カテゴリー「学問・資格」の記事

宇治の姫君

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源氏物語に登場する宇治は平等院や宇治神社界わいと考えられている。流れの速い宇治川をはさみ、周囲にはなだらかな山が迫る、緑豊かなところだ。

都市化が進んだ現代ですらこの姿である。平安時代はいまよりも寂しく、まさに山里という雰囲気だったに違いない。八宮がこの地に移り住んだときは「隠遁」ということばにふさわしい、人里離れたところだったはずだ。そんな土地に住んでいた中君や大君、あるいは浮舟の心細さはどれほどだっただろう。それを考えると、薫を信頼しながらも匂宮に惹かれていった浮舟の気持ちもわかるような気がするのだ(写真は朝霧橋たもとの宇治十帖モニュメント 匂宮と浮舟)。

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紫式部は宇治の空気を見事に物語に反映させている。彼女は宇治を訪れたことがあったのだろうか。実際に訪れたことはなくても、宇治に別荘を持っていた道長さんから寝物語にでもその様子を聞かされたことがあったのかもしれない。

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写真は宇治橋たもとの紫式部像。

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清涼寺の仁王門、壊される

嵯峨清涼寺は以前にも書いたが、光源氏のモデルの一人といわれる源融の別業あとである。周囲は静かな住宅街。民家の間抜けるまっすぐな道の向こうに、山門が堂々たる姿を見せていた。

それが12月12日未明、飲酒運転の車によって破壊されてしまった。報道の写真で見るだけでもずいぶん無惨な姿だ。片方の扉は完全にはずれて倒れ、もう一方もひどく壊れている。正面から門に突っ込んだと考えられているが、仁王門の前は石段がある。それを乗り越えていったなんて、正気の沙汰ではない。1783年に建てられた仁王門は230年以上の風雪に耐えてきた文化財だ。それがこんな形で毀損されるのは、非常に残念だ。実に罰当たりな所業である。仏罰が下ればいいのに、と思う。


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写真は京都新聞から拝借

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(2)

(前回からの続き)

◆それをいっちゃあお終いよ

だけど、王朝貴族だって恋の失敗ぐらいあります。今度は目を転じて、光源氏の息子、夕霧の場合。この人は光源氏と亡き葵の上との間に産まれた長男。申し分のない身分に生まれた人ですが、意外と教育パパな光源氏の方針で、低い位から宮仕えし、様々な学者について勉強もした人です。幼なじみのお嬢さんと結婚し、光源氏とは似ても似つかぬまじめな息子に育ったのですが、中年になって死んだ親友の未亡人に恋をします。

でも、未亡人(落ち葉の宮といいます)は、死んだ夫の親友に口説かれるのが情けなくて夕霧を拒み、部屋の中に引きこもってしまいます。そんな彼女に夕霧がかけたことばは「まんざら世間を知らないわけでもあるまいし」。これって「処女じゃあるまいし」といったような意味。

こんなことばをいわれたら、なびこうかと思ってた女性だって頑なになります。現代女性なら、「セクハラよ!」とほっぺたの一つでもひっぱたかれそうないい方です。しかも、追い打ちをかけるように、部屋に閉じこもった未亡人に「その気になったら、出てらっしゃい」とまでいいます。これは女性が自分から「身を許す」というようなもの。女心を考えないことばの連発で夕霧はすっかり評価を落としてしまいました。

結局、夕霧は粘り勝ちでこの未亡人を落としますが、その口説き方は父・光源氏に比べてどうもスマートではありません。というか、はっきり言って、嫌われるようなことばかり言っています。このことばの「どこがいけないの?」と思ったあなたは要注意。女心をもう一度研究しなおしましょう。というわけで、王朝貴族の恋愛術、もしかしたらほかにも参考になる部分があるかも知れません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(1)

今回は源氏物語に見る、恋愛術の一例を取り上げたいと思います。まずは恋の成功者、光源氏の事例から。

◆ことばの魔術師、光源氏

光源氏がなぜ、たくさんの女性をものにすることができたのか、その要因はいくつもあります。まず、絶世の美男子であること。そして高貴な生まれと育ち。財力、父や嫁の実家のバックアップ、地位、名誉、才能・・・数え上げればきりがありません。でも、こんな華麗な経歴は、まあ普通に生まれ育った私たちには縁のない話です。

しかし、光源氏とて、生まれや育ちだけに依存して恋の勝者になったわけではありません。彼は恋の才能も豊かでした。その中でも特に目立つのが「マメ」ということ。いい女と聞けば、必ず口説く。口説かなくちゃ失礼に当たるとばかり、口説く。人間違いをしても口説く。

