧月夜はあわててベッドルームから出てきたのですが、彼女の着物の裾に男物の帯がまつわりついているではありませんか!あたりにはなにやらラブレターめいた紙なども散らばっています。右大臣は大あわて。「それは誰のだ」と息巻いています。「これほどの立場の人なら、我が子ながら恥ずかしいだろうと考え、それなりに遠慮するものだ」と紫式部は書いていますが、右大臣はそんなことはお構いなし。自ら几帳の奥をのぞき込むと、そこにはしどけなく寝乱れた男の姿。

これを見てあわてた右大臣、めまいがするような気分で、弘徽殿大后に告げ口に行きました。朧月夜は茫然自失、光源氏も困惑しています。そして話を聞かされた弘徽殿大后の怒りのすさまじさ。それは当然でしょう。自分の息子が軽んじられたことにもなるのですから。その激しさは、右大臣に「何で話してしまったんだろう」と後悔させるほどでした。弘徽殿大后は怒りながらも、これを機会に光源氏を排斥しようと、なにやらたくらみ始めた様子です。

もう、これは光源氏の失敗中の失敗のひとつでしょう。密会は秘密にできてこそ密会です。やり方がありますよね。密会のルールを守れなかった光源氏はいよいよ政治生命まで危うくなってきました。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学17 大変!情事がばれちゃった(1)

■逢瀬を続ける王朝のロミオとジュリエット

ずいぶん前の話になりますが、花の宴の折、弘徽殿の細殿で光源氏と出会って恋に落ちたお嬢さんを覚えてらっしゃるでしょうか。彼女の名前は朧月夜。朧月夜の歌を歌っていたたのでこう呼ばれます。光源氏の政敵、右大臣の娘にして、母をいじめ抜いた弘徽殿大后の妹。しかも弘徽殿女御の息子の皇太子のお妃になることが決まっていたのに、光源氏がキズモノにしちゃったので、それもかなわなくなってしまったという、まるでロミオとジュリエットのような、因縁浅からぬお相手です。

右大臣が催す藤の宴で再会した二人は、その後どうなったのでしょうか。彼女は皇太子妃になるのをあきらめ「御匣殿(みくしげどの)」という女官になりました。いわゆるキャリアウーマンですね。この立場にあると、天皇のお手つきになる可能性もあります。でも朧月夜の心はまだ光源氏に向いています。ことの顛末を知った右大臣は、光源氏の正妻の葵の上が亡くなったのを機に、光源氏と朧月夜を結婚させようと考えたりしています。

ところがこれに憤慨しているのが弘徽殿大后。彼女は光源氏を「いと憎し=すごく憎たらしい」と思っているので、大反対。宮仕えをさせながら、天皇の妃にしようと画策しています。このときにはすでに桐壺帝は退位し、弘徽殿大后の息子の朱雀帝が即位しています。その後、桐壺帝が亡くなり、前任者の退職に伴い、朧月夜は尚侍(ないしのかみ)に就任しました。 

尚侍は「内侍司」という後宮の部署の長官です。更衣に準じた役割も持っていました。つまり、天皇の寝所に侍って、妃同様の役割を果たすということです。朱雀帝とは叔母と甥の関係ですが、当時はそういうこともよくあったようです。朱雀帝には格別の寵愛を受ける華やかな身の上ですが、心の中ではいまも光源氏を思い続けているようです。

一方の光源氏も、障壁のある恋ほど燃え上がる性質。二人は密かに手紙をやりとりして、情熱の炎を燃やしています。時には帝が法会のために謹慎しているときに、後宮の一室でデートをしたり、かなり危ない橋を渡っています。まあ、朧月夜はそんな危険を冒してでも会いたくなる、魅力的な女性のようですが。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(2)

(前回からの続き)

◆それをいっちゃあお終いよ

だけど、王朝貴族だって恋の失敗ぐらいあります。今度は目を転じて、光源氏の息子、夕霧の場合。この人は光源氏と亡き葵の上との間に産まれた長男。申し分のない身分に生まれた人ですが、意外と教育パパな光源氏の方針で、低い位から宮仕えし、様々な学者について勉強もした人です。幼なじみのお嬢さんと結婚し、光源氏とは似ても似つかぬまじめな息子に育ったのですが、中年になって死んだ親友の未亡人に恋をします。

でも、未亡人(落ち葉の宮といいます)は、死んだ夫の親友に口説かれるのが情けなくて夕霧を拒み、部屋の中に引きこもってしまいます。そんな彼女に夕霧がかけたことばは「まんざら世間を知らないわけでもあるまいし」。これって「処女じゃあるまいし」といったような意味。

こんなことばをいわれたら、なびこうかと思ってた女性だって頑なになります。現代女性なら、「セクハラよ!」とほっぺたの一つでもひっぱたかれそうないい方です。しかも、追い打ちをかけるように、部屋に閉じこもった未亡人に「その気になったら、出てらっしゃい」とまでいいます。これは女性が自分から「身を許す」というようなもの。女心を考えないことばの連発で夕霧はすっかり評価を落としてしまいました。

結局、夕霧は粘り勝ちでこの未亡人を落としますが、その口説き方は父・光源氏に比べてどうもスマートではありません。というか、はっきり言って、嫌われるようなことばかり言っています。このことばの「どこがいけないの?」と思ったあなたは要注意。女心をもう一度研究しなおしましょう。というわけで、王朝貴族の恋愛術、もしかしたらほかにも参考になる部分があるかも知れません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(1)

今回は源氏物語に見る、恋愛術の一例を取り上げたいと思います。まずは恋の成功者、光源氏の事例から。

◆ことばの魔術師、光源氏

光源氏がなぜ、たくさんの女性をものにすることができたのか、その要因はいくつもあります。まず、絶世の美男子であること。そして高貴な生まれと育ち。財力、父や嫁の実家のバックアップ、地位、名誉、才能・・・数え上げればきりがありません。でも、こんな華麗な経歴は、まあ普通に生まれ育った私たちには縁のない話です。

しかし、光源氏とて、生まれや育ちだけに依存して恋の勝者になったわけではありません。彼は恋の才能も豊かでした。その中でも特に目立つのが「マメ」ということ。いい女と聞けば、必ず口説く。口説かなくちゃ失礼に当たるとばかり、口説く。人間違いをしても口説く。

たとえば、空蝉の寝所に忍び込んだとき、空蝉と間違えてしまった軒端の荻に対しても「あなたを以前からお慕いしていました」なんて、しゃあしゃあと口説いています。あるいは、末摘花のような不美人でも、源典侍のような老婆でも、とりあえず口説いてみます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。

しかも光源氏の場合、鉄砲はほぼ百発百中。その秘訣はどこにあったのでしょうか。そのヒントは乳母の病気見舞いの場面に見られます。「私は子どものころに母も祖母も失って、あなたを親のように思ってきました」とか何とか、相手がほろりと来るような優しい言葉をかけています。

人間、お世辞とわかっていても、心をくすぐるような言葉をかけられればうれしいものです。しかも、それが本心から出ているように思えればなおさらのこと。光源氏は恋人だけではなく、お年寄りでも、誰にでも優しい言葉をかける人でした。それはまるでことばの魔術師。相手の立場に立ち、相手が何を言われれば喜ぶかを心得ているということです。これが光源氏を恋の勝者にした要因の一つでしょう。

あるいは、光源氏の障碍をものともしない大胆さも、女心を揺り動かす要因の一つかも知れません。たとえば、父帝の妃、藤壺との恋。数少ないチャンスを見つけ、人目を忍んで訪れる光源氏の姿に、藤壺は表向き拒みながらも、やはりその心にほだされていたのではないかと思います。

朧月夜の君との逢瀬もしかり。彼女は光源氏の政敵、右大臣の娘で、亡き母のライバル・弘徽殿女御の妹です。そんな人と、しかも彼女の家で逢瀬を繰り返していたのですから、やはり大胆としかいいようがありません。「もし見つかれば身の破滅」かも知れない逢瀬。それでも会いに来てくれる男性に、朧月夜の君は熱い思いを抱かずにいられなかったでしょう。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学15 王朝貴族のプライバシーと情報戦略 

今回は源氏物語の情報戦略について。戦略って、ちょっと大げさですが、この時代でも情報のコントロールは必要だったというお話。前後の話のつながり上、1回で掲載したので、少し長くなりますが、最後までおつきあいよろしくお願いします。

◆情報を操作する女房ネットワーク

「雨夜の品定め」で有名な「帚木」の巻には、「人の品、高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、かくるることも多く、自然にその気配、こよなかるべし。」という一節があります。(女性が)高い身分に生まれた場合、周囲にかしずかれて欠点も隠され、自然にいい女に見える」といったような意味です。

上流の女性はたくさんの優れた女房たちに囲まれています。平安時代、この女房たちのネットワークは強力な情報網でした。女房ネットワークにはあらゆる情報が流れます。たとえば、どこそこの中納言様は今度大納言様に昇格されるそうだとか、どこぞの若君があのお姫様にご執心だとか、あの奥様に二人目の赤ちゃんが生まれるとか、様々な情報が駆けめぐります。

そんな状態じゃ、主家のプライバシーなどないに等しいように思われますが、女房たちにとって主家の利益は自分たちの利益。できる限り、主家にプラスになるような情報を流すでしょう。ですから主家のお姫様について誰かに聞かれても、欠点は隠し、長所を挙げるというのが女房たちの情報のコントロール方法でした。

たとえば、源氏物語一の不美人・末摘花のことも、光源氏に伝えられるときは容姿や性格についてはまったく触れられず「琴を友に寂しく暮らしている」というロマンチックなお話だけが伝えられています。まあ、末摘花の場合、没落貴族なので上流とは言い切れない部分もありますが、貴族の女性たちの素顔は女房たちのネットワークによって情報操作されていたことがうかがえます。

女房たちの善し悪しは情報操作の質をも左右します。後年、光源氏の若い妻となる女三宮は柏木という若い男性と密通していましたが、彼の手紙を隠しそこなって光源氏に見つけられてしまいます。この事件をきっかけに、柏木は病死し、女三宮は不義の子を出産後出家するという悲劇に見舞われます。

女三宮の女房たちは子どもっぽく、軽いタイプの女性がそろっていたと書かれています。彼女たちは女主人の不義を上手に隠すすべを心得ていなかったのでしょう。もし、主人の情報をきちんと守れる大人の女房なら、こんな悲劇は起こらなかったかもしれません。

