« 2008年9月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

源氏物語の登場人物2 弘徽殿大后

Koubai

源氏物語は多数の女性が登場する。六条御息所が好きな人、明石の君が好きな人、朧月夜の君が好きな人・・・と、それぞれ好みが別れるところだ。でも、たぶんこの人はだれも好きっていわないんじゃないか、という人がいる。

それが弘徽殿大后。何てったって源氏物語最強の敵役だ。桐壺いじめの首謀者にして、光源氏最大の政敵。光源氏が須磨に退いたのも、この人の力を恐れたがためだ。自分の息子は傀儡にする。父親の右大臣だって、彼女には恐れをなすほどの女傑。そんなエピソードにも事欠かない。例えば、光源氏と朧月夜の密会が露顕した夜のことを思い出してみよう。

瘧病で右大臣邸に里下がりしていた朧月夜は光源氏と密会を重ねていた。恐ろしいことにその邸には弘徽殿大后も住んでいる。若さゆえか、怖いもの知らずの二人だ。ところが激しい雷雨の未明、二人のデートはあえなく右大臣に見つかってしまう。右大臣は短慮な人で、これをすぐさま弘徽殿大后に報告した。そのときの彼女の怒りのすさまじいこと。右大臣をして「何で話してしまったんだろう」と後悔させるほどだったという。

このエピソード一つでも、弘徽殿大后の激しさが分かる。そう、彼女は源氏物語の登場人物には珍しく、感情をあらわにする人なのだ。だが、決してお育ちが悪いわけではない。なんといっても右大臣家のお嬢様(ちょっと古くなっているが)なのだ。妹の朧月夜が美しい人だというなら、彼女だっておそらく桐壺帝に入内したころは美人だったに違いない。もちろん、教養だって十分だ。

例えば須磨の巻で、彼女は「 朝廷の勘事なる人は、心に任せて この世のあぢはひをだに知ること難うこそあなれ。おもしろき家居して、世の中を誹りもどきて、 かの鹿を馬と言ひけむ人のひがめるやうに追従する」と述べている。「鹿を馬と言いけむ」というのは中国の故事にある話。ここから、彼女は漢籍の教養もあったとことが分かる。それを隠さないのが弘徽殿さんらしいところだ。

だが、私は彼女が嫌いではない。光源氏に厭味をいったり、桐壺をいじめたり、ということはあるが、何というか源氏物語の中ではとても陽性でわかりやすい人。怒らすと怖いが、お友だちになったら、結構楽しいかもしれない。

それに彼女は、光源氏が大好きだったのかもしれない。かわいいかわいい光源氏。こちらまで思わずほほえんでしまいそうな、美しくかわいらしいほほえみ。だけど、桐壺の産んだ子。自分のものにはならない子。だからかわいさ余って憎さ百倍。辛く当たったり、時には陥れるような仕打ちに走ったのではないだろうか。

とまれ、源氏物語は彼女の存在抜きには成立しない。桐壺の死も、光源氏の須磨退去も、藤壺の出家も、弘徽殿大后がいてこそだ。時には彼女にも目を向けてほしい。

※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。物語は現在「若菜下」の巻です。物語はいよいよ佳境に入ってきました。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (0)

お知らせ 週刊ポストに掲載されました

このブログをご覧のみなさまにお知らせです。
いま発売中の週刊ポスト1月30日号44〜46ページに、少しですが、私の談話が掲載されています。
昨年12月、山下柚実さんという作家の方に源氏物語に関する取材を受け、このほど記事になりました。
よろしければご一読頂ければ幸いです。

※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (2)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学29」  内大臣の頭痛の種とは?(2)

Koke

■超早口の新姫君

ある日、内大臣は里帰り中の弘徽殿女御のもとを訪れたついでに、近江の君の部屋を訪れました。部屋をのぞくと、近江の君は五節の君という若い女房と双六を打っている様子です。この双六はバックギャモンのようなゲームで、サイコロを振るという共通点はありますが、いまのような「ふりだし」から「あがり」まで駒を動かすものとはちょっと違います。