たとえば、空蝉の寝所に忍び込んだとき、空蝉と間違えてしまった軒端の荻に対しても「あなたを以前からお慕いしていました」なんて、しゃあしゃあと口説いています。あるいは、末摘花のような不美人でも、源典侍のような老婆でも、とりあえず口説いてみます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。

しかも光源氏の場合、鉄砲はほぼ百発百中。その秘訣はどこにあったのでしょうか。そのヒントは乳母の病気見舞いの場面に見られます。「私は子どものころに母も祖母も失って、あなたを親のように思ってきました」とか何とか、相手がほろりと来るような優しい言葉をかけています。

人間、お世辞とわかっていても、心をくすぐるような言葉をかけられればうれしいものです。しかも、それが本心から出ているように思えればなおさらのこと。光源氏は恋人だけではなく、お年寄りでも、誰にでも優しい言葉をかける人でした。それはまるでことばの魔術師。相手の立場に立ち、相手が何を言われれば喜ぶかを心得ているということです。これが光源氏を恋の勝者にした要因の一つでしょう。

あるいは、光源氏の障碍をものともしない大胆さも、女心を揺り動かす要因の一つかも知れません。たとえば、父帝の妃、藤壺との恋。数少ないチャンスを見つけ、人目を忍んで訪れる光源氏の姿に、藤壺は表向き拒みながらも、やはりその心にほだされていたのではないかと思います。

朧月夜の君との逢瀬もしかり。彼女は光源氏の政敵、右大臣の娘で、亡き母のライバル・弘徽殿女御の妹です。そんな人と、しかも彼女の家で逢瀬を繰り返していたのですから、やはり大胆としかいいようがありません。「もし見つかれば身の破滅」かも知れない逢瀬。それでも会いに来てくれる男性に、朧月夜の君は熱い思いを抱かずにいられなかったでしょう。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学15 王朝貴族のプライバシーと情報戦略 

今回は源氏物語の情報戦略について。戦略って、ちょっと大げさですが、この時代でも情報のコントロールは必要だったというお話。前後の話のつながり上、1回で掲載したので、少し長くなりますが、最後までおつきあいよろしくお願いします。

◆情報を操作する女房ネットワーク

「雨夜の品定め」で有名な「帚木」の巻には、「人の品、高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、かくるることも多く、自然にその気配、こよなかるべし。」という一節があります。(女性が)高い身分に生まれた場合、周囲にかしずかれて欠点も隠され、自然にいい女に見える」といったような意味です。

上流の女性はたくさんの優れた女房たちに囲まれています。平安時代、この女房たちのネットワークは強力な情報網でした。女房ネットワークにはあらゆる情報が流れます。たとえば、どこそこの中納言様は今度大納言様に昇格されるそうだとか、どこぞの若君があのお姫様にご執心だとか、あの奥様に二人目の赤ちゃんが生まれるとか、様々な情報が駆けめぐります。

そんな状態じゃ、主家のプライバシーなどないに等しいように思われますが、女房たちにとって主家の利益は自分たちの利益。できる限り、主家にプラスになるような情報を流すでしょう。ですから主家のお姫様について誰かに聞かれても、欠点は隠し、長所を挙げるというのが女房たちの情報のコントロール方法でした。

たとえば、源氏物語一の不美人・末摘花のことも、光源氏に伝えられるときは容姿や性格についてはまったく触れられず「琴を友に寂しく暮らしている」というロマンチックなお話だけが伝えられています。まあ、末摘花の場合、没落貴族なので上流とは言い切れない部分もありますが、貴族の女性たちの素顔は女房たちのネットワークによって情報操作されていたことがうかがえます。

女房たちの善し悪しは情報操作の質をも左右します。後年、光源氏の若い妻となる女三宮は柏木という若い男性と密通していましたが、彼の手紙を隠しそこなって光源氏に見つけられてしまいます。この事件をきっかけに、柏木は病死し、女三宮は不義の子を出産後出家するという悲劇に見舞われます。

女三宮の女房たちは子どもっぽく、軽いタイプの女性がそろっていたと書かれています。彼女たちは女主人の不義を上手に隠すすべを心得ていなかったのでしょう。もし、主人の情報をきちんと守れる大人の女房なら、こんな悲劇は起こらなかったかもしれません。