◆私たちは自分でコントロールする

さて、翻って現代はどうでしょう。たとえば政治家を例に取ってみます。国会議員なら、情報戦略にも相応の予算をかけられるでしょうから、ウェブサイトでもそれなりに完成度の高いものを発信することができます。実際、有名な政治家のサイトを見ても、それなりのプロが作ってるんだな、ということがよくわかります。もちろん、発信する情報についても十分精査されているはず。無用の情報や本人に不利な情報を発信することはありません。これは上流の女性が欠点を隠されるのと同じようなものです。

ところが、地方議会の議員などになると、自分でウェブサイトを作っているのか、素人に任せているのか、ずいぶんずさんなものが見つかったりします。先日、まったく別件で検索をしていたところ、とある県議会議員のサイトのディレクトリにある資料にアクセスできてしまいました。そこには何と、その県の職員全員の名簿が。局や課、係と行った細かい所属まで明記されていて、誰が何を担当しているかはっきりわかります。そういったものを簡単に見られるところに置いておくのはいかがなものでしょう。

さらにこの人、自分のプロフィールに現在の役職や家族のことまでずらずらと書きたてています。なんたら研究会の会長だの、ナントカ業協会の顧問だの、消防団の団員だの、名誉職がうれしいんだか何だか、いっぱい羅列してあります。なかには何某中学校PTA会長といったものも。家族は妻と子どもが何人か。名前も誕生日も丸わかり。PTA会長をしているということから、息子が通っている中学校の名前までわかります。ここまで細かい情報を出す必要はありませんというより、出してはいけません。

たとえば、子どもたちの誕生日。自分の誕生日をキャッシュカードの暗証番号に使うのはいまや非常識ですが、子どもの誕生日を暗証番号にしている人はまだいるのではないでしょうか。この県議の妻がそうしていないとは限りません。あるいは、子どもの学校も名前も誕生日もわかっている場合、誘拐のターゲットにされる可能性もあります。

この県議は情報のコントロールということをあまり理解していないのかも。国会議員のように予算をかけられないからとか、アドバイスしてくれるブレーンがいないからといった言い訳はあるでしょう。でも、どの情報を公開し、どの情報を非公開にするか、といったことは自分でも選択できるはずです。

源氏物語から現代にいきなり飛んでしまいましたが、いずれも情報をいかに発信するか、いかにコントロールするかが大切、ということです。これは一般人のブログなどにもいえることです。発信する内容を十分精査しなければ、炎上したり、プライバシーがだだ漏れになったり、いろいろな問題が発生します。みなさまなら十分理解されていると思いますが、どんな情報を発信すれば、自分にとってメリットがあるのか、これは書いても大丈夫か、女房のいない私たちは自分で考えなければいけない、というお話でした。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に加筆訂正の上、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(2)

(昨日からの続き)
◆父の未亡人をひたすら口説く 

もうひとり、しばらく出てこないのが藤壺。桐壺帝が退位して普通の夫婦のように一緒に暮らしていましたが、その桐壺院が亡くなってしまいました。院に居続ける理由のなくなった藤壺は三条の里邸で暮らすことになりました。光源氏にすればもう、ふたりの逢瀬を妨げるものがなくなったということです。このチャンスを逃す光源氏ではありません。

ある日、どのように仕組んだのか、光源氏はまんまと藤壺の部屋に忍び込んでしまいました。切々と口説く光源氏。ここで光源氏を受け入れれば、自分の産んだ子どもの立場が危うくなると、光源氏を拒み続ける藤壺。そのうちに、藤壺はたまらなくなって胸さえ痛み始めてきました。周囲の女房はうろたえて、光源氏を塗籠(ぬりごめ 周囲を壁手固めた部屋、寝室や物置に使われる)に隠し、藤壺を介抱します。

ここで注意したいのが「御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし」という一文。光源氏の衣を隠している人も大変困った、ということです。言いかえれば、光源氏はほぼ裸だったということ。つまり、男女のことがあったことが読み取れます。藤壺は心は拒み通しても、からだは受け入れてしまったということですね。受け入れる性である女性の悲しさを感じさせられます。

源氏物語の時代、物事をあからさまにするのは見苦しいこととされていました。それゆえ、紫式部も男女のことはそれほどあからさまに書いたりしていません。でも、行間を読めば、なんとなく読み取ることができます。そんなことばかり考えているのもどうかと思いますが、たまにそういう読み方をすると、源氏物語がもっとおもしろくなるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(1)

源氏物語には非常にたくさんの人物が登場します。共感できる人物やそうでない人、あるいは好きな人、嫌いな人、様々ですが、なじみになった登場人物がしばらく出てこないと「あの人、どうしちゃったのかな?」と思ったりします。というわけで、今回はちょっとだけ大人の源氏物語。

◆秋の一夜 野宮の逢瀬

ここしばらく登場しないのが、六条御息所。あの生霊騒動以来、彼女の姿を見ませんが、どうしているんでしょうか。実は彼女の娘の姫宮が伊勢神宮の斎宮に選ばれたので潔斎のため、一緒に嵯峨野の野宮にこもっていました。いまでも嵯峨野には野々宮神社がありますが、これはその名残。本来斎宮が変わるごとに新築されていたので、現在とは違う場所にあったと考えられますが、黒木の鳥居が当時の姿を今に伝えています。

六条御息所はもともと教養高く優雅なマダム。風流に、趣向を凝らして住んでいて、嵯峨野の邸は都の貴族が集まるサロンとなっていました。しかし、そこに光源氏の姿はありません。生霊騒動以来、光源氏は六条御息所と距離を置いていました。六条御息所だって、光源氏の気持ちはよくわかっています。一切の未練を断ち切って、娘とともに伊勢に下ってしまおうと心を決めていました。光源氏もそれは理解していますが、そのまま別れてしまうには惜しい女性でした。光源氏は意を決して六条御息所の元を訪れました。

時は9月7日。秋の盛りの嵯峨野の夜は風情豊かです。都からはるばる訪ねてきた光源氏を、六条御息所はもう会う立場ではないと、娘の潔斎にかこつけ対面を拒みました。でも、それにくじける光源氏ではありません。静止する女房を振り切り、強引に上がり込んでしまいました。

ずっと思い続けてきた人、恋しい人、愛しい人。もう会えないと思っていた光源氏の姿を久しぶりに見た六条御息所の気持ちはどうでしょう。恋したことのある人ならきっとわかると思います。しかも光源氏は「伊勢行きは思いとどまってください」と六条御息所を口説きます。このことばが光源氏の本心かどうかは別として、ゆらゆら揺れる六条御息所の心。

場面はいつの間にか夜から夜明けに変わっています。まさか、かつてあれだけ情熱をぶつけ合った二人がただ語り明かしただけ、というわけはないでしょう。娘の潔斎のために野宮にこもっている六条御息所ですが、ここは光源氏と一夜をともにしたということだと、私は解釈しています。だいたい、源氏物語では男女の間にそういうことがあったかなかったか、うすらぼんやりとしか書かれていないことが多々あります。はっきりしてほしいと思うこともありますが、そこは大人の勘と経験と行間から判断するしかありませんね。

それにしても光源氏は罪作りです。二度と会えないと思っていた人と、一夜をともにした喜びは大きいかもしれません。でも、そういうことがあったから、後ろ髪を引かれます。心が残ります。なまじ会わない方が心が乱れなくてよかったのかもしれません。六条御息所はこのあと伊勢に向かいますが、その道すがらも、伊勢に着いてからも光源氏への思いを断ち切れずに過ごすことになるでしょう。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(2)

(昨日からの続き)
◆臣下の子が皇位に付く?

こういうことを頭に入れて、源氏物語の皇位継承について見てみましょう。光源氏が生まれたとき、帝は桐壺帝でした。桐壺帝は光源氏を皇太子にしたいと考えたこともあったとは思いますが、光源氏の母・桐壺は更衣と身分が低く、その父は按察使大納言(あぜちのだいなごん)で、しかも桐壺が入内したころにはすでに亡くなっていました。いくら寵愛していても、実家の後ろ盾もなく、身分の低い母から生まれた子を皇太子にするわけにはいきません。もしそんなことをすれば、他のお后たちやその親族から、どんな指弾を受けるかわかりません。桐壺帝は無難に、右大臣の娘である弘徽殿女御が産んだ息子を皇太子にしました。この人が後の朱雀帝です。

一方、桐壺帝の前に別の帝がいました。この人は「先帝」と呼ばれ、桐壺帝の中宮で光源氏の最愛の人・藤壺やその兄・兵部卿宮の父です。また、六条御息所の亡くなった夫は先の皇太子でした。おそらく先の皇太子と桐壺帝は兄弟だったと考えられます。本来桐壺帝の後に天皇になるはずだった皇太子が亡くなり、弘徽殿女御の子が皇太子になったのではないでしょうか。

こうして弟から息子に皇位の継承権が移ったにせよ、ここまでの皇位継承に乱れはありません。しかし、源氏物語はこの後、とんでもない人物に皇位を継がせます。それは藤壺と光源氏の間にできた男子、冷泉帝。この人は、臣下の光源氏の息子です。物語とはいえ、臣下の子が皇位に付くことは許されるのでしょうか。源氏物語を読んでいると「本当にいいのか?」と疑問に思います。

でも、光源氏は桐壺帝の子。その息子の冷泉帝は桐壺帝の孫です。桐壺帝の男系男子であり、しかもそれを産んだのは先帝の四ノ宮の藤壺。実は皇統に乱れがあるわけではないのです。冷泉亭はきちんと桐壺帝のDNAを受け継いでいます。読者は違和感なくこれを受け入れることができるでしょう。物語とはいえ、皇統に乱れがないからこそ、源氏物語は長年受け入れられて来たのではないかと思います。

皇位の継承問題は源氏物語でも時に影を落とします。今後はこういったこともちょっとだけ頭に置いておくと、また、違った読み方ができるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に掲載した原稿に加筆し、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(1)

先日、秋篠宮悠仁親王殿下が1歳の誕生日を迎えられました。昨年のお誕生の際には41年ぶりの皇族男子ということで、改めて皇位継承問題が話題になったりしました。これに便乗して、今回は、源氏物語における皇位継承問題について、ちょっと見てみたいと思います。

