カテゴリー「学問・資格」の記事

宇治の姫君

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源氏物語に登場する宇治は平等院や宇治神社界わいと考えられている。流れの速い宇治川をはさみ、周囲にはなだらかな山が迫る、緑豊かなところだ。

都市化が進んだ現代ですらこの姿である。平安時代はいまよりも寂しく、まさに山里という雰囲気だったに違いない。八宮がこの地に移り住んだときは「隠遁」ということばにふさわしい、人里離れたところだったはずだ。そんな土地に住んでいた中君や大君、あるいは浮舟の心細さはどれほどだっただろう。それを考えると、薫を信頼しながらも匂宮に惹かれていった浮舟の気持ちもわかるような気がするのだ(写真は朝霧橋たもとの宇治十帖モニュメント 匂宮と浮舟)。

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紫式部は宇治の空気を見事に物語に反映させている。彼女は宇治を訪れたことがあったのだろうか。実際に訪れたことはなくても、宇治に別荘を持っていた道長さんから寝物語にでもその様子を聞かされたことがあったのかもしれない。

Uji2

写真は宇治橋たもとの紫式部像。

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清涼寺の仁王門、壊される

嵯峨清涼寺は以前にも書いたが、光源氏のモデルの一人といわれる源融の別業あとである。周囲は静かな住宅街。民家の間抜けるまっすぐな道の向こうに、山門が堂々たる姿を見せていた。

それが12月12日未明、飲酒運転の車によって破壊されてしまった。報道の写真で見るだけでもずいぶん無惨な姿だ。片方の扉は完全にはずれて倒れ、もう一方もひどく壊れている。正面から門に突っ込んだと考えられているが、仁王門の前は石段がある。それを乗り越えていったなんて、正気の沙汰ではない。1783年に建てられた仁王門は230年以上の風雪に耐えてきた文化財だ。それがこんな形で毀損されるのは、非常に残念だ。実に罰当たりな所業である。仏罰が下ればいいのに、と思う。


P2007121200077

写真は京都新聞から拝借

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(2)

(前回からの続き)

◆それをいっちゃあお終いよ

だけど、王朝貴族だって恋の失敗ぐらいあります。今度は目を転じて、光源氏の息子、夕霧の場合。この人は光源氏と亡き葵の上との間に産まれた長男。申し分のない身分に生まれた人ですが、意外と教育パパな光源氏の方針で、低い位から宮仕えし、様々な学者について勉強もした人です。幼なじみのお嬢さんと結婚し、光源氏とは似ても似つかぬまじめな息子に育ったのですが、中年になって死んだ親友の未亡人に恋をします。

でも、未亡人(落ち葉の宮といいます)は、死んだ夫の親友に口説かれるのが情けなくて夕霧を拒み、部屋の中に引きこもってしまいます。そんな彼女に夕霧がかけたことばは「まんざら世間を知らないわけでもあるまいし」。これって「処女じゃあるまいし」といったような意味。

こんなことばをいわれたら、なびこうかと思ってた女性だって頑なになります。現代女性なら、「セクハラよ!」とほっぺたの一つでもひっぱたかれそうないい方です。しかも、追い打ちをかけるように、部屋に閉じこもった未亡人に「その気になったら、出てらっしゃい」とまでいいます。これは女性が自分から「身を許す」というようなもの。女心を考えないことばの連発で夕霧はすっかり評価を落としてしまいました。

結局、夕霧は粘り勝ちでこの未亡人を落としますが、その口説き方は父・光源氏に比べてどうもスマートではありません。というか、はっきり言って、嫌われるようなことばかり言っています。このことばの「どこがいけないの?」と思ったあなたは要注意。女心をもう一度研究しなおしましょう。というわけで、王朝貴族の恋愛術、もしかしたらほかにも参考になる部分があるかも知れません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学16 王朝貴族の恋愛術 成功と失敗(1)

今回は源氏物語に見る、恋愛術の一例を取り上げたいと思います。まずは恋の成功者、光源氏の事例から。

◆ことばの魔術師、光源氏

光源氏がなぜ、たくさんの女性をものにすることができたのか、その要因はいくつもあります。まず、絶世の美男子であること。そして高貴な生まれと育ち。財力、父や嫁の実家のバックアップ、地位、名誉、才能・・・数え上げればきりがありません。でも、こんな華麗な経歴は、まあ普通に生まれ育った私たちには縁のない話です。

しかし、光源氏とて、生まれや育ちだけに依存して恋の勝者になったわけではありません。彼は恋の才能も豊かでした。その中でも特に目立つのが「マメ」ということ。いい女と聞けば、必ず口説く。口説かなくちゃ失礼に当たるとばかり、口説く。人間違いをしても口説く。

たとえば、空蝉の寝所に忍び込んだとき、空蝉と間違えてしまった軒端の荻に対しても「あなたを以前からお慕いしていました」なんて、しゃあしゃあと口説いています。あるいは、末摘花のような不美人でも、源典侍のような老婆でも、とりあえず口説いてみます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。

しかも光源氏の場合、鉄砲はほぼ百発百中。その秘訣はどこにあったのでしょうか。そのヒントは乳母の病気見舞いの場面に見られます。「私は子どものころに母も祖母も失って、あなたを親のように思ってきました」とか何とか、相手がほろりと来るような優しい言葉をかけています。

人間、お世辞とわかっていても、心をくすぐるような言葉をかけられればうれしいものです。しかも、それが本心から出ているように思えればなおさらのこと。光源氏は恋人だけではなく、お年寄りでも、誰にでも優しい言葉をかける人でした。それはまるでことばの魔術師。相手の立場に立ち、相手が何を言われれば喜ぶかを心得ているということです。これが光源氏を恋の勝者にした要因の一つでしょう。

あるいは、光源氏の障碍をものともしない大胆さも、女心を揺り動かす要因の一つかも知れません。たとえば、父帝の妃、藤壺との恋。数少ないチャンスを見つけ、人目を忍んで訪れる光源氏の姿に、藤壺は表向き拒みながらも、やはりその心にほだされていたのではないかと思います。

朧月夜の君との逢瀬もしかり。彼女は光源氏の政敵、右大臣の娘で、亡き母のライバル・弘徽殿女御の妹です。そんな人と、しかも彼女の家で逢瀬を繰り返していたのですから、やはり大胆としかいいようがありません。「もし見つかれば身の破滅」かも知れない逢瀬。それでも会いに来てくれる男性に、朧月夜の君は熱い思いを抱かずにいられなかったでしょう。(次回へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学15 王朝貴族のプライバシーと情報戦略 

今回は源氏物語の情報戦略について。戦略って、ちょっと大げさですが、この時代でも情報のコントロールは必要だったというお話。前後の話のつながり上、1回で掲載したので、少し長くなりますが、最後までおつきあいよろしくお願いします。

◆情報を操作する女房ネットワーク

「雨夜の品定め」で有名な「帚木」の巻には、「人の品、高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、かくるることも多く、自然にその気配、こよなかるべし。」という一節があります。(女性が)高い身分に生まれた場合、周囲にかしずかれて欠点も隠され、自然にいい女に見える」といったような意味です。

上流の女性はたくさんの優れた女房たちに囲まれています。平安時代、この女房たちのネットワークは強力な情報網でした。女房ネットワークにはあらゆる情報が流れます。たとえば、どこそこの中納言様は今度大納言様に昇格されるそうだとか、どこぞの若君があのお姫様にご執心だとか、あの奥様に二人目の赤ちゃんが生まれるとか、様々な情報が駆けめぐります。

そんな状態じゃ、主家のプライバシーなどないに等しいように思われますが、女房たちにとって主家の利益は自分たちの利益。できる限り、主家にプラスになるような情報を流すでしょう。ですから主家のお姫様について誰かに聞かれても、欠点は隠し、長所を挙げるというのが女房たちの情報のコントロール方法でした。