◆私たちは自分でコントロールする

さて、翻って現代はどうでしょう。たとえば政治家を例に取ってみます。国会議員なら、情報戦略にも相応の予算をかけられるでしょうから、ウェブサイトでもそれなりに完成度の高いものを発信することができます。実際、有名な政治家のサイトを見ても、それなりのプロが作ってるんだな、ということがよくわかります。もちろん、発信する情報についても十分精査されているはず。無用の情報や本人に不利な情報を発信することはありません。これは上流の女性が欠点を隠されるのと同じようなものです。

ところが、地方議会の議員などになると、自分でウェブサイトを作っているのか、素人に任せているのか、ずいぶんずさんなものが見つかったりします。先日、まったく別件で検索をしていたところ、とある県議会議員のサイトのディレクトリにある資料にアクセスできてしまいました。そこには何と、その県の職員全員の名簿が。局や課、係と行った細かい所属まで明記されていて、誰が何を担当しているかはっきりわかります。そういったものを簡単に見られるところに置いておくのはいかがなものでしょう。

さらにこの人、自分のプロフィールに現在の役職や家族のことまでずらずらと書きたてています。なんたら研究会の会長だの、ナントカ業協会の顧問だの、消防団の団員だの、名誉職がうれしいんだか何だか、いっぱい羅列してあります。なかには何某中学校PTA会長といったものも。家族は妻と子どもが何人か。名前も誕生日も丸わかり。PTA会長をしているということから、息子が通っている中学校の名前までわかります。ここまで細かい情報を出す必要はありませんというより、出してはいけません。

たとえば、子どもたちの誕生日。自分の誕生日をキャッシュカードの暗証番号に使うのはいまや非常識ですが、子どもの誕生日を暗証番号にしている人はまだいるのではないでしょうか。この県議の妻がそうしていないとは限りません。あるいは、子どもの学校も名前も誕生日もわかっている場合、誘拐のターゲットにされる可能性もあります。

この県議は情報のコントロールということをあまり理解していないのかも。国会議員のように予算をかけられないからとか、アドバイスしてくれるブレーンがいないからといった言い訳はあるでしょう。でも、どの情報を公開し、どの情報を非公開にするか、といったことは自分でも選択できるはずです。

源氏物語から現代にいきなり飛んでしまいましたが、いずれも情報をいかに発信するか、いかにコントロールするかが大切、ということです。これは一般人のブログなどにもいえることです。発信する内容を十分精査しなければ、炎上したり、プライバシーがだだ漏れになったり、いろいろな問題が発生します。みなさまなら十分理解されていると思いますが、どんな情報を発信すれば、自分にとってメリットがあるのか、これは書いても大丈夫か、女房のいない私たちは自分で考えなければいけない、というお話でした。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に加筆訂正の上、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(2)

(昨日からの続き)
◆父の未亡人をひたすら口説く 

もうひとり、しばらく出てこないのが藤壺。桐壺帝が退位して普通の夫婦のように一緒に暮らしていましたが、その桐壺院が亡くなってしまいました。院に居続ける理由のなくなった藤壺は三条の里邸で暮らすことになりました。光源氏にすればもう、ふたりの逢瀬を妨げるものがなくなったということです。このチャンスを逃す光源氏ではありません。

ある日、どのように仕組んだのか、光源氏はまんまと藤壺の部屋に忍び込んでしまいました。切々と口説く光源氏。ここで光源氏を受け入れれば、自分の産んだ子どもの立場が危うくなると、光源氏を拒み続ける藤壺。そのうちに、藤壺はたまらなくなって胸さえ痛み始めてきました。周囲の女房はうろたえて、光源氏を塗籠(ぬりごめ 周囲を壁手固めた部屋、寝室や物置に使われる)に隠し、藤壺を介抱します。

ここで注意したいのが「御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし」という一文。光源氏の衣を隠している人も大変困った、ということです。言いかえれば、光源氏はほぼ裸だったということ。つまり、男女のことがあったことが読み取れます。藤壺は心は拒み通しても、からだは受け入れてしまったということですね。受け入れる性である女性の悲しさを感じさせられます。

源氏物語の時代、物事をあからさまにするのは見苦しいこととされていました。それゆえ、紫式部も男女のことはそれほどあからさまに書いたりしていません。でも、行間を読めば、なんとなく読み取ることができます。そんなことばかり考えているのもどうかと思いますが、たまにそういう読み方をすると、源氏物語がもっとおもしろくなるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(1)

源氏物語には非常にたくさんの人物が登場します。共感できる人物やそうでない人、あるいは好きな人、嫌いな人、様々ですが、なじみになった登場人物がしばらく出てこないと「あの人、どうしちゃったのかな?」と思ったりします。というわけで、今回はちょっとだけ大人の源氏物語。