◆平安時代の皇位継承

現在の皇室典範によると「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあります。皇位は天皇の直系男子に承継されるものであり、退位と養子が禁止されています。また、皇位の継承順位は皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫となっています。…と、このあたりはもう最近の皇室典範改正議論などでもさんざん目にしているでしょうから、省略しておきましょう。

さて、光源氏の時代の皇位継承についてです。平安時代の皇位は父から子、子から孫と必ずしも順当に継承されるものではありませんでした。親子で継承することもありましたが、時には兄弟で継承することもありました。たとえば、現実を見てみると、第62代の村上天皇は第61代朱雀天皇の弟です。このあたりを見てみると、直系で3代続いたかと思うと、また、何代か前の天皇の弟に皇位が移ったりして結構複雑に入り組んでいます。

また、帝の子として生まれたら、誰でも皇位に付けるわけではありません。「後宮」というものがあった時代です。後宮には中宮もいれば女御、更衣と様々な身分の人がひしめいていました。生まれた子どもらの立場は母親たちの身分とその実家の家柄や権勢がものをいいました。母親が大臣家の娘で女御であれば皇位継承者になる可能性はありますが(無能な大臣だったらなれないことも)、更衣であれば皇位につくのはほぼ無理といえるでしょう。戦のない平安時代ですが、宮中では皇位継承権をめぐる戦いが繰り広げられていました。

もし、自分の娘の産んだ子が皇太子になり、皇位に付けば、娘の父は天皇の外戚として権力をふるうことができるからです。外戚となって栄華を極めた人といえば「この世をば我が世ぞと思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と歌を詠んだ藤原道長です。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(2)

(昨日からの続き)
◆正式な手続きを踏まない婚姻の不安

光源氏はやっと思いを遂げた喜びでいっぱいです。二人が結婚したことを周囲に知らせるため、結婚のあとに食べる餅を整えたり、紫の上の裳着の儀(女子の成人式)を行い、兵部卿宮の娘だということも披露しました。一応結婚したという形を整えたわけです。

でも、当時の正式な結婚は同じ身分、階級の男女が手紙のやりとりに始まり、様々な手続きを踏んで一緒になるもので、家と家の結びつきが重視されていました。男は妻の実家を足がかりに出世しようと考えたり、妻の親も将来性豊かな婿を取って一家の繁栄をねらったりしたのです。

従って、本人同士の合意だけで成り立つ自由恋愛は野合と見なされ、軽んじられていました。正式な手段を踏まず、なし崩し的に事実婚に踏み切られた紫の上の場合は、双方の合意はありませんでしたが、プロセスを考えれば典型的な野合だったといえます。

もし、彼女が父・兵部卿宮の姫君としてその邸に住んでいたら、こんな目には遭わなかったかもしれません。実家の後ろ盾のない、野合的な結婚なんてしなくてすんだはずです。いくら光源氏のことを嫌っても、彼女にはほかに行くところがありません。世間的に認められた正妻の立場を得たわけではないのに、光源氏の愛情と財力以外、頼るものがないのです。

光源氏が本当に紫の上を愛しているのであれば、兵部卿宮との間できちんとした手順を踏んで紫の上を正妻にすべきでした。これは光源氏一生の不覚、大失敗でしょう。形が整っていれば、紫の上の立場は安泰だったはずです。一見愛されているようで、実はとても不安定なこの立場は、後々紫の上を悩ませることになります。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(1)

さて、前回妻を亡くして傷心の光源氏はその後どうしているのでしょうか。

◆手折られた花の不機嫌

光源氏22歳の秋ももう終わり近く。葵の上の喪に服していた光源氏は3カ月の服喪期間が明け、久しぶりに二条の邸に戻ってきました。ここには紫の上がいます。まだ正式な妻ではないので妻をあらわす「上」という語はつけられないのですが、ここでは便宜上そう呼びます。紫の上はいま14歳。育ち盛りの彼女は3カ月ほど顔を見なかった間に、美しさ、女らしさを増しています。その成長ぶりに光源氏は満足げ。

これほど美しく成長した少女を、ただ眺めて過ごすだけで満足する光源氏ではありません。そろそろ男女の関係になってもいいかも…と考え、紫の上にもそれとなくほのめかしますが、奥手なのか興味も示してくれません。でも、夜は光源氏と同じ床で寝ています。ですから、周囲の人にはいつそういうことがあったかわからないわけです。

ある朝光源氏一人が早く起きてきて、紫の上は布団をひきかぶったまま起きてこないことがありました。布団をめくっても起きようとはせず、不機嫌に押し黙っています。察しのいいみなさまなら、何があったかご理解いただけると思います。妻を亡くしたばかりなのに、なんてやつ、という感じですが、それが光源氏です。長い間紫の上の成長を待ち続け、ようやく思いを遂げた光源氏は実に上機嫌です。それは理解できます。でも、紫の上のこの不機嫌は何?

おそらく、この初体験が合意の上ではなかったということ。それまでも周囲から光源氏のことを夫といわれ、彼を父のように、あるいは兄のように思っていた紫の上。これが夫婦のあり方と、彼女なりに考えていたのかもしれません。それが思いもかけぬ乱暴狼藉。レイプまがいの振る舞いに、14歳の潔癖な少女は大きなショックを受けたことでしょう。その後も光源氏への嫌悪を露わにしながら、彼を拒んでいます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(3)

◆葵の上、退場

季節は八月、もう秋です。出産を終え、弱々しく横たわっている葵の上に、光源氏はいままでにない愛しさを感じています。葵の上も夫の愛を実感し、二人はようやくうち解けた夫婦になりつつありました。

八月は秋のビッグイベント「秋の司召」が行われる時期。いわば当時の大人事異動です。光源氏も左大臣もみんな御所に出かけていきました。ところが、そんなとき、葵の上が急に苦しみはじめ、光源氏たちに知らせる間もなく息を引き取ってしまったのです。ようやく夫と心が通い始めたのに、子どもも産まれてこれからというときに、彼女はあえなく物語から退場してしまいました。

大切な娘が亡くなった左大臣家はもう大騒ぎ。物の怪が取りついていたことを考え、遺体は2〜3日そのままにしておきましたが、どんどん様子が変わっていきます。遺体が朽ちていく様子を見守る家族の姿は凄絶です。8月20日過ぎ、ようやく葬送が行われました。

葵の上の死は、六条御息所が光源氏にさんざん振り回された結果、起こるべくして起こった事件だと言えるでしょう。事件の前、桐壺帝は光源氏に六条御息所の扱いについて忠告しています。「人のため、恥ぢがましき事なく、いづれをも、なだらかにもてなして、女の恨みな負ひそ」つまり、どの女も傷つけぬようにして、恨みを負うなといったところです。ずいぶんさばけた父の教えですが、役には立ちませんでした。今回の教訓は、この桐壺帝のひと言に凝縮されているのではないでしょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(2)

(昨日からの続き)
◆知らぬ間に魂が抜け出して・・・

あの祭の日から六条御息所は時々、嫌な夢を見るようになりました。出てくるのは葵の上と思われるきれいな女性。六条御息所は、横たわっている彼女の髪を持って引きずったり、激しく叩いたり、日ごろはあり得ない乱暴狼藉をはたらいています。「もしかしたら自分が知らない間に魂が抜け出しているのかも・・・」。おののく六条御息所。世間も葵の上が六条御息所の生き霊に悩まされているとうわさしています。「うわさは本当かもしれない」。人知れず悩む日が続きます。

一方、こちらは葵の上。出産までまだ日があると思われていたのに、急に産気づいて苦しみはじめました。大臣家のことですから、万全を期して加持祈祷にも力が入ります。そのとき、光源氏に向かって「お話ししたいことが」と葵の上。陣痛に苦しむ妻の手を取り、光源氏が慰めようとしたときです。

「調伏が苦しいので、少しゆるめてください。物思う人の魂がからだを離れてしまうって本当だったのね」そう語る女性の様子や声はまるで六条御息所。目の前で妻が愛人に変身してしまいました。そのときの光源氏の心情を、原文では「あな、心憂」と簡潔に表現しています。今風にいえば「うわぁ、気持わる〜」といった感じでしょうか。自分の奥さんの顔が、愛人の顔に変わったりしたら、それは気持ち悪いでしょうね。これを読んで「ぞっ」としたあなた、もしかして不倫中ですか?それなら、どうぞ気をつけてくださいね。

さて、苦しみながらも葵の上は無事男の子を出産しました。後に「夕霧」と呼ばれるようになるこの子は、表向き光源氏の第一子ですが、実は2人目の子ですね。そんなことは知らない帝や貴族たちからは続々と出産祝いが届きます。

六条御息所の耳にもそんな話は聞こえてきます。心は穏やかではありません。魂が抜けたような気がするときは、体に護摩を焚いたときの芥子のにおいが染みついているように思えます。髪を洗っても、衣を着替えてもにおいは落ちません。生き霊になってしまった浅ましい自分。六条御息所の嘆きはつのるばかり。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(1)

今回も雅に参りましょう、といいたいところですが、そうはいかないちょっと恐ろしげな気配。少しは残暑を和らげてくれるかもしれない、オカルトなお話に突入です。

◆賀茂神社の御禊の日に

光源氏22歳の夏。朝廷では桐壺帝が退位し、弘徽殿女御の長男・朱雀帝が即位。同じころ、光源氏の妻・葵の上が初めての子を妊娠します。この話でいつも思うのは、不仲でもセックスレスではなかったんだな、ということ。意外な気もします。とまれ、光源氏は妊娠した妻を見て、いままでになかった愛情を感じるようになっていました。

それとは逆に、光源氏の冷たさに泣いていたのが六条御息所。正妻には子どもまでできたというではありませんか。彼女の苦しみはつのるばかり。ちょうど六条御息所の姫君が天皇の代替わりに伴って伊勢の斎宮に選ばれたのを機に、一緒に伊勢に行ってしまおうかと思案しています。

斎宮と同時に、賀茂神社に使える齋院も代替わりします。そのときには様々な儀式が行われます。これがいまに伝わるのが葵祭。祭の前日に行われる御禊(身を清めるみそぎ)では、上達部がお供をすることになっています。光源氏もその一人に選ばれました。祭当日は、日ごろ姿を見るのも珍しい貴公子達が登場するとあって、大勢の人が見物にやってきました。なかでも光源氏はまるでアイドルのような人気です。