たとえば、源氏物語一の不美人・末摘花のことも、光源氏に伝えられるときは容姿や性格についてはまったく触れられず「琴を友に寂しく暮らしている」というロマンチックなお話だけが伝えられています。まあ、末摘花の場合、没落貴族なので上流とは言い切れない部分もありますが、貴族の女性たちの素顔は女房たちのネットワークによって情報操作されていたことがうかがえます。

女房たちの善し悪しは情報操作の質をも左右します。後年、光源氏の若い妻となる女三宮は柏木という若い男性と密通していましたが、彼の手紙を隠しそこなって光源氏に見つけられてしまいます。この事件をきっかけに、柏木は病死し、女三宮は不義の子を出産後出家するという悲劇に見舞われます。

女三宮の女房たちは子どもっぽく、軽いタイプの女性がそろっていたと書かれています。彼女たちは女主人の不義を上手に隠すすべを心得ていなかったのでしょう。もし、主人の情報をきちんと守れる大人の女房なら、こんな悲劇は起こらなかったかもしれません。

◆私たちは自分でコントロールする

さて、翻って現代はどうでしょう。たとえば政治家を例に取ってみます。国会議員なら、情報戦略にも相応の予算をかけられるでしょうから、ウェブサイトでもそれなりに完成度の高いものを発信することができます。実際、有名な政治家のサイトを見ても、それなりのプロが作ってるんだな、ということがよくわかります。もちろん、発信する情報についても十分精査されているはず。無用の情報や本人に不利な情報を発信することはありません。これは上流の女性が欠点を隠されるのと同じようなものです。

ところが、地方議会の議員などになると、自分でウェブサイトを作っているのか、素人に任せているのか、ずいぶんずさんなものが見つかったりします。先日、まったく別件で検索をしていたところ、とある県議会議員のサイトのディレクトリにある資料にアクセスできてしまいました。そこには何と、その県の職員全員の名簿が。局や課、係と行った細かい所属まで明記されていて、誰が何を担当しているかはっきりわかります。そういったものを簡単に見られるところに置いておくのはいかがなものでしょう。

さらにこの人、自分のプロフィールに現在の役職や家族のことまでずらずらと書きたてています。なんたら研究会の会長だの、ナントカ業協会の顧問だの、消防団の団員だの、名誉職がうれしいんだか何だか、いっぱい羅列してあります。なかには何某中学校PTA会長といったものも。家族は妻と子どもが何人か。名前も誕生日も丸わかり。PTA会長をしているということから、息子が通っている中学校の名前までわかります。ここまで細かい情報を出す必要はありませんというより、出してはいけません。

たとえば、子どもたちの誕生日。自分の誕生日をキャッシュカードの暗証番号に使うのはいまや非常識ですが、子どもの誕生日を暗証番号にしている人はまだいるのではないでしょうか。この県議の妻がそうしていないとは限りません。あるいは、子どもの学校も名前も誕生日もわかっている場合、誘拐のターゲットにされる可能性もあります。

この県議は情報のコントロールということをあまり理解していないのかも。国会議員のように予算をかけられないからとか、アドバイスしてくれるブレーンがいないからといった言い訳はあるでしょう。でも、どの情報を公開し、どの情報を非公開にするか、といったことは自分でも選択できるはずです。

源氏物語から現代にいきなり飛んでしまいましたが、いずれも情報をいかに発信するか、いかにコントロールするかが大切、ということです。これは一般人のブログなどにもいえることです。発信する内容を十分精査しなければ、炎上したり、プライバシーがだだ漏れになったり、いろいろな問題が発生します。みなさまなら十分理解されていると思いますが、どんな情報を発信すれば、自分にとってメリットがあるのか、これは書いても大丈夫か、女房のいない私たちは自分で考えなければいけない、というお話でした。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に加筆訂正の上、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(2)

(昨日からの続き)
◆父の未亡人をひたすら口説く 

もうひとり、しばらく出てこないのが藤壺。桐壺帝が退位して普通の夫婦のように一緒に暮らしていましたが、その桐壺院が亡くなってしまいました。院に居続ける理由のなくなった藤壺は三条の里邸で暮らすことになりました。光源氏にすればもう、ふたりの逢瀬を妨げるものがなくなったということです。このチャンスを逃す光源氏ではありません。

ある日、どのように仕組んだのか、光源氏はまんまと藤壺の部屋に忍び込んでしまいました。切々と口説く光源氏。ここで光源氏を受け入れれば、自分の産んだ子どもの立場が危うくなると、光源氏を拒み続ける藤壺。そのうちに、藤壺はたまらなくなって胸さえ痛み始めてきました。周囲の女房はうろたえて、光源氏を塗籠(ぬりごめ 周囲を壁手固めた部屋、寝室や物置に使われる)に隠し、藤壺を介抱します。

ここで注意したいのが「御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし」という一文。光源氏の衣を隠している人も大変困った、ということです。言いかえれば、光源氏はほぼ裸だったということ。つまり、男女のことがあったことが読み取れます。藤壺は心は拒み通しても、からだは受け入れてしまったということですね。受け入れる性である女性の悲しさを感じさせられます。

源氏物語の時代、物事をあからさまにするのは見苦しいこととされていました。それゆえ、紫式部も男女のことはそれほどあからさまに書いたりしていません。でも、行間を読めば、なんとなく読み取ることができます。そんなことばかり考えているのもどうかと思いますが、たまにそういう読み方をすると、源氏物語がもっとおもしろくなるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(1)

源氏物語には非常にたくさんの人物が登場します。共感できる人物やそうでない人、あるいは好きな人、嫌いな人、様々ですが、なじみになった登場人物がしばらく出てこないと「あの人、どうしちゃったのかな?」と思ったりします。というわけで、今回はちょっとだけ大人の源氏物語。

◆秋の一夜 野宮の逢瀬

ここしばらく登場しないのが、六条御息所。あの生霊騒動以来、彼女の姿を見ませんが、どうしているんでしょうか。実は彼女の娘の姫宮が伊勢神宮の斎宮に選ばれたので潔斎のため、一緒に嵯峨野の野宮にこもっていました。いまでも嵯峨野には野々宮神社がありますが、これはその名残。本来斎宮が変わるごとに新築されていたので、現在とは違う場所にあったと考えられますが、黒木の鳥居が当時の姿を今に伝えています。

六条御息所はもともと教養高く優雅なマダム。風流に、趣向を凝らして住んでいて、嵯峨野の邸は都の貴族が集まるサロンとなっていました。しかし、そこに光源氏の姿はありません。生霊騒動以来、光源氏は六条御息所と距離を置いていました。六条御息所だって、光源氏の気持ちはよくわかっています。一切の未練を断ち切って、娘とともに伊勢に下ってしまおうと心を決めていました。光源氏もそれは理解していますが、そのまま別れてしまうには惜しい女性でした。光源氏は意を決して六条御息所の元を訪れました。

時は9月7日。秋の盛りの嵯峨野の夜は風情豊かです。都からはるばる訪ねてきた光源氏を、六条御息所はもう会う立場ではないと、娘の潔斎にかこつけ対面を拒みました。でも、それにくじける光源氏ではありません。静止する女房を振り切り、強引に上がり込んでしまいました。

ずっと思い続けてきた人、恋しい人、愛しい人。もう会えないと思っていた光源氏の姿を久しぶりに見た六条御息所の気持ちはどうでしょう。恋したことのある人ならきっとわかると思います。しかも光源氏は「伊勢行きは思いとどまってください」と六条御息所を口説きます。このことばが光源氏の本心かどうかは別として、ゆらゆら揺れる六条御息所の心。

場面はいつの間にか夜から夜明けに変わっています。まさか、かつてあれだけ情熱をぶつけ合った二人がただ語り明かしただけ、というわけはないでしょう。娘の潔斎のために野宮にこもっている六条御息所ですが、ここは光源氏と一夜をともにしたということだと、私は解釈しています。だいたい、源氏物語では男女の間にそういうことがあったかなかったか、うすらぼんやりとしか書かれていないことが多々あります。はっきりしてほしいと思うこともありますが、そこは大人の勘と経験と行間から判断するしかありませんね。

それにしても光源氏は罪作りです。二度と会えないと思っていた人と、一夜をともにした喜びは大きいかもしれません。でも、そういうことがあったから、後ろ髪を引かれます。心が残ります。なまじ会わない方が心が乱れなくてよかったのかもしれません。六条御息所はこのあと伊勢に向かいますが、その道すがらも、伊勢に着いてからも光源氏への思いを断ち切れずに過ごすことになるでしょう。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(2)

(昨日からの続き)
◆臣下の子が皇位に付く?