◆秋の一夜 野宮の逢瀬

ここしばらく登場しないのが、六条御息所。あの生霊騒動以来、彼女の姿を見ませんが、どうしているんでしょうか。実は彼女の娘の姫宮が伊勢神宮の斎宮に選ばれたので潔斎のため、一緒に嵯峨野の野宮にこもっていました。いまでも嵯峨野には野々宮神社がありますが、これはその名残。本来斎宮が変わるごとに新築されていたので、現在とは違う場所にあったと考えられますが、黒木の鳥居が当時の姿を今に伝えています。

六条御息所はもともと教養高く優雅なマダム。風流に、趣向を凝らして住んでいて、嵯峨野の邸は都の貴族が集まるサロンとなっていました。しかし、そこに光源氏の姿はありません。生霊騒動以来、光源氏は六条御息所と距離を置いていました。六条御息所だって、光源氏の気持ちはよくわかっています。一切の未練を断ち切って、娘とともに伊勢に下ってしまおうと心を決めていました。光源氏もそれは理解していますが、そのまま別れてしまうには惜しい女性でした。光源氏は意を決して六条御息所の元を訪れました。

時は9月7日。秋の盛りの嵯峨野の夜は風情豊かです。都からはるばる訪ねてきた光源氏を、六条御息所はもう会う立場ではないと、娘の潔斎にかこつけ対面を拒みました。でも、それにくじける光源氏ではありません。静止する女房を振り切り、強引に上がり込んでしまいました。

ずっと思い続けてきた人、恋しい人、愛しい人。もう会えないと思っていた光源氏の姿を久しぶりに見た六条御息所の気持ちはどうでしょう。恋したことのある人ならきっとわかると思います。しかも光源氏は「伊勢行きは思いとどまってください」と六条御息所を口説きます。このことばが光源氏の本心かどうかは別として、ゆらゆら揺れる六条御息所の心。

場面はいつの間にか夜から夜明けに変わっています。まさか、かつてあれだけ情熱をぶつけ合った二人がただ語り明かしただけ、というわけはないでしょう。娘の潔斎のために野宮にこもっている六条御息所ですが、ここは光源氏と一夜をともにしたということだと、私は解釈しています。だいたい、源氏物語では男女の間にそういうことがあったかなかったか、うすらぼんやりとしか書かれていないことが多々あります。はっきりしてほしいと思うこともありますが、そこは大人の勘と経験と行間から判断するしかありませんね。

それにしても光源氏は罪作りです。二度と会えないと思っていた人と、一夜をともにした喜びは大きいかもしれません。でも、そういうことがあったから、後ろ髪を引かれます。心が残ります。なまじ会わない方が心が乱れなくてよかったのかもしれません。六条御息所はこのあと伊勢に向かいますが、その道すがらも、伊勢に着いてからも光源氏への思いを断ち切れずに過ごすことになるでしょう。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(2)

(昨日からの続き)
◆臣下の子が皇位に付く?

こういうことを頭に入れて、源氏物語の皇位継承について見てみましょう。光源氏が生まれたとき、帝は桐壺帝でした。桐壺帝は光源氏を皇太子にしたいと考えたこともあったとは思いますが、光源氏の母・桐壺は更衣と身分が低く、その父は按察使大納言(あぜちのだいなごん)で、しかも桐壺が入内したころにはすでに亡くなっていました。いくら寵愛していても、実家の後ろ盾もなく、身分の低い母から生まれた子を皇太子にするわけにはいきません。もしそんなことをすれば、他のお后たちやその親族から、どんな指弾を受けるかわかりません。桐壺帝は無難に、右大臣の娘である弘徽殿女御が産んだ息子を皇太子にしました。この人が後の朱雀帝です。

一方、桐壺帝の前に別の帝がいました。この人は「先帝」と呼ばれ、桐壺帝の中宮で光源氏の最愛の人・藤壺やその兄・兵部卿宮の父です。また、六条御息所の亡くなった夫は先の皇太子でした。おそらく先の皇太子と桐壺帝は兄弟だったと考えられます。本来桐壺帝の後に天皇になるはずだった皇太子が亡くなり、弘徽殿女御の子が皇太子になったのではないでしょうか。

こうして弟から息子に皇位の継承権が移ったにせよ、ここまでの皇位継承に乱れはありません。しかし、源氏物語はこの後、とんでもない人物に皇位を継がせます。それは藤壺と光源氏の間にできた男子、冷泉帝。この人は、臣下の光源氏の息子です。物語とはいえ、臣下の子が皇位に付くことは許されるのでしょうか。源氏物語を読んでいると「本当にいいのか?」と疑問に思います。