貧しい人々は徒歩で、身分の高い人は桟敷や牛車の中から見物します。その中にひっそりと止められている網代車がありました。光源氏への思い断ちがたく、ひと目を忍んでやってきた六条御息所の牛車です。ところが、そんなに混雑したところへ、大勢の従者を従えてゆっくりやってきた車が。こちらは周囲から進められて渋々やってきた葵の上の車。さあ、大変!本妻と愛人の鉢合わせ。ドキドキもんです。

葵の上の従者は、主人の威を借りて六条御息所の車を押しのけようとします。そこから従者同士の小競り合いが始まり、六条御息所の車は御簾が破れたり、車を壊されたり、見るも無惨な姿になって片隅へ押しやられてしまいました。

ちょうどそこに行列がさしかかります。光源氏は相変わらずの水際だったいい男っぷり。自分の女たちには目配せを送ったり、葵の上の前では威儀を正したりして通り過ぎていきます。でも、みすぼらしい姿になった六条御息所の車には目もくれません。高貴な生まれで、皇太子妃にまでなった六条御息所。世が世なら、彼女が皇后だったはずなのに、いまはただの捨てられかけの愛人です。しかも、正妻の従者にまで横暴を働かれ、六条御息所のプライドはずたずたに傷ついてしまいました。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(2)

(昨日からの続き)
◆私は何をしても許されるのです

人恋しさをもてあましていた光源氏はやれうれしや、と朧月夜の袖をとらえます。薄暗い廊下でこんなことをされたら、誰だってギョッとします。朧月夜は「まあ、怖い!誰なの?」とその振る舞いをとがめますが、光源氏は朧月夜を抱き上げて部屋の中に連れて行き、朧月夜は驚きで一体何が起きたのかと、呆然としています。その様子は可憐で、やはり普通の身分ではなさそう。結構気が強いのか「ここに人が!」と叫ぼうとします。

でも、そんなこと、光源氏はお構いなし。「私は何をしても許されるんだから、人を呼んでも困らないよ。まあ、静かにしてらっしゃい」と、平気です。これ、お坊ちゃまの光源氏だからいえることばです。朧月夜はその声に聞き覚えがありました。昼間の花の宴で、漢詩を吟じていたあの声。そう、光源氏の声。

「この人だったら、いいや」朧月夜がそう思ったかどうかはわかりません。原文では光源氏の声を聞いて「いささか慰めけり」、ちょっとホッとした、と書かれています。相手は当代一の貴公子。あまり物わかりの悪い女とも思われたくないわ、と思ったのか、朧月夜は結局光源氏に身を任せてしまいます。

肌を重ねてみれば、朧月夜は思いのほかに若々しくかわいらしい様子。高貴な姫君独特の気高さと、教養に裏打ちされたエスプリ、ちょっぴりわがままで気が強そうだけどかわいらしい朧月夜の様子に光源氏も彼女と離れがたく思います。でも春の夜は短く、お互いに名前も告げず、扇だけを交換して別れました。

その後、光源氏の乳母子・惟光らの働きで、朧月夜の正体がわかりました。右大臣が催した藤の宴で、二人はようやく再会します。実は朧月夜は弘徽殿の女御の妹。しかも皇太子妃になることが決まっていました。お妃になるはずの娘がキズモノになってしまって、右大臣にとっては大問題。なにやらロミオとジュリエットのような、波乱含みの恋の幕開けです。

今回の教訓、戸締まり、つまり日常生活をきちんとしておかないと、大切な娘がイケナイ男に捕まってしまうかもしれませんよ、というお話。弘徽殿の局の人たちが、もう少しきちんと戸締まりをしていたら、こんなきな臭い関係、始まらなかったかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(1)

源氏物語にはたくさんの貴族たちが登場します。光源氏を中心とした皇族関係や、光源氏の妻の左大臣一族、あるいは左大臣の政敵で光源氏の敵でもある右大臣一族など、それぞれ個性豊かに描き分けられています。今回は右大臣一族のお嬢様が登場します。

◆桜と月の美しい夜に

光源氏20歳の春のことです。御所で「花の宴」が催されました。これは春のビッグイベント。桜の下で帝や東宮、後宮のお妃、貴族や役人など多くの人が集まり、歌を詠んだり舞を舞ったりして1日を過ごす催し。帝に自分をアピールするチャンスですから、貴族たちも念入りに漢詩を詠んだり、ちょっと舞いの練習をしておいたり、準備には余念がありません。その中でも光源氏はひときわ輝いて見えます。「春」という漢字を読み込んだ漢詩も人々の賞賛の的。帝に請われて舞を舞えばまた見事。宴は夜遅くまで続きました。

さて、ほんのり酔い心地の光源氏。桜も月も美しい夜です。こんな夜って、ちょっとなまめいた気分になった経験、ありませんか?光源氏は恋しい藤壺にひと目でも会えないかと、御所の藤壺あたりをうろうろしています。もちろん、戸締まりは厳重。蟻の入り込むスキもありません。

向かいに見えるのは弘徽殿。光源氏の母・桐壺いじめの首謀者、弘徽殿の女御の殿舎です。弘徽殿の女御は帝の元に召されているようで、人も少なく戸締まりも不十分でどことなくスキのある雰囲気。酔っぱらいの光源氏は恐いものなし。厚かましく上がり込んで、女房たちの部屋をのぞいて回ります。コラ!

で、ふと見ると向こうから若い女性が「朧月夜に似るものぞなき」と歌いながらやってきます。服装から見ると身分の高い姫君のよう。彼女も宴の余韻冷めやらず、何となく浮かれていたのでしょうか。この姫君を「朧月夜」と呼びます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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小倉百人一首の殿堂 時雨殿

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 ニンテンドーDSのソフトに「DS時雨殿」というものがあるが、こちらはその本家本元。2006年の1月にオープンした百人一首の殿堂だ。小倉百人一首発祥の地、嵯峨野に作られた。百人一首といわれると、学校時代無理矢理覚えさせられた記憶があったりして、敬遠する人も多そうだが、ここは百人一首を知らなくても遊べる施設だ。

 フロアには靴を脱いで上がる。1階の体験フロアで最初に手渡されるのが、時雨殿用にローカライズされたニンテンドーDS。各種ボタンを取り払い、和風のカバーをつけたDSは「時雨殿なび」と呼ばれる。注目すべきは床。45インチのシャープ製フルスペックハイビジョン液晶ディスプレイがびっしりと70枚敷き詰められている。ここに映し出されるのは大きな大きな京都の航空写真。要するにディスプレイの上で、京都散歩ができるわけだ。ところどころCGで車が走っていたり、飛行船が飛んでいたり、鳥が京都を案内してくれたり、なかなか楽しい。

 航空写真の次は、このディスプレイでかるた取り。その名も「大きな札」。といっても、百人一首を読み上げて取るのではなく、時雨殿なびに表示された札と同じ札を踏むだけの簡単なもの。これなら、百人一首を知らなくても、子どもでも絵を見分けられれば遊ぶことができる。なお、時雨殿なびの使用時間は20分。

 本格的な百人一首の対戦は「体感かるた五番勝負」で。寝殿造りを摸した小部屋に、65インチの液晶パネルが設けられ、清少納言や紫式部といった歌人たちと百人一首の勝負をする。最初の相手は清少納言。この人はさほど強くない。勝負が進むごとに強い相手が登場し、最後の藤原定家は最強。最初の1〜2文字を聞いただけで札をとってしまうのだ。こんなやつに勝てるわけがない。しかも性格悪そうだし。

 2階は古い百人一首など資料の展示室。120畳の大広間には通常百人一首に登場する歌人の人形が展示されているが、百人一首の競技会などが開催される場合もある。
Photo

■京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11
■075-882-1111
■10:00〜17:00(最終入場16:30迄)
■月曜日(月曜が祝祭日の場合は火曜)・年末年始休館

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(2)

(昨日からの続き)
◆不義の子を身ごもって…

ところが!です。恐ろしい事実が判明します。藤壺の妊娠。男女の関係を持ったのですから、当然といえば当然ですが、相手は桐壺帝の妃。しかも、実家に帰っていたときに妊娠してしまったのです。光源氏もそれを聞き、恐れおののきます。二人の手引きをした王命婦もさすがに怖くなり、もう二人を合わせようとはしません。桐壺帝には「物の怪のせいで妊娠に気づくのが遅れた」とごまかしました。桐壺帝がこれを本当に信じていたのかどうかはわかりません。ただ、現在のように科学が発達していなかった分「物の怪のせい」ということばは有効だったようです。

一方、寵姫の妊娠を知った桐壺帝の喜びはいかばかりでしょうか。一層藤壺をそば近くにおいて離そうとしません。宴の音楽のリハーサルを見せたり、彼女を喜ばせようと心を砕いています。悪いことにそのリハーサルには光源氏も出演していたのです。頭中将と「青海波」という二人舞を舞いました。それを帝のそばで眺める藤壺。藤壺に届けとばかり踊り、歌を詠む光源氏。二人の心は千々に乱れていたことでしょう。

秋も過ぎ、出産予定の12月が過ぎ、正月を迎えてもまだ藤壺は出産しません。光源氏も藤壺も、これはあのときの子どもと、罪の意識におののいています。ようやく子どもが産まれたのが2月の10日過ぎ。生まれたのは光源氏そっくりの玉のような男の子でした。父性愛に目覚めたのか、光源氏はしきりに子どもに会いたがります。初めての子どもですからね。一方、藤壺は子どもの顔を見るのさえ恐ろしく感じています。だけど、こうなると母は強し。光源氏を遠ざけ、事実を知っている女房さえ遠ざけて子どもを守ろうとします。

出産を知って喜んだのが桐壺帝。自分のいちばんかわいがっている光源氏にそっくりな男の子。母親の身分も高く、この子なら将来皇太子にだってできます。しかし、桐壺帝が寵愛と期待を語るたび、藤壺は身の置き所のない罪の意識にさいなまれます。ある日、桐壺帝は赤ん坊を抱いて光源氏の前に現れました。「これが我が子か」と思う間もなく、「あなたによく似ている。小さいときはみんなこうなのだろうか」という帝のことばに光源氏はいたたまれなくなります。