こういうことを頭に入れて、源氏物語の皇位継承について見てみましょう。光源氏が生まれたとき、帝は桐壺帝でした。桐壺帝は光源氏を皇太子にしたいと考えたこともあったとは思いますが、光源氏の母・桐壺は更衣と身分が低く、その父は按察使大納言(あぜちのだいなごん)で、しかも桐壺が入内したころにはすでに亡くなっていました。いくら寵愛していても、実家の後ろ盾もなく、身分の低い母から生まれた子を皇太子にするわけにはいきません。もしそんなことをすれば、他のお后たちやその親族から、どんな指弾を受けるかわかりません。桐壺帝は無難に、右大臣の娘である弘徽殿女御が産んだ息子を皇太子にしました。この人が後の朱雀帝です。

一方、桐壺帝の前に別の帝がいました。この人は「先帝」と呼ばれ、桐壺帝の中宮で光源氏の最愛の人・藤壺やその兄・兵部卿宮の父です。また、六条御息所の亡くなった夫は先の皇太子でした。おそらく先の皇太子と桐壺帝は兄弟だったと考えられます。本来桐壺帝の後に天皇になるはずだった皇太子が亡くなり、弘徽殿女御の子が皇太子になったのではないでしょうか。

こうして弟から息子に皇位の継承権が移ったにせよ、ここまでの皇位継承に乱れはありません。しかし、源氏物語はこの後、とんでもない人物に皇位を継がせます。それは藤壺と光源氏の間にできた男子、冷泉帝。この人は、臣下の光源氏の息子です。物語とはいえ、臣下の子が皇位に付くことは許されるのでしょうか。源氏物語を読んでいると「本当にいいのか?」と疑問に思います。

でも、光源氏は桐壺帝の子。その息子の冷泉帝は桐壺帝の孫です。桐壺帝の男系男子であり、しかもそれを産んだのは先帝の四ノ宮の藤壺。実は皇統に乱れがあるわけではないのです。冷泉亭はきちんと桐壺帝のDNAを受け継いでいます。読者は違和感なくこれを受け入れることができるでしょう。物語とはいえ、皇統に乱れがないからこそ、源氏物語は長年受け入れられて来たのではないかと思います。

皇位の継承問題は源氏物語でも時に影を落とします。今後はこういったこともちょっとだけ頭に置いておくと、また、違った読み方ができるかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)に掲載した原稿に加筆し、転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学13番外編 源氏物語における皇位継承問題(1)

先日、秋篠宮悠仁親王殿下が1歳の誕生日を迎えられました。昨年のお誕生の際には41年ぶりの皇族男子ということで、改めて皇位継承問題が話題になったりしました。これに便乗して、今回は、源氏物語における皇位継承問題について、ちょっと見てみたいと思います。

◆平安時代の皇位継承

現在の皇室典範によると「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあります。皇位は天皇の直系男子に承継されるものであり、退位と養子が禁止されています。また、皇位の継承順位は皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子及びその子孫となっています。…と、このあたりはもう最近の皇室典範改正議論などでもさんざん目にしているでしょうから、省略しておきましょう。

さて、光源氏の時代の皇位継承についてです。平安時代の皇位は父から子、子から孫と必ずしも順当に継承されるものではありませんでした。親子で継承することもありましたが、時には兄弟で継承することもありました。たとえば、現実を見てみると、第62代の村上天皇は第61代朱雀天皇の弟です。このあたりを見てみると、直系で3代続いたかと思うと、また、何代か前の天皇の弟に皇位が移ったりして結構複雑に入り組んでいます。

また、帝の子として生まれたら、誰でも皇位に付けるわけではありません。「後宮」というものがあった時代です。後宮には中宮もいれば女御、更衣と様々な身分の人がひしめいていました。生まれた子どもらの立場は母親たちの身分とその実家の家柄や権勢がものをいいました。母親が大臣家の娘で女御であれば皇位継承者になる可能性はありますが(無能な大臣だったらなれないことも)、更衣であれば皇位につくのはほぼ無理といえるでしょう。戦のない平安時代ですが、宮中では皇位継承権をめぐる戦いが繰り広げられていました。

もし、自分の娘の産んだ子が皇太子になり、皇位に付けば、娘の父は天皇の外戚として権力をふるうことができるからです。外戚となって栄華を極めた人といえば「この世をば我が世ぞと思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と歌を詠んだ藤原道長です。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(2)

(昨日からの続き)
◆正式な手続きを踏まない婚姻の不安

光源氏はやっと思いを遂げた喜びでいっぱいです。二人が結婚したことを周囲に知らせるため、結婚のあとに食べる餅を整えたり、紫の上の裳着の儀(女子の成人式)を行い、兵部卿宮の娘だということも披露しました。一応結婚したという形を整えたわけです。

でも、当時の正式な結婚は同じ身分、階級の男女が手紙のやりとりに始まり、様々な手続きを踏んで一緒になるもので、家と家の結びつきが重視されていました。男は妻の実家を足がかりに出世しようと考えたり、妻の親も将来性豊かな婿を取って一家の繁栄をねらったりしたのです。

従って、本人同士の合意だけで成り立つ自由恋愛は野合と見なされ、軽んじられていました。正式な手段を踏まず、なし崩し的に事実婚に踏み切られた紫の上の場合は、双方の合意はありませんでしたが、プロセスを考えれば典型的な野合だったといえます。

もし、彼女が父・兵部卿宮の姫君としてその邸に住んでいたら、こんな目には遭わなかったかもしれません。実家の後ろ盾のない、野合的な結婚なんてしなくてすんだはずです。いくら光源氏のことを嫌っても、彼女にはほかに行くところがありません。世間的に認められた正妻の立場を得たわけではないのに、光源氏の愛情と財力以外、頼るものがないのです。

光源氏が本当に紫の上を愛しているのであれば、兵部卿宮との間できちんとした手順を踏んで紫の上を正妻にすべきでした。これは光源氏一生の不覚、大失敗でしょう。形が整っていれば、紫の上の立場は安泰だったはずです。一見愛されているようで、実はとても不安定なこの立場は、後々紫の上を悩ませることになります。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学12 形式が大切なときだってある(1)

さて、前回妻を亡くして傷心の光源氏はその後どうしているのでしょうか。

◆手折られた花の不機嫌

光源氏22歳の秋ももう終わり近く。葵の上の喪に服していた光源氏は3カ月の服喪期間が明け、久しぶりに二条の邸に戻ってきました。ここには紫の上がいます。まだ正式な妻ではないので妻をあらわす「上」という語はつけられないのですが、ここでは便宜上そう呼びます。紫の上はいま14歳。育ち盛りの彼女は3カ月ほど顔を見なかった間に、美しさ、女らしさを増しています。その成長ぶりに光源氏は満足げ。

これほど美しく成長した少女を、ただ眺めて過ごすだけで満足する光源氏ではありません。そろそろ男女の関係になってもいいかも…と考え、紫の上にもそれとなくほのめかしますが、奥手なのか興味も示してくれません。でも、夜は光源氏と同じ床で寝ています。ですから、周囲の人にはいつそういうことがあったかわからないわけです。

ある朝光源氏一人が早く起きてきて、紫の上は布団をひきかぶったまま起きてこないことがありました。布団をめくっても起きようとはせず、不機嫌に押し黙っています。察しのいいみなさまなら、何があったかご理解いただけると思います。妻を亡くしたばかりなのに、なんてやつ、という感じですが、それが光源氏です。長い間紫の上の成長を待ち続け、ようやく思いを遂げた光源氏は実に上機嫌です。それは理解できます。でも、紫の上のこの不機嫌は何?