でも、光源氏は桐壺帝の子。その息子の冷泉帝は桐壺帝の孫です。桐壺帝の男系男子であり、しかもそれを産んだのは先帝の四ノ宮の藤壺。実は皇統に乱れがあるわけではないのです。冷泉亭はきちんと桐壺帝のDNAを受け継いでいます。読者は違和感なくこれを受け入れることができるでしょう。物語とはいえ、皇統に乱れがないからこそ、源氏物語は長年受け入れられて来たのではないかと思います。

皇位の継承問題は源氏物語でも時に影を落とします。今後はこういったこともちょっとだけ頭に置いておくと、また、違った読み方ができるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に掲載した原稿に加筆し、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(1)

先日、秋篠宮悠仁親王殿下が1歳の誕生日を迎えられました。昨年のお誕生の際には41年ぶりの皇族男子ということで、改めて皇位継承問題が話題になったりしました。これに便乗して、今回は、源氏物語における皇位継承問題について、ちょっと見てみたいと思います。

◆平安時代の皇位継承

現在の皇室典範によると「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあります。皇位は天皇の直系男子に承継されるものであり、退位と養子が禁止されています。また、皇位の継承順位は皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫となっています。…と、このあたりはもう最近の皇室典範改正議論などでもさんざん目にしているでしょうから、省略しておきましょう。

さて、光源氏の時代の皇位継承についてです。平安時代の皇位は父から子、子から孫と必ずしも順当に継承されるものではありませんでした。親子で継承することもありましたが、時には兄弟で継承することもありました。たとえば、現実を見てみると、第62代の村上天皇は第61代朱雀天皇の弟です。このあたりを見てみると、直系で3代続いたかと思うと、また、何代か前の天皇の弟に皇位が移ったりして結構複雑に入り組んでいます。

また、帝の子として生まれたら、誰でも皇位に付けるわけではありません。「後宮」というものがあった時代です。後宮には中宮もいれば女御、更衣と様々な身分の人がひしめいていました。生まれた子どもらの立場は母親たちの身分とその実家の家柄や権勢がものをいいました。母親が大臣家の娘で女御であれば皇位継承者になる可能性はありますが(無能な大臣だったらなれないことも)、更衣であれば皇位につくのはほぼ無理といえるでしょう。戦のない平安時代ですが、宮中では皇位継承権をめぐる戦いが繰り広げられていました。

もし、自分の娘の産んだ子が皇太子になり、皇位に付けば、娘の父は天皇の外戚として権力をふるうことができるからです。外戚となって栄華を極めた人といえば「この世をば我が世ぞと思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と歌を詠んだ藤原道長です。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(2)

(昨日からの続き)
◆正式な手続きを踏まない婚姻の不安

光源氏はやっと思いを遂げた喜びでいっぱいです。二人が結婚したことを周囲に知らせるため、結婚のあとに食べる餅を整えたり、紫の上の裳着の儀(女子の成人式)を行い、兵部卿宮の娘だということも披露しました。一応結婚したという形を整えたわけです。

でも、当時の正式な結婚は同じ身分、階級の男女が手紙のやりとりに始まり、様々な手続きを踏んで一緒になるもので、家と家の結びつきが重視されていました。男は妻の実家を足がかりに出世しようと考えたり、妻の親も将来性豊かな婿を取って一家の繁栄をねらったりしたのです。

従って、本人同士の合意だけで成り立つ自由恋愛は野合と見なされ、軽んじられていました。正式な手段を踏まず、なし崩し的に事実婚に踏み切られた紫の上の場合は、双方の合意はありませんでしたが、プロセスを考えれば典型的な野合だったといえます。

もし、彼女が父・兵部卿宮の姫君としてその邸に住んでいたら、こんな目には遭わなかったかもしれません。実家の後ろ盾のない、野合的な結婚なんてしなくてすんだはずです。いくら光源氏のことを嫌っても、彼女にはほかに行くところがありません。世間的に認められた正妻の立場を得たわけではないのに、光源氏の愛情と財力以外、頼るものがないのです。

光源氏が本当に紫の上を愛しているのであれば、兵部卿宮との間できちんとした手順を踏んで紫の上を正妻にすべきでした。これは光源氏一生の不覚、大失敗でしょう。形が整っていれば、紫の上の立場は安泰だったはずです。一見愛されているようで、実はとても不安定なこの立場は、後々紫の上を悩ませることになります。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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