ここで読者はコキュと間男の対面を読むことになります。満面の笑みで間男に不義の子を見せて喜んでいる図。何も知らず笑っている桐壺帝はとてもマヌケに見えます。おそらく、光源氏もおののきながらも一抹の軽侮を感じていたかもしれません。私も初めて読んだころはそう思っていました。だけど、少し大人になったいま、桐壺帝は、本当に何も知らなかったんだろうか、と思うことがあります。みなさんはどうお感じになりますか?(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(1)

今回は、失敗学でも何でもありませんが、源氏物語を語るに欠かせない重要局面なので、ここでまとめておきたいと思います。源氏物語重大事件のひとつ「藤壺妊娠事件」です。光源氏が若紫を自宅へ連れ帰ったり、末摘花にいいよったり、源典侍と浮き名を流している間に、こんな重大な事件が語られています。

◆「帝の妃」への恋

藤壺とは、光源氏の父・桐壺帝の妃の一人。先帝の娘で、光源氏の母・桐壺の死後、女御として桐壺帝のもとに入内しました。光源氏より5歳年上の藤壺は、その面差しが光源氏の母に似ているいわれ、光源氏と並ぶ美貌の持ち主として「輝く日の宮」と呼ばれていました。

藤壺のもとにたびたび出入りしているうち、少年時代の光源氏は恋心を抱くようになったのです。葵の上と結婚したころからすでに、藤壺に思いを寄せていたことが書かれています。ちなみに、光源氏が北山で出会い、我が家に連れ帰った紫の上(若紫)は、藤壺の兄、兵部卿宮の婚外子です。そのためか藤壺と紫の上もよく似ているとされています。

少年時代からふくらんでいった光源氏の恋心。しかし、帝の妃への恋は禁断の恋。容易には満たされません。空蝉に出会う以前、もしかしたら二人は関係を持ったのではないかという記述がありますが、それすらあまりにもぼかされていて、定かではありません。光源氏は満たされぬ思いを抱えながら長年過ごしていました。

藤壺と光源氏の恋のことを「義母との不倫」といったりする人がいますが、そういう考えはとても現代的ですね。ここは藤壺を「帝の妃」と認識しておくのがいちばん妥当だと思います。本稿でもそういう立場で話を進めていきます。

◆里帰りのすきにとうとう…

さて、そんなある日のこと。藤壺は体調を崩して実家に里帰りしました。光源氏はこのチャンスを見逃しません。ある日、藤壺の女房の王命婦に手引きを頼み、ついに藤壺と関係を持つことに成功したのです。ここでおもしろいのは「命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集めてもてくる」と書かれていること。光源氏が衣装を脱いでしまっていることがよくわかります。つまり、二人はことに及んでしまった、ということをここではっきりさせているわけですね。源氏物語にすると、珍しくえっちな表現です。

しかし、思いを遂げたのもつかの間、光源氏は短い夜を恨みながら藤壺のもとを去らなければいけません。一方、藤壺も光源氏を憎からず思っています。もしかしたら、彼女は桐壺帝よりも光源氏の方が好きだったのではないか、と思う節もあります。だけど帝の妃という立場は重いものです。もし、これが誰かに知られたら、と思うと藤壺は居ても立ってもいられません。とにかく、帝にだけは気取られたくない、と帝から参内の要請があってもなかなかこれに応じませんでした。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(2)

(昨日より続き)
◆ふたりの貴公子の間で揺れるおんなごころ

特にこれを聞いて対抗心を燃やしたのが光源氏の妻の兄・頭中将。彼は光源氏の親友ながら、ことあるごとに張り合うライバルでもありました。以前、光源氏が末摘花に言い寄ったときには、頭中将もやはり対抗して手紙を送ったりしています。頭中将もさすがに源典侍に手を出す気はなかったのですが、光源氏との関係を聞いて源典侍を再評価し、実地検証に及んじゃったみたいです。

もちろん、光源氏に冷たくされてさびしかった源典侍、こちらも当代屈指の貴公子からのお誘いです。乗らないわけがありません。もしかしたら「あたしって、こんなに若い男性から誘われて、まだまだイケテルのね」なんて、勘違いしていたのかも。

源典侍と頭中将の関係は秘密裏に進み、光源氏はまだ気づいていません。源典侍もことあるごとに光源氏の薄情を恨んだり、誘うようなそぶりを見せますが、光源氏もさすがにその気にはならないようです。ところが人はシチュエーションによって心揺れるもの。夕立が過ぎた風情豊かな宵、御所で源典侍が一人琵琶を弾いていました。さすがに名手だけあってつい耳を傾けてしまいます。催馬楽(さいばら)を歌う声もなかなかのもので、これに惹かれて光源氏はふたたび源典侍と夜をともにしてしまいました。

ところが、これをこっそり目撃していた男が!
ふたりがまどろみ始めたころ、男は源典侍の部屋に踏み込みました。物音に気づいた光源氏、これは源典侍の元カレが忍んできたのだと思って、屏風の陰へ隠れます。これを見た侵入者は太刀を抜いてえらく恐ろしげに振る舞います。ふたりの男にはさまれた源典侍はさすがに恋多き女。こんな場面にも多々遭遇してきたのでしょう、侵入者を押さえようと「あが君、あが君(=あなた、あなた)」とすがっています。

最初はとまどい「みっともない姿で逃げていくのはやだな」とか考えていた光源氏、侵入者ともみ合っている途中でようやくその正体に気づきました。男はふたりの様子をうかがっていた頭中将。こうなればもう、ほとんどじゃれ合いです。お互い袖がちぎれたり、帯がほどけたり、青年貴公子も見る影なし。ボロボロになったふたりは、そろって帰って行きました。その後ろ姿を見送る源典侍、ちょっぴり女冥利に感じていたかもしれませんね。

このエピソードは源氏物語の中でも珍しいドタバタです。でも、そんな中でもみんな歌を詠んでいるのはさすが王朝物語。雅は決して忘れません。さらに、こんなことがあった後も源典侍は光源氏を追いかけ回していたと物語は伝えます。うーん、ある意味ストーカーですね。この人。

ところで、源氏物語には様々なモデルが考えられていますが、この源典侍のモデルは何と紫式部の兄嫁だったとか。おなじく源典侍と呼ばれていた兄嫁は物語のおかげで宮中にいたたまれなくなり、典侍の職を辞したとも伝えられています。もしそうであれば、紫式部ってずいぶん罪作りです。

本日の教訓、超年上の女に手を出すときは、それなりに覚悟を決めましょう。加えて、小説家にはモデルにされないようにしましょう(←こじつけ)。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(1)

◆20歳の貴公子と「いたう老いたる」おんなの恋

以前、40歳の小泉今日子と20歳のKAT-TUN(カトゥーン)の亀梨和也くんの年の差カップルが報じられ、話題を呼びました。世の中年女性はこのオハナシに大いに勇気づけられたのではないでしょうか。何せ女性が20歳年上。まあ、小泉今日子だからOKなのかもしれませんが、それでもちょっぴり楽しい夢が見られそうな話題ではあります。

ところが!1000年も前、源氏物語ではもっともっとすごい年の差カップルが描かれていました。男性はいまをときめく20歳の青年貴公子、光源氏。ちょうど亀梨くんと同い年です。一方、女性は57、8歳。光源氏の3倍近い年齢。原文では「年、いたう老いたる=ずいぶん老いている」とも書かれています。いまの57、8歳ならまだまだ若々しい人もたくさんいますが、当時はもう本当におばあさん扱い。イメージ的には77、8歳ぐらいの雰囲気を思い浮かべてください。あ、東山紀之と森光子を思い浮かべるのもちょうどいいかも。

この女性は源典侍(げんのないしのすけ)と呼ばれ、帝に使えていました。源と付くぐらいですから、皇族の流れをくむ家柄の出身で、教養も高い才女。歌や音楽の才能もあり、帝も一目置いて重用していました。ところがこの人にはひとつ欠点が。原文には「いみじう仇めいたる心ざま」とありますが、ずいぶん浮気性だといったような意味です。つまり、いくつになっても男性を求めてやまない、よくいえば恋の狩人でした。

◆ストライクゾーン、広すぎ!

光源氏も恋の狩人としては人後に落ちません。恋のうわさが絶えない源典侍に「なぜこの年でそんなに浮気性なのか」と、興味を持ち、ついつい誘ってしまったのです。勇気があるというか、好奇心旺盛というか、恐いもの知らずというか。でも、源典侍の方は有頂天。孫のような年ごろの、水もしたたる貴公子からのお誘いです。飛びつかないわけがありません。結局ふたりは男女の関係に。わずか10歳の若紫を強奪してきたかと思えば、今度は超年上。光源氏のストライクゾーンの広さは脱帽ものです。

でも、光源氏が人間くさいところは「こんな関係、人に知られちゃまずいよな」と思っているところ。さすがに外聞が悪いと思ったのか、しばらくは源典侍に対してよそよそしく振る舞っていました。ところがある日、ふたりきりになる機会が。こんな時、ついちょっかいを出してしまうのが光源氏の悪い癖。源典侍にしたら「そんなところがカワイイ!」ってな感じでしょうが。

さて、ふたりきりになった源典侍、確かにファッションセンスは抜群です。ヘアスタイルも色っぽく華やか。だけど若作りなんですね。そばへ近づくとそれが一層あからさまに。さらに振り返ったその姿。紫式部はこれでもか、というほど意地悪い筆致でこき下ろしています。

目元は落ちくぼんで黒ずみ、髪はそそけだち、手元の扇はド派手なマッカッカ。しかもその端には「私はいま空き家よ」というような意味の歌が。それを見て改めてぞっとした光源氏、逃げようとするのですが、源典侍は袖をとらえて離しません。色気たっぷりに光源氏の気をひこうとし、冷たくされるとヨヨと大げさに泣いて見せたりします。

ところがこのシーン、障子の影から帝がご覧になっていました。うわさは瞬く間に宮中に拡大します。「光源氏様が源典侍と…」「ウソ、あんなおばあちゃんと?」「いやん、ショック」「源典侍様って隅に置けないわね」「私だって」などと、口さがない女房たちはあれこれうわさします。もちろん、宮中に仕える殿上人の間にも伝わっていきました。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(2)

(昨日より続き)
◆恐怖の女房ネットワーク

当時、貴族に仕える女房たちは、親戚同士だったり、複数の家に仕えている人がいたり、お互いが複雑につながりあっていました。そこには自然に女房たちのネットワークが形成されます。ネットがうわさも真実も形を変えながら伝えていくように、彼女らの話もあちこちに伝わり、広まっていきました。これに乗るのは主人たちのうわさや、スキャンダル。