おそらく、この初体験が合意の上ではなかったということ。それまでも周囲から光源氏のことを夫といわれ、彼を父のように、あるいは兄のように思っていた紫の上。これが夫婦のあり方と、彼女なりに考えていたのかもしれません。それが思いもかけぬ乱暴狼藉。レイプまがいの振る舞いに、14歳の潔癖な少女は大きなショックを受けたことでしょう。その後も光源氏への嫌悪を露わにしながら、彼を拒んでいます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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英訳源氏物語 サイデンステッカー

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 先日、サイデンステッカーの訃報について触れたが、その際に思い立って氏の英訳源氏物語を購入した。約1100ページと分厚く、ペーパーバックにしてはずっしりと重い。英語なんてわからないけど、さっそく開いて、目次を見てみる。

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 各帖の名前を見ているだけでも結構おもしろい。夕顔は「Evening Face」って、そのままだ。「An Autumn Excursion」って、秋の遠足?これは「紅葉賀」。「The Festival of the cherry Blossoms」は、読んで時のごとく「花の宴」。でも、英語で言われるとずいぶん印象が違う。「花散里」は「The Orange Blossoms」だし。須磨と明石はそのままだ。「野分」って「The Typhoon」か。これもそのままだけど、雅じゃないなぁ。「乙女」なんて「The Maiden」だし。いかつい語感だ。「末摘花」は「Safflower」。まあ、そのままベニバナのことなんだけど、結構きれいな感じだ。「若菜」は「New Herbs」ね。七草はハーブだったのか、と改めて認識する。

 本文に添えられた木版の源氏物語絵が、多少のガイド役をしてくれるので、眺めていても楽しい。辞書を片手にぼちぼちとひもといていこう。

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 写真はベニバナ=末摘花。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(3)

◆葵の上、退場

季節は八月、もう秋です。出産を終え、弱々しく横たわっている葵の上に、光源氏はいままでにない愛しさを感じています。葵の上も夫の愛を実感し、二人はようやくうち解けた夫婦になりつつありました。

八月は秋のビッグイベント「秋の司召」が行われる時期。いわば当時の大人事異動です。光源氏も左大臣もみんな御所に出かけていきました。ところが、そんなとき、葵の上が急に苦しみはじめ、光源氏たちに知らせる間もなく息を引き取ってしまったのです。ようやく夫と心が通い始めたのに、子どもも産まれてこれからというときに、彼女はあえなく物語から退場してしまいました。

大切な娘が亡くなった左大臣家はもう大騒ぎ。物の怪が取りついていたことを考え、遺体は2〜3日そのままにしておきましたが、どんどん様子が変わっていきます。遺体が朽ちていく様子を見守る家族の姿は凄絶です。8月20日過ぎ、ようやく葬送が行われました。

葵の上の死は、六条御息所が光源氏にさんざん振り回された結果、起こるべくして起こった事件だと言えるでしょう。事件の前、桐壺帝は光源氏に六条御息所の扱いについて忠告しています。「人のため、恥ぢがましき事なく、いづれをも、なだらかにもてなして、女の恨みな負ひそ」つまり、どの女も傷つけぬようにして、恨みを負うなといったところです。ずいぶんさばけた父の教えですが、役には立ちませんでした。今回の教訓は、この桐壺帝のひと言に凝縮されているのではないでしょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(2)

(昨日からの続き)
◆知らぬ間に魂が抜け出して・・・

あの祭の日から六条御息所は時々、嫌な夢を見るようになりました。出てくるのは葵の上と思われるきれいな女性。六条御息所は、横たわっている彼女の髪を持って引きずったり、激しく叩いたり、日ごろはあり得ない乱暴狼藉をはたらいています。「もしかしたら自分が知らない間に魂が抜け出しているのかも・・・」。おののく六条御息所。世間も葵の上が六条御息所の生き霊に悩まされているとうわさしています。「うわさは本当かもしれない」。人知れず悩む日が続きます。

一方、こちらは葵の上。出産までまだ日があると思われていたのに、急に産気づいて苦しみはじめました。大臣家のことですから、万全を期して加持祈祷にも力が入ります。そのとき、光源氏に向かって「お話ししたいことが」と葵の上。陣痛に苦しむ妻の手を取り、光源氏が慰めようとしたときです。

「調伏が苦しいので、少しゆるめてください。物思う人の魂がからだを離れてしまうって本当だったのね」そう語る女性の様子や声はまるで六条御息所。目の前で妻が愛人に変身してしまいました。そのときの光源氏の心情を、原文では「あな、心憂」と簡潔に表現しています。今風にいえば「うわぁ、気持わる〜」といった感じでしょうか。自分の奥さんの顔が、愛人の顔に変わったりしたら、それは気持ち悪いでしょうね。これを読んで「ぞっ」としたあなた、もしかして不倫中ですか?それなら、どうぞ気をつけてくださいね。

さて、苦しみながらも葵の上は無事男の子を出産しました。後に「夕霧」と呼ばれるようになるこの子は、表向き光源氏の第一子ですが、実は2人目の子ですね。そんなことは知らない帝や貴族たちからは続々と出産祝いが届きます。

六条御息所の耳にもそんな話は聞こえてきます。心は穏やかではありません。魂が抜けたような気がするときは、体に護摩を焚いたときの芥子のにおいが染みついているように思えます。髪を洗っても、衣を着替えてもにおいは落ちません。生き霊になってしまった浅ましい自分。六条御息所の嘆きはつのるばかり。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学11 女の恨み、買うべからず(1)

今回も雅に参りましょう、といいたいところですが、そうはいかないちょっと恐ろしげな気配。少しは残暑を和らげてくれるかもしれない、オカルトなお話に突入です。

◆賀茂神社の御禊の日に

光源氏22歳の夏。朝廷では桐壺帝が退位し、弘徽殿女御の長男・朱雀帝が即位。同じころ、光源氏の妻・葵の上が初めての子を妊娠します。この話でいつも思うのは、不仲でもセックスレスではなかったんだな、ということ。意外な気もします。とまれ、光源氏は妊娠した妻を見て、いままでになかった愛情を感じるようになっていました。

それとは逆に、光源氏の冷たさに泣いていたのが六条御息所。正妻には子どもまでできたというではありませんか。彼女の苦しみはつのるばかり。ちょうど六条御息所の姫君が天皇の代替わりに伴って伊勢の斎宮に選ばれたのを機に、一緒に伊勢に行ってしまおうかと思案しています。

斎宮と同時に、賀茂神社に使える齋院も代替わりします。そのときには様々な儀式が行われます。これがいまに伝わるのが葵祭。祭の前日に行われる御禊(身を清めるみそぎ)では、上達部がお供をすることになっています。光源氏もその一人に選ばれました。祭当日は、日ごろ姿を見るのも珍しい貴公子達が登場するとあって、大勢の人が見物にやってきました。なかでも光源氏はまるでアイドルのような人気です。

貧しい人々は徒歩で、身分の高い人は桟敷や牛車の中から見物します。その中にひっそりと止められている網代車がありました。光源氏への思い断ちがたく、ひと目を忍んでやってきた六条御息所の牛車です。ところが、そんなに混雑したところへ、大勢の従者を従えてゆっくりやってきた車が。こちらは周囲から進められて渋々やってきた葵の上の車。さあ、大変!本妻と愛人の鉢合わせ。ドキドキもんです。