二人が双六に興じる声が、内大臣のいるところまで聞こえてきます。近江の君は両手をすりすりさせながら、「小賽(しょうさい)、小賽」とオマジナイを唱えています。それがとっても早口で、声も素っ頓狂。余りに耳障りで、内大臣は「ウゼェ」と思うのでした。相手をしている五節の君は近江の君の従姉妹ですが、こちらも興奮していて「お返しよ、お返しよ」と軽薄そうな様子。内大臣はますます嫌気がさしています。

それでも内大臣はこの不肖の娘に話しかけます。近江の君は父大臣のもとで暮らせることに多いに感謝している様子。内大臣は「せめてもう少しゆっくり話してくれれば私の寿命も延びるだろう」と苦笑しながら話しかけます。それに対し近江の君は「生まれつきなのでしょう、生まれたときに産屋に詰めていたお坊さんが早口だったのにあやかったそうです」などとまたまた早口で答えます。

ここで内大臣は弘徽殿女御への出仕をすすめます。一応名目は「行儀見習い」ということです。近江の君はとっても喜んで「すっごくうれしい。何とか、何とかみなさんに兄弟だと認めてほしいと祈ってるの」と答えます。彼女、いろいろと問題点はありますが、根は素直なお嬢さんなんですね。弘徽殿女御への出仕についても「水汲みをしてもお仕えします」などと殊勝なことを、また早口でいいます。「それではいつ出仕しましょう」とすっかりその気です。内大臣は「そう思うならきょうにでも」と言い置いて近江の君のもとを立ち去りました。

近江の君はさっそく弘徽殿女御に手紙を書こうとします。でも、ここまででもおわかりのように、彼女はひどい田舎育ちのため、基本的な教養が身についていないのです。早口もそのせいです。もちろん、歌や手紙の教養も不十分。弘徽殿女御に書いた手紙は「点がちにて」というものでした。おそらく、字画の点ばかりが目立つような書き方、という意味です。お習字もちゃんとできていないという感じでしょうか。

さらに詠み込んだ歌は、あちこちの歌枕が盛り込まれた、お世辞にも上手とは言えないもの。青い紙に漢字をたくさん使って、角張った書体で書いてあります。しかも気取って書いてあるのか払いが長く伸びていたり、ふらふらして見えたり、行が倒れそうに曲がっていたり、ずいぶんなできあがりですが、ご本人は満足げ。なでしこの花を付けて弘徽殿女御に送りました。もちろん、送った先ではいい笑いものです。

こういう風に書くと、まるで近江の君が失敗しているように見えます。もちろん、ものを知っている身からみれば、彼女のふるまいはおおいに失敗に近いでしょう。「私は無知で無教養」と触れ回っているようなものです。

だけど、ここで考えてみれば失敗したのが誰かよく分かりますね。彼女をここまで無知、無教養でほったらかしにしていたのは、内大臣です。それまで、近江の田舎とはいえ、平穏に暮らしていたのに、急に都へ引っ張り出され、しかも大臣家のお嬢様として暮らすようになったのです。一朝一夕に教養やたしなみが身につくわけがありません。もし、内大臣が近江の君の母親を少しでもケアする気持があれば、ここまで放っては置かれなかったでしょう。

また、側近のあり方も大きいかもしれません。玉鬘は筑紫などという田舎で育ちながらも、一応光源氏に認められるほどの教養とたしなみは身につけていました。これは乳母たちの教育の成果です。だけど、近江の君は誰一人そうした気遣いをしてくれる人がいなかったのでしょう。もし、内大臣が気の利いた乳母の一人でも付けていれば、彼女はもうちょっとましなお姫さまに育っていたかも知れません。そう考えると、やっぱり父親の責任は大きいと感じさせられます。

本日の教訓。外で遊んで遊びっぱなしだと、いずれ報いを受けますよ。責任はきちんとりましょう。ってことでしょうか。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。
※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (0)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学29」  内大臣の頭痛の種とは?(1)