どこそこの中納言が、誰かの娘に恋文を送っただの、あの大将がどこかに新しい女を作っただのという話が飛び交います。どこそこの大納言はステキな歌を詠んだけど、誰それの手紙と花のコーディネートは最低だったわね、などと彼女らにかかれば王朝の貴公子たちも形無し。

うわさ話が話題の中心なんてつまらない、なんていわないでくださいね。縁談ひとつが自分の主人の台所事情を変えるこの時代です。もし、自分の仕えているお姫さまの恋人が地方勤務になれば、お姫さまともども自分も地方に行くことになります。つまり、主人の動静が自分の去就をも決めるわけです。女房たちがうわさ話に熱心になるのも当然です。光源氏が紫の上を引き取ったという話も、このネットワークに乗って葵の上の耳に届いたんでしょう。

◆深まる溝、埋まらぬ隙間

閑話休題。
こんなうわさを聞いて、葵の上がおもしろいはずがありません。それでなくても訪れも絶え絶えな年下の夫。ようやく、顔を見せてくれたけど、笑顔で迎えられるわけないですよね。つんと取り澄ました硬い表情で夫に相対します。そんな妻に対し、光源氏は心の中で「もっと素直に恨み言を言ったり、泣いてすがったりすればもっとありのままを話して慰めることもできるのに。そんな風だから浮気するのさ」なんて、虫のいいことを考えています。気位の高い葵の上がそんなことできるわけないでしょうに。

この二人を見ていると、最初のちょっとしたボタンの掛け違いが少しずつ深い溝になっていくんだな、という感じがします。どちらが悪いというのでもなく、お互いにもう一歩ずつ歩み寄っていれば、もう少し近づきあえたはずです。この二人の隙間はいまのところ埋まりそうにありません。外では数々の女性と浮き名を流している光源氏も、妻には苦労しています。きょうは結婚のはじめに失敗しちゃった夫婦のお話をご紹介しました。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(1)

◆お妃候補だったのに…

さて、光源氏の結婚については以前ちらりと書いたことがありました。彼は12歳で元服した際、4歳年上の葵の上と結婚します。彼女の父は左大臣。母は光源氏の父・桐壺帝の妹。つまり、光源氏のおばさんの娘=いとこということになります。ああ、人間関係が錯綜していますね。

ともかく、彼女は民間人では最高クラスのお嬢様。美人で誇り高く、教養も十分な彼女は皇后になってもおかしくない立場です。実際、当時の皇太子から妃にと望まれています(皇太子の祖父は左大臣の政敵、右大臣です)。ところが桐壺帝の意向によって光源氏の妻になりました。左大臣にとっては帝の覚えがめでたくなり、政略としては成功に思えます。

でも、光源氏と葵の上にとってはそれが間違いだったかも。結婚当初から二人の間はぎくしゃくしていました。末は皇太子妃、と育てられていたはずの葵の上にすれば、何で光源氏と結婚しなきゃいけないんだろう、という感じです。いくら光源氏のルックスがよくても、才能にあふれていても、桐壺帝に寵愛されていても、臣下と皇太子では雲泥の差があります。

もし、葵上が皇太子に嫁いでいたら、彼女の人生はまったく違っていたでしょう。高い身分と美ぼうと教養を兼ね備えた彼女は内裏でも重んじられたはずです。宮中にライバル多しとはいえ、彼女にかなう人はなかなかいません。男の子を生んだら、その子は天皇に、彼女は国母になる立場の人です。

しかし、夫は臣下で4歳も年下。どうも結婚当初から、葵の上は自分の方が年上だということを気にしていたようです。そんな気持ちが、よけいに彼女をかたくなにしたのかもしれません。光源氏が訪れても、女房たちに囲まれて端然と座っているだけ。たまに話をしても、他人行儀。

◆堅苦しい妻にうんざり

一方、光源氏もお堅くてうち解けない雰囲気の葵の上になじめないものを感じているようです。恋のアバンチュールなら、いくらでも口から出まかせの愛のことばが出てくる光源氏も、葵の上相手ではどうも勝手が違います。話しかけてもかえってくる返事はタカビーで、会話もスムーズには展開しません。自然に葵の上を訪れる頻度も少なくなり、余計に二人の関係はこじれていきました。

そんなある日、葵の上の耳に飛び込んできたのは、光源氏が自邸に女性を引き取ったといううわさ。当時10歳の紫上のことですが、大人の女性だとか、光源氏はいずれこの人を正妻にするだろうとか、うわさはいい加減な方向にふくらみます。葵の上にしたら聞き捨てなりません。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(2)

(昨日より続き)
◆光源氏様って、ロリコン?

少女が藤壺に似ているのも当然。彼女は藤壺の兄、兵部卿宮が忍んで通った女性との間にできた子どもだというのです。光源氏は祖母・尼君にさっそく少女を引き取りたいと伝えます。だけど、そんなこと突然いわれても尼君が困りますよね。当然「まだ子どもですから」と相手にされませんでした。

その後も手紙を送ったり、乳母子の惟光を使いに出したり、あれこれ画策しますが、ことははかばかしく進みません。そのうちに尼君が亡くなり、少女は頼る人がなくなってしまいました。このチャンスを見逃す光源氏ではありません。少女の家をたびたび訪れ、時には彼女と同じ寝床で寝ようとすることも。周囲の女房たちは「子ども相手になにを…」と気が気ではありません。

一方、少女の父の兵部卿宮、いままで放っておいたくせにどういう風の吹き回しか、彼女を引き取ることにしたようです。兵部卿宮には気の強い奥さんとその子どもたちがいます。少女の存在はじゃまだったのでいままで尼君に預けていたのですが「まあ、放っておくわけにもいくまい」ってな感じで、引き取ることにしたんでしょう。そうなると、光源氏の思うようにことが進まなくなる可能性があります。

いよいよ明日引き取られようという前の夜、光源氏は先手を打って少女を連れ出し、自分の邸・二条院に住まわせることにしました。強引な手法です。18歳という若さがなしえた無謀といえるでしょう。

それから、折に触れて光源氏と少女の楽しい生活が語られます。少女の雛遊びの相手をしたり、手習いをしたり光源氏は彼女の成長をじっと待っています。末摘花の赤い鼻を見てしまったときには光源氏が自分の鼻を赤く塗って「私がこんな顔になったらどうする?」とふざけています。少女とのエピソードは重いお話の中の清涼剤のような役割です。

少女を連れ去った光源氏を「ロリコン」と評する向きがありますが、それは違います。ロリコンというのは少女を対象にした性愛ですが、光源氏の場合、この少女は性愛の対象ではありません。光源氏の関心はあくまでも成長した女性にあります。いまは少女の成長を心待ちにしている段階。早く大輪の花を咲かせよとばかりに水をやり、肥料をやり、将来の姿を楽しみにしているところです。なので「光源氏って、ロリコンよね」という誤解は解いていただきたいのです。本日は失敗学ではありません。ちょっぴり光源氏の弁護に回ってみたくなった、というのが本音です。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(1)

◆あの人に似ている…

光源氏18歳の春。前回登場した末摘花にメール、じゃなかった、恋文でアプローチしていたころ、光源氏は瘧病(わらわやみ)という病気にかかります。マラリアみたいに熱が出たりひいたりする病気ですが、この治療のために、光源氏は北山に加持を受けに行きました。北山というのはいまの金閣寺か鷹峯あたりだと考えられています。満開の桜、春霞の山々、舞台装置は実に美しくのどかです。

そこで光源氏は近くの僧房に女性が身を寄せていることを知り、のぞき見に行きます(オイ!)。当時、女性の姿って、滅多に見られるものではなかったので、男たちはこうしてのぞき見(垣間見といいます)で、女性の姿を知っていたわけです。だから、別段これは犯罪ではないので、お見逃しください。

そこに登場したのは「雀の子が逃げたの」と泣きながら祖母の尼君の元に走り寄る10歳ぐらいの少女。「走る」という、当時の女性としては異例の登場で、彼女は読者に強い印象を残します。そして光源氏にも。

少女の姿を見たととたん、光源氏は彼女から目が離せなくなりました。「あの人に似ている」。光源氏が少年のころから思い続けてきた人、父の妻・藤壺の女御にそっくりなのです。将来どんなに美人になるだろう。あんな姫を引き取って藤壺の代わりにできたら、自分の思うとおり教育して理想の女性に育て上げたら、どんなに楽しいだろう、と思いを巡らす光源氏。(明日へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学5 末摘花の巻 やっぱり、うわさを信じちゃいけないよ(2)

(昨日からの続き)
◆赤鼻のお姫様

さて、久々に姫君と一夜を過ごし、明くる朝は一面の雪。この雪明かりで光源氏は初めて姫君の顔を見ました。そのときの感想は「あな、かたは」と書かれています。「うわ、なんだこれは!」という感じでしょうか。やけに座高が高くてやせさらばえていて、おまけにひどい馬面で、着物も薄汚れていて、黒貂の毛皮を羽織った姿は目も当てられません。
何より驚いたのは鼻の先が長く垂れ下がっている上、赤く色づいていること。このことから彼女はベニバナの別名である「末摘花」の名で呼ばれます。

紫式部は残酷なほどリアルに彼女の不美人ぶりを描いています。ただ、落とすばかりではなく「髪の毛だけは黒々と長く豊か」と美点を書き加えているのはさすがに宮家の姫君に遠慮したのでしょうか。まあ、彼女の姿を見た光源氏はそれはそれは驚いたでしょう。いままで美人ばっかり見ていたのに、こんな不美人に出会うなんて。

でも「そんなブス、何でいままでわからなかったんだ?」って思っている人、いませんか?当時は電気がありませんから夜は完全な闇。外では月明かりや星明かりだけが頼りです。室内では小さな燭台程度の灯りはありましたが、部屋全体を照らす灯りはありません。もし、光から顔を背けていたら、顔なんてほとんどわかりません。おまけに当時の女性は基本的に人に顔を見せないようにしていましたから、関係を持っても顔を知らない、ということもあり得たわけです。なので、この光源氏のオドロキも不自然なことではありませんでした。