葵の上の従者は、主人の威を借りて六条御息所の車を押しのけようとします。そこから従者同士の小競り合いが始まり、六条御息所の車は御簾が破れたり、車を壊されたり、見るも無惨な姿になって片隅へ押しやられてしまいました。

ちょうどそこに行列がさしかかります。光源氏は相変わらずの水際だったいい男っぷり。自分の女たちには目配せを送ったり、葵の上の前では威儀を正したりして通り過ぎていきます。でも、みすぼらしい姿になった六条御息所の車には目もくれません。高貴な生まれで、皇太子妃にまでなった六条御息所。世が世なら、彼女が皇后だったはずなのに、いまはただの捨てられかけの愛人です。しかも、正妻の従者にまで横暴を働かれ、六条御息所のプライドはずたずたに傷ついてしまいました。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(2)

(昨日からの続き)
◆私は何をしても許されるのです

人恋しさをもてあましていた光源氏はやれうれしや、と朧月夜の袖をとらえます。薄暗い廊下でこんなことをされたら、誰だってギョッとします。朧月夜は「まあ、怖い!誰なの?」とその振る舞いをとがめますが、光源氏は朧月夜を抱き上げて部屋の中に連れて行き、朧月夜は驚きで一体何が起きたのかと、呆然としています。その様子は可憐で、やはり普通の身分ではなさそう。結構気が強いのか「ここに人が!」と叫ぼうとします。

でも、そんなこと、光源氏はお構いなし。「私は何をしても許されるんだから、人を呼んでも困らないよ。まあ、静かにしてらっしゃい」と、平気です。これ、お坊ちゃまの光源氏だからいえることばです。朧月夜はその声に聞き覚えがありました。昼間の花の宴で、漢詩を吟じていたあの声。そう、光源氏の声。

「この人だったら、いいや」朧月夜がそう思ったかどうかはわかりません。原文では光源氏の声を聞いて「いささか慰めけり」、ちょっとホッとした、と書かれています。相手は当代一の貴公子。あまり物わかりの悪い女とも思われたくないわ、と思ったのか、朧月夜は結局光源氏に身を任せてしまいます。

肌を重ねてみれば、朧月夜は思いのほかに若々しくかわいらしい様子。高貴な姫君独特の気高さと、教養に裏打ちされたエスプリ、ちょっぴりわがままで気が強そうだけどかわいらしい朧月夜の様子に光源氏も彼女と離れがたく思います。でも春の夜は短く、お互いに名前も告げず、扇だけを交換して別れました。

その後、光源氏の乳母子・惟光らの働きで、朧月夜の正体がわかりました。右大臣が催した藤の宴で、二人はようやく再会します。実は朧月夜は弘徽殿の女御の妹。しかも皇太子妃になることが決まっていました。お妃になるはずの娘がキズモノになってしまって、右大臣にとっては大問題。なにやらロミオとジュリエットのような、波乱含みの恋の幕開けです。

今回の教訓、戸締まり、つまり日常生活をきちんとしておかないと、大切な娘がイケナイ男に捕まってしまうかもしれませんよ、というお話。弘徽殿の局の人たちが、もう少しきちんと戸締まりをしていたら、こんなきな臭い関係、始まらなかったかもしれません。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学10 戸締まり用心、男に用心(1)

源氏物語にはたくさんの貴族たちが登場します。光源氏を中心とした皇族関係や、光源氏の妻の左大臣一族、あるいは左大臣の政敵で光源氏の敵でもある右大臣一族など、それぞれ個性豊かに描き分けられています。今回は右大臣一族のお嬢様が登場します。

◆桜と月の美しい夜に

光源氏20歳の春のことです。御所で「花の宴」が催されました。これは春のビッグイベント。桜の下で帝や東宮、後宮のお妃、貴族や役人など多くの人が集まり、歌を詠んだり舞を舞ったりして1日を過ごす催し。帝に自分をアピールするチャンスですから、貴族たちも念入りに漢詩を詠んだり、ちょっと舞いの練習をしておいたり、準備には余念がありません。その中でも光源氏はひときわ輝いて見えます。「春」という漢字を読み込んだ漢詩も人々の賞賛の的。帝に請われて舞を舞えばまた見事。宴は夜遅くまで続きました。

さて、ほんのり酔い心地の光源氏。桜も月も美しい夜です。こんな夜って、ちょっとなまめいた気分になった経験、ありませんか?光源氏は恋しい藤壺にひと目でも会えないかと、御所の藤壺あたりをうろうろしています。もちろん、戸締まりは厳重。蟻の入り込むスキもありません。

向かいに見えるのは弘徽殿。光源氏の母・桐壺いじめの首謀者、弘徽殿の女御の殿舎です。弘徽殿の女御は帝の元に召されているようで、人も少なく戸締まりも不十分でどことなくスキのある雰囲気。酔っぱらいの光源氏は恐いものなし。厚かましく上がり込んで、女房たちの部屋をのぞいて回ります。コラ!

で、ふと見ると向こうから若い女性が「朧月夜に似るものぞなき」と歌いながらやってきます。服装から見ると身分の高い姫君のよう。彼女も宴の余韻冷めやらず、何となく浮かれていたのでしょうか。この姫君を「朧月夜」と呼びます。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(2)

(昨日からの続き)
◆不義の子を身ごもって…

ところが!です。恐ろしい事実が判明します。藤壺の妊娠。男女の関係を持ったのですから、当然といえば当然ですが、相手は桐壺帝の妃。しかも、実家に帰っていたときに妊娠してしまったのです。光源氏もそれを聞き、恐れおののきます。二人の手引きをした王命婦もさすがに怖くなり、もう二人を合わせようとはしません。桐壺帝には「物の怪のせいで妊娠に気づくのが遅れた」とごまかしました。桐壺帝がこれを本当に信じていたのかどうかはわかりません。ただ、現在のように科学が発達していなかった分「物の怪のせい」ということばは有効だったようです。

一方、寵姫の妊娠を知った桐壺帝の喜びはいかばかりでしょうか。一層藤壺をそば近くにおいて離そうとしません。宴の音楽のリハーサルを見せたり、彼女を喜ばせようと心を砕いています。悪いことにそのリハーサルには光源氏も出演していたのです。頭中将と「青海波」という二人舞を舞いました。それを帝のそばで眺める藤壺。藤壺に届けとばかり踊り、歌を詠む光源氏。二人の心は千々に乱れていたことでしょう。

秋も過ぎ、出産予定の12月が過ぎ、正月を迎えてもまだ藤壺は出産しません。光源氏も藤壺も、これはあのときの子どもと、罪の意識におののいています。ようやく子どもが産まれたのが2月の10日過ぎ。生まれたのは光源氏そっくりの玉のような男の子でした。父性愛に目覚めたのか、光源氏はしきりに子どもに会いたがります。初めての子どもですからね。一方、藤壺は子どもの顔を見るのさえ恐ろしく感じています。だけど、こうなると母は強し。光源氏を遠ざけ、事実を知っている女房さえ遠ざけて子どもを守ろうとします。

出産を知って喜んだのが桐壺帝。自分のいちばんかわいがっている光源氏にそっくりな男の子。母親の身分も高く、この子なら将来皇太子にだってできます。しかし、桐壺帝が寵愛と期待を語るたび、藤壺は身の置き所のない罪の意識にさいなまれます。ある日、桐壺帝は赤ん坊を抱いて光源氏の前に現れました。「これが我が子か」と思う間もなく、「あなたによく似ている。小さいときはみんなこうなのだろうか」という帝のことばに光源氏はいたたまれなくなります。