それよりも、今回の光源氏の失敗は、人のうわさ話に乗せられたところにありました。実は末摘花の情報を光源氏に伝えたのは彼の乳母子の大輔の命婦という女房。彼女は末摘花の屋敷、すなわち常陸宮家でも働いていました。ところが常陸宮家はいまや破産寸前。大輔の命婦にとっても死活問題ですから、資金源が必要です。それには光源氏と末摘花をくっつけるのが一番、と考えたんですね。実際、光源氏は常陸の宮家の窮状を放っておけず、援助の手をさしのべています。だから、今回の教訓は「人のうわさ話には要注意」ということです。だけど、結果的には常陸宮家を救ったのですから、OKとしましょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学5 末摘花の巻 やっぱり、うわさを信じちゃいけないよ(1)

今回ご紹介するのは源氏物語一の不美人、末摘花と呼ばれる女性のお話です(巻数的には若紫の方が先ですが、今回は末摘花をご紹介します)。

◆没落貴族の娘って、ロマンチック…

光源氏18歳の春です。このころ、光源氏は生涯の伴侶になる若紫と出会ったり、父の妻で長い間思い続けてきた藤壺の女御と密会したり、いろいろすったもんだがあります。そのお話は次回以降に譲るとして、あれこれ忙しい合間に、また新しい恋を求めていました。

以前悪友同士で女性論を戦わせたとき、中流の女がいいという話が出ました。以来、光源氏は中流の女性に興味津々。彼らのいう中流とは受領(地方の知事ぐらいの地位)の娘や没落貴族の娘など。あの夕顔も中流の部類に入るでしょう。彼女の死以来、中流の女性からは遠ざかっていた光源氏のもとに、久々に中流女性の情報がもたらされます。

こんどは没落貴族のお嬢さんです。故常陸宮の姫君でいまは古びた屋敷で琴の琴(きんのこと)を友にひっそり暮らしているとか。没落貴族の娘って、何となく薄幸そうでロマンチックです。彼女の情報を聞いた光源氏はさっそく猛烈なアプローチを開始します。でも、彼女の周囲のスタッフは気の利かない老女房ばかり。男女の機微など姫君に教えているわけがありません。はかばかしい返事が得られず、光源氏は業を煮やして姫君の屋敷を訪れました。

語りかけても当然ろくな返事は帰ってきません。その姿を「なんて慎ましい!これぞ深窓の姫君だ」と勘違いした光源氏、とうとう強引に彼女と関係を持ってしまったのです。とはいっても灯りの乏しい当時のことですから、彼女の容姿はよくわかりません。おまけに反応も鈍くてマグロっぽい彼女に光源氏もがっかり。その後しばらくは彼女のことを捨てておく始末です。

だけど、光源氏のいいところは一度関係を持った女性を完全に見捨てたりしない点。ある冬の日、彼女の家をもう一度訪ねました。そのとき垣間見た屋敷内はぼろぼろで、女房たちの衣装も薄汚れ、食べるものもろくにない様子でした。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学4 女をないがしろにすると怖い目に遭いますよ(2)

(昨日からの続き)
◆そして真夜中 恐怖が…

光源氏は自分の身分を隠し、顔を隠して彼女のところへ足繁く通っています。年上の恋人の六条御息所のことなんてどこへやら。夕顔の家の周囲は比較的身分の低い人たちが住んでいて、周りからは生活の音が聞こえてくるようなところ。そんな光景もお坊ちゃんの光源氏には珍しく感じるのでした。

八月十五夜の夜、光源氏はもっと静かなところでふたりきりになりたいと、夕顔を某の院というところへ彼女を連れ出します。お供は彼女の侍女ひとりだけ。ここで思いっきり戯れようという算段。某の院は光源氏の別邸とされていて、日ごろは管理人がいるだけの荒廃した屋敷です。荒れ果てた雰囲気にちょっと怖がって甘える夕顔の様子もまたかわいらしいと、光源氏はもうめろめろ。

さて、戯れの限りを尽くし、夜更けて眠りについたふたり。光源氏は枕元に美しい女が座っている夢を見ます。女は「私がこんなにお慕いしているのに、こんな女を愛するなんてひどい」とか何とか、恨み言を吐きながら夕顔を起こそうとしています。あわてて目を覚ますと、灯りが消えたりして、物の怪の気配。光源氏はおろおろしながら管理人を呼んだり、侍女を励ましたりしていましたが、はっと気づくと夕顔が息をしていません。原文でははっきりとは触れていませんが、この物の怪は六条御息所だと暗示されています。

ようやく朝になって惟光が来てくれました。光源氏は泣くわ悲しむわ、馬から落ちるわで色男も台無し。すっかり弱って寝込んでしまいました。恋の絶頂から悲しみのどん底へ。夕顔は光源氏の心に忘れ得ぬ思いを刻んで、物語から退場していきました。

なお、この夕顔、葵の上の兄・頭中将の元恋人だということがわかりました。頭中将との間には娘まで生まれていたのですが、頭中将の妻の嫌がらせにあって身を隠していたのだとか。恋人や妻をないがしろにしてほかの女に心奪われていると、怖い目に遭うかもしれないよ、というのが本日の(強引な)教訓です。世の殿方、どうぞご注意を。
(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学4 女をないがしろにすると怖い目に遭いますよ(1)

◆光源氏、逆ナンされる

光源氏17歳。青春まっただ中です。前回、人妻の空蝉に振られましたが、そんなことでへこたれる男ではありません。いつのまにか元皇太子妃でいまは未亡人の六条御息所とねんごろになっています。その上で、また、新たな恋に足を踏み入れようとしていました。

実は彼、すでに12歳の時、元服と同時に4歳年上の葵の上と結婚しています。でも、いろいろ事情があって実のところ妻とはあまりしっくりいっていません。むしろ妻の兄の頭中将(とうのちゅうじょう)の方が親しいぐらい。

さて、そんなある日光源氏は乳母のお見舞いに行きました。乳母の家は民家が建て込んだちょっと庶民的なところ。その一角に白い夕顔の花が咲く家が。中にはなかなか美しげな女性たちの姿がチラチラと見えます。家来にその花を折ってくるよう命じると、家の中からかわいらしい女の子が出てきて「花はこれに乗せて差し上げてください。枝も風情のない花ですから」と扇を差し出します。

乳母の見舞い後、さっそく扇をチェックすると「あなたはもしかして、光源氏様では?」といったような意味の歌が一首。その家の女主人からのメッセージです。これって逆ナン?女性からの積極的なアプローチです。挑まれると受けて立ちたくなるのが人の性。ましてや光源氏です。これを無視しては光源氏の名が廃ります。乳母の息子・惟光の骨折りもあり、光源氏は首尾よくその女性と恋仲になりました。

この女性を「夕顔」と呼びましょう。妻のように堅苦しくもなく、六条御息所のように知性と教養があるわけでもなく、密かに恋いこがれる父の妻・藤壺のように高貴でもありません。空蝉のように芯が強いわけでもなく、なよやかで、かわいらしく、どちらかというといやし系。でも、男あしらいには慣れている様子。いまのことばで言えば、エロかわいい、ってかんじでしょうか。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学3 若妻から目を離してはいけません(2)

(昨日からの続き)
◆誰でもなびくと思ったら大間違いよ!

さらに、光源氏も失敗しました。彼は女性の気位というものを全く忘れていたようです。もちろん、空蝉だって光源氏ほどの貴公子に言い寄られれば多少は心が動くでしょう。ときめきもします。

だけどそれは所詮この場だけの遊び。慰み者にされて捨てられる恥を考えれば、彼になびく気持ちにはなれません。プライドの高い空蝉はそれ以降光源氏を拒み続け、光源氏はそれに反比例して彼女に惹かれていきます。「何をしても許される」という思い上がりが通じない女がいることに光源氏は気づいたようです。

このお話には後日談があります。光源氏は何とか無理算段して、もう一度空蝉の寝所に忍び込みます。ところが、それに気づいた空蝉は薄物の着物を残して部屋の外に逃げてしまいました。後に残ったのは空蝉の継娘。若くてピチピチのお嬢さんです。光源氏は彼女を抱き寄せて人違いに気づきましたが、行きがけの駄賃とばかりにこの娘とも関係してしまいます。見境がないというか、さすが17歳というか、彼はこの先も私たちを楽しませてくれそうです。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学3 若妻から目を離してはいけません(1)

◆夫は単身赴任中。そこへ…

母に死に別れてから十数年、17歳の光源氏はいまをときめく貴公子に成長しました。たぶん王朝一のモテ男。六条御息所という年上の恋人もいます。ほかにもガールフレンドの三人や四人はいるはずです。

ある夏の晩、光源氏は方違え(陰陽道の習慣)のため紀伊守(きいのかみ)の屋敷に泊まることになりました。この夜は紀伊守の父・伊予介(いよのすけ)の後妻も家族連れで泊まっています。伊予介は若い後妻をとても大切にしているのに、なぜか現在単身赴任中です。

光源氏が急に泊まりに来たこともあり、紀伊守の屋敷は人でいっぱい。どこか近くで女たちが自分の噂をする声が聞こえたり、動き回る気配がしたりします。「悪友たちが『中流の女にいい女がいる』なんていってたけど、こういうのが中流かな?」なんて、光源氏は考えています。

夜も更けて皆が寝静まったころ、光源氏の寝所に近い部屋で人の気配が。話の内容からどうやら伊予介の後妻のようです。この人は後に空蝉と呼ばれるので、ここでもそう呼ぶことにします。光源氏の好奇心がむくむくと頭をもたげます。人の気配がなくなると、そっと隣の部屋を開けてみました。なんと!鍵がかかっていません。

部屋の中には小柄な女が寝ています。おそらくこの人が空蝉です。光源氏は「長年あなたを思い続けてきました」と、口からでまかせの殺し文句を吐きながら空蝉を抱き上げ、自分の部屋に連れ帰ってしまいました。途中、空蝉の召使いの女房に会いますが、光源氏は悪びれもせず「明け方にお迎えに参れ」と告げます。このあたりが「何をしても許される」と思っている、貴公子の図太さ。本当にいまは恐いもの知らずなんでしょう。

で、自分の部屋に戻った光源氏、思いがけず空蝉の激しい抵抗に遭います。でも、さすがに男の力にはかなわず思いを遂げられてしまいました。空蝉は図らずも不倫することになってしまったのです。

だいたい、光源氏を女性がいっぱいいるところに泊まらせるなんて、虎を野に放つようなもの。だけど、この巻を読んでいつも思うのは「なぜ伊予介は愛妻を伊予に伴わなかったのか」という点です。もちろん当時は交通事情も悪く、遠方への赴任は大変でした。だけど空蝉は後に夫に従って遠く常陸(茨城県)まで行っています。伊予だって一緒に行けたはずなのに、都に残ったせいで彼女は思いがけない災難に遭ってしまいました。大切な若妻から目を離しちゃいけません、というのが本日の第一の教訓。(明日に続く)

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源氏物語の登場人物1 惟光

源氏物語の登場人物は約100人。その中で好きな人物は誰だろう。紫の上が好きな人がいれば、六条御息所が好きな人もいる。光源氏が好きという人には、まだ出会ったことがない。そして私が一番好きな人物が、この「惟光」という脇役なのだ。

惟光は光源氏の乳母子(めのとご)。乳母子というのは読んで字のごとく、乳母の子どものこと。主人(この場合は光源氏)が誕生したとき、乳母は母乳が出ている最中だから乳母子は主人よりも少しだけ誕生が早いということになる。主人の遊び相手になったり、ともに育ちながら、家族的な主従関係を築いていく。

惟光は物語中非常に気の利く乳母子として描かれ、その活躍は随所に登場する。おそらく、光源氏の恋のいくつかは彼の活躍なくしては成就しなかっただろう。

たとえば、夕顔の女房と恋仲になって、夕顔の素性を調べる逸話が登場する。夕顔の素性を調べるために女房を口説いたのか、女房と恋仲になったから、夕顔の素性がわかったのか、そのいずれかはわからないけれど、おそらく両方だろう。調べているうちに、彼女もゲットした感じだろうか。夕顔に関しては、その死の後始末についても一人で処理している。あるいは朧月夜の正体を探ったり、少女時代の紫の上を二条院に連れてくるまでの連絡係をしたり、大活躍だ。

その活躍の真骨頂を表すのが「澪標」の巻。住吉詣での際、明石の君の一行と偶然出会った光源氏に「こんなこともあろうかと」(真田さん?)、いつも用意している筆や墨などを光源氏に差し出した。これには光源氏も「をかし」と感心している。

その後も惟光はたびたび物語に顔を出す。五節の舞姫になった娘は光源氏の息子の夕霧に見初められ、5人の子どもを産む。娘の呼称が「藤典侍」というところから、惟光が藤原氏の流れを汲むことが読み取れる。最後の登場では惟光は宰相に昇進、息子も兵衛尉に任官するなど、惟光一家は前途洋々だ。

子どものころから、裏切ることなく光源氏に仕えてきた惟光。恋の使いはもちろん、光源氏の回りから多くの人が去っていった須磨退去の際にも離れず付き従った。その忠臣ぶりが、彼の繁栄をもたらしたのだろう。その一方、光源氏に馬を譲って裸足で歩きながら「こんな姿を彼女に見られたらつらいなぁ」と嘆いたり、夕顔の死を嘆く光源氏と一緒においおい泣いてみたり、彼の姿は源氏物語の登場人物の中では、非常にイキイキと描かれている。そういった点も、私を惹きつける理由の一つかも知れない。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学2 愛人を持つ条件とは?(2)

(昨日からの続き)
◆桐壺帝は青かった

ところが、桐壺帝はその点、まだ青かったみたいです。桐壺更衣と呼ばれるあまり身分の高くない女性一人を溺愛してしまいました。そうなると、周囲の女性たちは黙っていません。で、桐壺更衣イジメが始まります。渡り廊下に鍵をかけて閉じこめたり、通路に汚物をまき散らして着物を汚してみたり、子どもじみたイジメです。

ここで戦えばいいと思うのは、現代人の思考でしょう。桐壺更衣はこのイジメに耐えきれず、だんだん衰弱、とうとう一人息子を残してはかなく死んでしまいます。この一人息子こそが、後の光源氏。桐壺帝は、自分の偏った愛情が原因で、息子の母を死なせてしまいました。

で、これでこの人、懲りればいいのですが、さらに、愛する人の忘れ形見として、息子を溺愛します。これがまた、周囲の人の反感を招き、光源氏を巡る対立の構図を作るわけで、その点では紫式部は抜群のストーリーテラーということができます。

とまれ、源氏物語の一番最初に登場するのは「桐壺帝の失敗」。偏った愛情は不幸の元、というお話です。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学2 愛人を持つ条件とは?(1)

「源氏物語の失敗学」、いよいよ今回から本編です。逐帖的に解説するのではなく、目に付くエピソードについて述べて行く予定ですが、ある程度は光源氏の年齢を追いかけながらお伝えしていきましょう。

◆どの女性にも文句を言わせない

さて、みなさま、つかぬ事を伺いますが、男性が愛人を持つ資格とは何か、お考えになったことがあるでしょうか。「愛人なんてとんでもない」というのはこの際、置いておいて、愛人を持つには様々な条件があります。経済力、男性的魅力、体力、コミュニケーション能力…。でも、大事なのは「どの女性にも文句を言わせない」ことではないでしょうか。

今回はそれができなかった男性の失敗の物語です。お話は源氏物語の一番最初の巻『桐壺』から。この巻はふつうに読んでるととっても退屈です。たぶん、学校の古典の時間に「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に」という、源氏物語の出だしを覚えさせられていやになった方も多いでしょう。そんな経験があるとおもしろいものもつまらなくなります。

まあ、この『桐壺』の巻は実際に読んでもちょっと退屈です。だけど、帝に焦点を当てて読んでいると、なかなかおもしろいものが見えてきます。通常「桐壺帝」という名前で呼ばれるこの帝には何人もの妻や側室がいました。

わかる人はわかると思いますが、妻や愛人が何人もいると男性はバランスを取るのが大変です。こちらの機嫌を取ればあちらの機嫌が悪くなり、こちらをかわいがれば、あちらの怒りが爆発する、という具合で、全体のバランスを取るにはかなりのテクニックを要します。

ましてや帝ともなれば、女性たちにも様々な思惑があります。帝の寵愛ひとつで子どもや一族の将来が変わるかもしれません。女性同士は当然「私こそは」と競い合いますが、そんな女性の間に立つ男性は、じょうずにバランスを取って、あちらもこちらもたてるのが、大人というもの。これが「どの女性にも文句を言わせない」ということでしょう。
(明日に続く)

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源氏物語に見る王朝貴族の失敗学1 源氏物語への招待(2)

(昨日からの続き)
◆作者・紫式部について

で、これだけではあまりに愛想がないので、今回は作者の紫式部について触れておきたいと思います。彼女は平安時代中期、権勢を極めた藤原道長の娘、中宮彰子の家庭教師として雇われ、源氏物語を書きました。

彼女の生まれは970年頃。母は早くに亡くなり、父の手で育てられました。父は都の中級官吏で、学者としても重んじられていた藤原為時です。教育熱心だった為時から漢学の手ほどきを受けていた紫式部は父に「この子が男の子だったら」といわれたほど優秀だったそう。

いくつかの恋や縁談もあったようですが、彼女は振り向かず、当時としてはかなり晩婚の30歳近くになって父親ほども年の離れた藤原宣孝と結婚、一女をもうけます。しかし2年後、夫は疫病で急死。その寂しさを紛らすために物語を書き始めたのが源氏物語誕生のきっかけだったといいます。

今回は源氏物語のプロローグだけに終わってしまいましたが、次回からは少しずつ、中身をひもといていきたいと思います。どうぞお楽しみに。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学1 源氏物語への招待(1)

◆人間性が伝わってくるドラマ

源氏物語って、高校の古典の時間に習って、とんでもなくつまらない思いをした方が多いと思います。当然ですよね。学校の授業で習うものにおもしろいものなんてそうそうありません。

だいたい、膨大な源氏物語の中から脈絡もなく一部分だけ、それも特につまらない一節を抜き出して、さらに文章をバラバラにして品詞を分析したり、「〜であることですよ」なんて、とっても不自然な現代語訳をしたり、おもしろいわけがありません。もう、本当に、古典を嫌いにするために授業してるんじゃないかってぐらい。

でも、初めて現代語訳で通読したとき、いままでの認識の間違いに気づかされました。実におもしろくて奥の深い物語。学校で習ったのはいったい何だったんだって感じ。だいたいにして源氏物語といえば、光源氏という理想の美男子が次々と女性と関係を持つ「色好み」のお話として知られていますが、話はそんなに単純でもありません。

登場人物が実にイキイキと、とてもリアルに描かれています。ひとつひとつの恋物語だって、ドラマ性に富み、女性たちの心の動きも手に取るように伝わってきます。そして舞台装置の豪華さは、この時代ならでは。

それから、理想の男性とされている光源氏、確かに容姿も才能も地位も名誉も富も恵まれていて理想的だけど、完璧ではありません。時々とんでもない失敗をやらかしたりします。だからこそ、彼の人間性が伝わってくるのかもしれませんね。

というわけで次回以降のコラムではそういった登場人物のちょっとした失敗や笑える話などを中心に取り上げていきたいと思います。それが源氏物語への入り口になれば幸いです。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語千年紀

源氏物語の作者、紫式部の誕生は970年ごろといわれている。幼いころから父・藤原為時に漢籍の手ほどきを受け、ある時には「この子が男の子だったら」といわれるほど優秀だったと伝えられている。しかし、女性としては奥手だったのか、何だったのか結婚は遅く、当時としてはかなり晩婚の30前で父ほども年の離れた藤原宣孝と結婚し、一女をもうけた。

しかし、夫とは死に別れ、寂しさを紛らわすために書き始めたのが源氏物語だったという。従って、源氏物語が書き始められたのはおそらく11世紀の初めごろ。54帖すべてを書き終えたのかいつごろかははっきりしていないが、記録の上で源氏物語の存在が確認されたのが1008年だそうだ。

紫式部日記によれば寛弘5年(1008)、11月1日、中宮彰子の産んだ敦貞親王の五十日の祝いの夜、紫式部が藤原公任から「このあたりに若紫はいらっしゃいますか」と声をかけられたとある。従って、このころには源氏物語が貴族たちの間で知られた、話題の物語だったことがうかがえる。

2008年はこの記録からちょうど1000年の節目に当たる。これを記念して源氏千年紀が提唱された。源氏物語を愛するものとして、この活動を注視したい。

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