ここで読者はコキュと間男の対面を読むことになります。満面の笑みで間男に不義の子を見せて喜んでいる図。何も知らず笑っている桐壺帝はとてもマヌケに見えます。おそらく、光源氏もおののきながらも一抹の軽侮を感じていたかもしれません。私も初めて読んだころはそう思っていました。だけど、少し大人になったいま、桐壺帝は、本当に何も知らなかったんだろうか、と思うことがあります。みなさんはどうお感じになりますか?(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学9 コキュは本当に何も知らなかったのか?(1)

今回は、失敗学でも何でもありませんが、源氏物語を語るに欠かせない重要局面なので、ここでまとめておきたいと思います。源氏物語重大事件のひとつ「藤壺妊娠事件」です。光源氏が若紫を自宅へ連れ帰ったり、末摘花にいいよったり、源典侍と浮き名を流している間に、こんな重大な事件が語られています。

◆「帝の妃」への恋

藤壺とは、光源氏の父・桐壺帝の妃の一人。先帝の娘で、光源氏の母・桐壺の死後、女御として桐壺帝のもとに入内しました。光源氏より5歳年上の藤壺は、その面差しが光源氏の母に似ているいわれ、光源氏と並ぶ美貌の持ち主として「輝く日の宮」と呼ばれていました。

藤壺のもとにたびたび出入りしているうち、少年時代の光源氏は恋心を抱くようになったのです。葵の上と結婚したころからすでに、藤壺に思いを寄せていたことが書かれています。ちなみに、光源氏が北山で出会い、我が家に連れ帰った紫の上(若紫)は、藤壺の兄、兵部卿宮の婚外子です。そのためか藤壺と紫の上もよく似ているとされています。

少年時代からふくらんでいった光源氏の恋心。しかし、帝の妃への恋は禁断の恋。容易には満たされません。空蝉に出会う以前、もしかしたら二人は関係を持ったのではないかという記述がありますが、それすらあまりにもぼかされていて、定かではありません。光源氏は満たされぬ思いを抱えながら長年過ごしていました。

藤壺と光源氏の恋のことを「義母との不倫」といったりする人がいますが、そういう考えはとても現代的ですね。ここは藤壺を「帝の妃」と認識しておくのがいちばん妥当だと思います。本稿でもそういう立場で話を進めていきます。

◆里帰りのすきにとうとう…

さて、そんなある日のこと。藤壺は体調を崩して実家に里帰りしました。光源氏はこのチャンスを見逃しません。ある日、藤壺の女房の王命婦に手引きを頼み、ついに藤壺と関係を持つことに成功したのです。ここでおもしろいのは「命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集めてもてくる」と書かれていること。光源氏が衣装を脱いでしまっていることがよくわかります。つまり、二人はことに及んでしまった、ということをここではっきりさせているわけですね。源氏物語にすると、珍しくえっちな表現です。

しかし、思いを遂げたのもつかの間、光源氏は短い夜を恨みながら藤壺のもとを去らなければいけません。一方、藤壺も光源氏を憎からず思っています。もしかしたら、彼女は桐壺帝よりも光源氏の方が好きだったのではないか、と思う節もあります。だけど帝の妃という立場は重いものです。もし、これが誰かに知られたら、と思うと藤壺は居ても立ってもいられません。とにかく、帝にだけは気取られたくない、と帝から参内の要請があってもなかなかこれに応じませんでした。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(2)

(昨日より続き)
◆ふたりの貴公子の間で揺れるおんなごころ

特にこれを聞いて対抗心を燃やしたのが光源氏の妻の兄・頭中将。彼は光源氏の親友ながら、ことあるごとに張り合うライバルでもありました。以前、光源氏が末摘花に言い寄ったときには、頭中将もやはり対抗して手紙を送ったりしています。頭中将もさすがに源典侍に手を出す気はなかったのですが、光源氏との関係を聞いて源典侍を再評価し、実地検証に及んじゃったみたいです。

もちろん、光源氏に冷たくされてさびしかった源典侍、こちらも当代屈指の貴公子からのお誘いです。乗らないわけがありません。もしかしたら「あたしって、こんなに若い男性から誘われて、まだまだイケテルのね」なんて、勘違いしていたのかも。

源典侍と頭中将の関係は秘密裏に進み、光源氏はまだ気づいていません。源典侍もことあるごとに光源氏の薄情を恨んだり、誘うようなそぶりを見せますが、光源氏もさすがにその気にはならないようです。ところが人はシチュエーションによって心揺れるもの。夕立が過ぎた風情豊かな宵、御所で源典侍が一人琵琶を弾いていました。さすがに名手だけあってつい耳を傾けてしまいます。催馬楽(さいばら)を歌う声もなかなかのもので、これに惹かれて光源氏はふたたび源典侍と夜をともにしてしまいました。

ところが、これをこっそり目撃していた男が!
ふたりがまどろみ始めたころ、男は源典侍の部屋に踏み込みました。物音に気づいた光源氏、これは源典侍の元カレが忍んできたのだと思って、屏風の陰へ隠れます。これを見た侵入者は太刀を抜いてえらく恐ろしげに振る舞います。ふたりの男にはさまれた源典侍はさすがに恋多き女。こんな場面にも多々遭遇してきたのでしょう、侵入者を押さえようと「あが君、あが君(=あなた、あなた)」とすがっています。

最初はとまどい「みっともない姿で逃げていくのはやだな」とか考えていた光源氏、侵入者ともみ合っている途中でようやくその正体に気づきました。男はふたりの様子をうかがっていた頭中将。こうなればもう、ほとんどじゃれ合いです。お互い袖がちぎれたり、帯がほどけたり、青年貴公子も見る影なし。ボロボロになったふたりは、そろって帰って行きました。その後ろ姿を見送る源典侍、ちょっぴり女冥利に感じていたかもしれませんね。

このエピソードは源氏物語の中でも珍しいドタバタです。でも、そんな中でもみんな歌を詠んでいるのはさすが王朝物語。雅は決して忘れません。さらに、こんなことがあった後も源典侍は光源氏を追いかけ回していたと物語は伝えます。うーん、ある意味ストーカーですね。この人。

ところで、源氏物語には様々なモデルが考えられていますが、この源典侍のモデルは何と紫式部の兄嫁だったとか。おなじく源典侍と呼ばれていた兄嫁は物語のおかげで宮中にいたたまれなくなり、典侍の職を辞したとも伝えられています。もしそうであれば、紫式部ってずいぶん罪作りです。

本日の教訓、超年上の女に手を出すときは、それなりに覚悟を決めましょう。加えて、小説家にはモデルにされないようにしましょう(←こじつけ)。(この項終わり)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学8 衝撃!超年の差カップル誕生(1)

◆20歳の貴公子と「いたう老いたる」おんなの恋

以前、40歳の小泉今日子と20歳のKAT-TUN(カトゥーン)の亀梨和也くんの年の差カップルが報じられ、話題を呼びました。世の中年女性はこのオハナシに大いに勇気づけられたのではないでしょうか。何せ女性が20歳年上。まあ、小泉今日子だからOKなのかもしれませんが、それでもちょっぴり楽しい夢が見られそうな話題ではあります。

ところが!1000年も前、源氏物語ではもっともっとすごい年の差カップルが描かれていました。男性はいまをときめく20歳の青年貴公子、光源氏。ちょうど亀梨くんと同い年です。一方、女性は57、8歳。光源氏の3倍近い年齢。原文では「年、いたう老いたる=ずいぶん老いている」とも書かれています。いまの57、8歳ならまだまだ若々しい人もたくさんいますが、当時はもう本当におばあさん扱い。イメージ的には77、8歳ぐらいの雰囲気を思い浮かべてください。あ、東山紀之と森光子を思い浮かべるのもちょうどいいかも。

この女性は源典侍(げんのないしのすけ)と呼ばれ、帝に使えていました。源と付くぐらいですから、皇族の流れをくむ家柄の出身で、教養も高い才女。歌や音楽の才能もあり、帝も一目置いて重用していました。ところがこの人にはひとつ欠点が。原文には「いみじう仇めいたる心ざま」とありますが、ずいぶん浮気性だといったような意味です。つまり、いくつになっても男性を求めてやまない、よくいえば恋の狩人でした。

◆ストライクゾーン、広すぎ!

光源氏も恋の狩人としては人後に落ちません。恋のうわさが絶えない源典侍に「なぜこの年でそんなに浮気性なのか」と、興味を持ち、ついつい誘ってしまったのです。勇気があるというか、好奇心旺盛というか、恐いもの知らずというか。でも、源典侍の方は有頂天。孫のような年ごろの、水もしたたる貴公子からのお誘いです。飛びつかないわけがありません。結局ふたりは男女の関係に。わずか10歳の若紫を強奪してきたかと思えば、今度は超年上。光源氏のストライクゾーンの広さは脱帽ものです。

でも、光源氏が人間くさいところは「こんな関係、人に知られちゃまずいよな」と思っているところ。さすがに外聞が悪いと思ったのか、しばらくは源典侍に対してよそよそしく振る舞っていました。ところがある日、ふたりきりになる機会が。こんな時、ついちょっかいを出してしまうのが光源氏の悪い癖。源典侍にしたら「そんなところがカワイイ!」ってな感じでしょうが。

さて、ふたりきりになった源典侍、確かにファッションセンスは抜群です。ヘアスタイルも色っぽく華やか。だけど若作りなんですね。そばへ近づくとそれが一層あからさまに。さらに振り返ったその姿。紫式部はこれでもか、というほど意地悪い筆致でこき下ろしています。

目元は落ちくぼんで黒ずみ、髪はそそけだち、手元の扇はド派手なマッカッカ。しかもその端には「私はいま空き家よ」というような意味の歌が。それを見て改めてぞっとした光源氏、逃げようとするのですが、源典侍は袖をとらえて離しません。色気たっぷりに光源氏の気をひこうとし、冷たくされるとヨヨと大げさに泣いて見せたりします。

ところがこのシーン、障子の影から帝がご覧になっていました。うわさは瞬く間に宮中に拡大します。「光源氏様が源典侍と…」「ウソ、あんなおばあちゃんと?」「いやん、ショック」「源典侍様って隅に置けないわね」「私だって」などと、口さがない女房たちはあれこれうわさします。もちろん、宮中に仕える殿上人の間にも伝わっていきました。(明日に続く)

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英訳でわかる源氏物語の新しさ サイデンステッカー氏死去

源氏物語は、日本文学の最高峰であり、世界的にも誇るべき文学の一つだろう。しかし、原文は難解で、これを読みこなすのは専門家でなければ現代人にはかなり難しい。そのため、これを敬遠してきたひとも多いはずだ。

何人かの文学者のことばで興味深く感じたのが「英訳で読んで、初めて『源氏物語』の新しさを知った」というもの。原文やこれまでの現代語訳では、カビの生えた古典にしか思えなかったものが、英訳という新たな切り口によって、内容の普遍性やストーリー展開のおもしろさに気づいたというのだ。

そういう観点から見ても、源氏物語を完全英訳したサイデンステッカー氏が日本文学に残した業績は大きい。あの膨大で難解な文章を、よく全訳したものだと思う。これによって源氏物語が世界に紹介され、日本文学のレベルの高さを知らしめることになったのだ。なお、源氏物語の英訳は、アーサー・ウェイリー氏の方が先だが、こちらは抄訳であり、欧米人に理解しやすい意訳などもあるので、原作とはかなり印象が違うそうだ。

サイデンステッカー氏は米海軍で日本語を学んだあと、海軍の語学将校として硫黄島作戦などにも参加、戦後は情報将校として日本に進駐している。退役後は外交官として再来日し、東大大学院で平安文学を学んだという。源氏物語の英訳は75年。そのほか、川端康成の『雪国』や谷崎潤一郎の『細雪』などを英訳している。昨年、日本の永住権を取り、東京で暮らしていたが、今年4月、転倒して頭部を強打、その後意識が戻らず、26日逝去された。ご冥福を祈りたい。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(2)

(昨日より続き)
◆恐怖の女房ネットワーク

当時、貴族に仕える女房たちは、親戚同士だったり、複数の家に仕えている人がいたり、お互いが複雑につながりあっていました。そこには自然に女房たちのネットワークが形成されます。ネットがうわさも真実も形を変えながら伝えていくように、彼女らの話もあちこちに伝わり、広まっていきました。これに乗るのは主人たちのうわさや、スキャンダル。

どこそこの中納言が、誰かの娘に恋文を送っただの、あの大将がどこかに新しい女を作っただのという話が飛び交います。どこそこの大納言はステキな歌を詠んだけど、誰それの手紙と花のコーディネートは最低だったわね、などと彼女らにかかれば王朝の貴公子たちも形無し。

うわさ話が話題の中心なんてつまらない、なんていわないでくださいね。縁談ひとつが自分の主人の台所事情を変えるこの時代です。もし、自分の仕えているお姫さまの恋人が地方勤務になれば、お姫さまともども自分も地方に行くことになります。つまり、主人の動静が自分の去就をも決めるわけです。女房たちがうわさ話に熱心になるのも当然です。光源氏が紫の上を引き取ったという話も、このネットワークに乗って葵の上の耳に届いたんでしょう。

◆深まる溝、埋まらぬ隙間

閑話休題。
こんなうわさを聞いて、葵の上がおもしろいはずがありません。それでなくても訪れも絶え絶えな年下の夫。ようやく、顔を見せてくれたけど、笑顔で迎えられるわけないですよね。つんと取り澄ました硬い表情で夫に相対します。そんな妻に対し、光源氏は心の中で「もっと素直に恨み言を言ったり、泣いてすがったりすればもっとありのままを話して慰めることもできるのに。そんな風だから浮気するのさ」なんて、虫のいいことを考えています。気位の高い葵の上がそんなことできるわけないでしょうに。

この二人を見ていると、最初のちょっとしたボタンの掛け違いが少しずつ深い溝になっていくんだな、という感じがします。どちらが悪いというのでもなく、お互いにもう一歩ずつ歩み寄っていれば、もう少し近づきあえたはずです。この二人の隙間はいまのところ埋まりそうにありません。外では数々の女性と浮き名を流している光源氏も、妻には苦労しています。きょうは結婚のはじめに失敗しちゃった夫婦のお話をご紹介しました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学7 気位の高い妻とうち解けられない夫(1)

◆お妃候補だったのに…

さて、光源氏の結婚については以前ちらりと書いたことがありました。彼は12歳で元服した際、4歳年上の葵の上と結婚します。彼女の父は左大臣。母は光源氏の父・桐壺帝の妹。つまり、光源氏のおばさんの娘=いとこということになります。ああ、人間関係が錯綜していますね。

ともかく、彼女は民間人では最高クラスのお嬢様。美人で誇り高く、教養も十分な彼女は皇后になってもおかしくない立場です。実際、当時の皇太子から妃にと望まれています(皇太子の祖父は左大臣の政敵、右大臣です)。ところが桐壺帝の意向によって光源氏の妻になりました。左大臣にとっては帝の覚えがめでたくなり、政略としては成功に思えます。

でも、光源氏と葵の上にとってはそれが間違いだったかも。結婚当初から二人の間はぎくしゃくしていました。末は皇太子妃、と育てられていたはずの葵の上にすれば、何で光源氏と結婚しなきゃいけないんだろう、という感じです。いくら光源氏のルックスがよくても、才能にあふれていても、桐壺帝に寵愛されていても、臣下と皇太子では雲泥の差があります。

もし、葵上が皇太子に嫁いでいたら、彼女の人生はまったく違っていたでしょう。高い身分と美ぼうと教養を兼ね備えた彼女は内裏でも重んじられたはずです。宮中にライバル多しとはいえ、彼女にかなう人はなかなかいません。男の子を生んだら、その子は天皇に、彼女は国母になる立場の人です。

しかし、夫は臣下で4歳も年下。どうも結婚当初から、葵の上は自分の方が年上だということを気にしていたようです。そんな気持ちが、よけいに彼女をかたくなにしたのかもしれません。光源氏が訪れても、女房たちに囲まれて端然と座っているだけ。たまに話をしても、他人行儀。

◆堅苦しい妻にうんざり

一方、光源氏もお堅くてうち解けない雰囲気の葵の上になじめないものを感じているようです。恋のアバンチュールなら、いくらでも口から出まかせの愛のことばが出てくる光源氏も、葵の上相手ではどうも勝手が違います。話しかけてもかえってくる返事はタカビーで、会話もスムーズには展開しません。自然に葵の上を訪れる頻度も少なくなり、余計に二人の関係はこじれていきました。

そんなある日、葵の上の耳に飛び込んできたのは、光源氏が自邸に女性を引き取ったといううわさ。当時10歳の紫上のことですが、大人の女性だとか、光源氏はいずれこの人を正妻にするだろうとか、うわさはいい加減な方向にふくらみます。葵の上にしたら聞き捨てなりません。(明日に続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(2)

(昨日より続き)
◆光源氏様って、ロリコン?

少女が藤壺に似ているのも当然。彼女は藤壺の兄、兵部卿宮が忍んで通った女性との間にできた子どもだというのです。光源氏は祖母・尼君にさっそく少女を引き取りたいと伝えます。だけど、そんなこと突然いわれても尼君が困りますよね。当然「まだ子どもですから」と相手にされませんでした。

その後も手紙を送ったり、乳母子の惟光を使いに出したり、あれこれ画策しますが、ことははかばかしく進みません。そのうちに尼君が亡くなり、少女は頼る人がなくなってしまいました。このチャンスを見逃す光源氏ではありません。少女の家をたびたび訪れ、時には彼女と同じ寝床で寝ようとすることも。周囲の女房たちは「子ども相手になにを…」と気が気ではありません。

一方、少女の父の兵部卿宮、いままで放っておいたくせにどういう風の吹き回しか、彼女を引き取ることにしたようです。兵部卿宮には気の強い奥さんとその子どもたちがいます。少女の存在はじゃまだったのでいままで尼君に預けていたのですが「まあ、放っておくわけにもいくまい」ってな感じで、引き取ることにしたんでしょう。そうなると、光源氏の思うようにことが進まなくなる可能性があります。

いよいよ明日引き取られようという前の夜、光源氏は先手を打って少女を連れ出し、自分の邸・二条院に住まわせることにしました。強引な手法です。18歳という若さがなしえた無謀といえるでしょう。

それから、折に触れて光源氏と少女の楽しい生活が語られます。少女の雛遊びの相手をしたり、手習いをしたり光源氏は彼女の成長をじっと待っています。末摘花の赤い鼻を見てしまったときには光源氏が自分の鼻を赤く塗って「私がこんな顔になったらどうする?」とふざけています。少女とのエピソードは重いお話の中の清涼剤のような役割です。

少女を連れ去った光源氏を「ロリコン」と評する向きがありますが、それは違います。ロリコンというのは少女を対象にした性愛ですが、光源氏の場合、この少女は性愛の対象ではありません。光源氏の関心はあくまでも成長した女性にあります。いまは少女の成長を心待ちにしている段階。早く大輪の花を咲かせよとばかりに水をやり、肥料をやり、将来の姿を楽しみにしているところです。なので「光源氏って、ロリコンよね」という誤解は解いていただきたいのです。本日は失敗学ではありません。ちょっぴり光源氏の弁護に回ってみたくなった、というのが本音です。

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学6 光源氏、ロリコン疑惑浮上(1)

◆あの人に似ている…

光源氏18歳の春。前回登場した末摘花にメール、じゃなかった、恋文でアプローチしていたころ、光源氏は瘧病(わらわやみ)という病気にかかります。マラリアみたいに熱が出たりひいたりする病気ですが、この治療のために、光源氏は北山に加持を受けに行きました。北山というのはいまの金閣寺か鷹峯あたりだと考えられています。満開の桜、春霞の山々、舞台装置は実に美しくのどかです。

そこで光源氏は近くの僧房に女性が身を寄せていることを知り、のぞき見に行きます(オイ!)。当時、女性の姿って、滅多に見られるものではなかったので、男たちはこうしてのぞき見(垣間見といいます)で、女性の姿を知っていたわけです。だから、別段これは犯罪ではないので、お見逃しください。

そこに登場したのは「雀の子が逃げたの」と泣きながら祖母の尼君の元に走り寄る10歳ぐらいの少女。「走る」という、当時の女性としては異例の登場で、彼女は読者に強い印象を残します。そして光源氏にも。

少女の姿を見たととたん、光源氏は彼女から目が離せなくなりました。「あの人に似ている」。光源氏が少年のころから思い続けてきた人、父の妻・藤壺の女御にそっくりなのです。将来どんなに美人になるだろう。あんな姫を引き取って藤壺の代わりにできたら、自分の思うとおり教育して理想の女性に育て上げたら、どんなに楽しいだろう、と思いを巡らす光源氏。(明日へ続く)

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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学5 末摘花の巻 やっぱり、うわさを信じちゃいけないよ(2)

(昨日からの続き)
◆赤鼻のお姫様

さて、久々に姫君と一夜を過ごし、明くる朝は一面の雪。この雪明かりで光源氏は初めて姫君の顔を見ました。そのときの感想は「あな、かたは」と書かれています。「うわ、なんだこれは!」という感じでしょうか。やけに座高が高くてやせさらばえていて、おまけにひどい馬面で、着物も薄汚れていて、黒貂の毛皮を羽織った姿は目も当てられません。
何より驚いたのは鼻の先が長く垂れ下がっている上、赤く色づいていること。このことから彼女はベニバナの別名である「末摘花」の名で呼ばれます。

紫式部は残酷なほどリアルに彼女の不美人ぶりを描いています。ただ、落とすばかりではなく「髪の毛だけは黒々と長く豊か」と美点を書き加えているのはさすがに宮家の姫君に遠慮したのでしょうか。まあ、彼女の姿を見た光源氏はそれはそれは驚いたでしょう。いままで美人ばっかり見ていたのに、こんな不美人に出会うなんて。

でも「そんなブス、何でいままでわからなかったんだ?」って思っている人、いませんか?当時は電気がありませんから夜は完全な闇。外では月明かりや星明かりだけが頼りです。室内では小さな燭台程度の灯りはありましたが、部屋全体を照らす灯りはありません。もし、光から顔を背けていたら、顔なんてほとんどわかりません。おまけに当時の女性は基本的に人に顔を見せないようにしていましたから、関係を持っても顔を知らない、ということもあり得たわけです。なので、この光源氏のオドロキも不自然なことではありませんでした。

それよりも、今回の光源氏の失敗は、人のうわさ話に乗せられたところにありました。実は末摘花の情報を光源氏に伝えたのは彼の乳母子の大輔の命婦という女房。彼女は末摘花の屋敷、すなわち常陸宮家でも働いていました。ところが常陸宮家はいまや破産寸前。大輔の命婦にとっても死活問題ですから、資金源が必要です。それには光源氏と末摘花をくっつけるのが一番、と考えたんですね。実際、光源氏は常陸の宮家の窮状を放っておけず、援助の手をさしのべています。だから、今回の教訓は「人のうわさ話には要注意」ということです。だけど、結果的には常陸宮家を救ったのですから、OKとしましょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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