Miyakowasure

■娘を捜し出したはいいけれど

さて、光源氏が夕顔の娘・玉鬘に恋をして、中年の恋に悩んでいたころ、光源氏のライバルの内大臣(元頭中将)は、娘のことで悩んでいました。内大臣には宮中に上がっている弘徽殿女御と呼ばれる娘と、光源氏の息子・夕霧と恋仲になったのに、引き裂かれてしまった雲居雁という娘がいます。内大臣にとっては雲居雁の将来も気になるのですが、もう一人「もう、本当にどうしようか」と思うような娘がいました。

彼女のことを「近江の君」と呼びます。その名の通り、近江の国=いまの滋賀県で育ったお嬢さんです。彼女は内大臣が若いころ外で作った娘でした。光源氏同様、若いころは浮き名を流していた内大臣です。外腹の子の一人や二人はいてもおかしくありません。そんな娘がここへ来て登場したのは、玉鬘のせいです。

光源氏が、どこかで育っていた自分の娘を引き取ったと聞いて、うらやましく思い、内大臣は自分にもそんな娘がいないかと探したのでした。本当は玉鬘こそが自分の娘なのですが、内大臣はそんなこと、想像だにしません。で、息子たちなどを使い、方々探した結果、名乗りを上げたのが近江の田舎に住んでいた近江の君でした。この人が内大臣の頭痛の種でした。

何しろお育ちがお育ちなので、内大臣家の姫君として扱うにはどうにもお下品というわけです。だからといって、元の家に送り返すわけにもいきません。こんな娘、自分の娘ではない、と思いたいのですが、顔を見るとやっぱり自分に似ているような気がするし、それほどブスというわけでもありません。ほとほと困り抜いた内大臣は、この近江の君を弘徽殿女御の女房にしようか、と考えていました。(次回に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ


| | コメント (0)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学28」 元カノの娘がやってきた?(2)

■観音様に願いが通じた!

さて、夕顔が亡くなったとき、そばにいたのは右近という女房。彼女はいま、紫の上付きになっています。右近は玉鬘との再会を願い、定期的に奈良県桜井市にある長谷寺に参詣していました。秋風が心地よいその日も右近は長谷寺へ詣で、宿坊へ入りました。部屋には間に幕が引かれていますが、どうやら先客があるようです。

徒歩の疲れが出て、ものに寄りかかっていると隣から食事の給仕をしている声が聞こえます。どうやら身分のある人が来ている様子。ちらっと幕の間から除くと、そこにいる男の顔に見覚えがあります。別の女の顔も見たことがあります。

「!」

夕顔に使えていた人たちです。「もしかして姫君がここにいらっしゃるのかしら」。さっそく右近は名乗りを上げます。はじめは先方も誰か気づきませんでしたが、顔を見せてようやくわかった様子。玉鬘一行は石清水八幡宮や長谷寺の観音様に内大臣に会えるよう祈願していたのでした。一行は夕顔の消息や玉鬘のその後など、お互いの近況を話し合い、再会を喜んだり、涙を流したり、とてもドラマチックな場面です。

玉鬘の乳母は再会した右近に、内大臣に会えるよう計らってほしいと頼みます。右近は自分のいまの主人が光源氏の妻であることを話し、光源氏と夕顔の当時の事情を明かして光源氏の力を借りることを約束しました。それにしても姫君の美しいこと。母・夕顔はなよなよとかわいらしい人でしたが、この姫君はその血筋ゆえか優雅さを感じます。それに比べて、お付きの人が田舎くさいのは不思議でした。

六條院に戻り、右近はこっそりと光源氏に玉鬘を発見した話を伝えました。これを聞いた光源氏は玉鬘を六條院に迎えようと考えて、とりあえずは玉鬘に手紙を送り、衣類なども細かく気遣います。玉鬘は実父でもない人物からの贈り物にかえって気を遣っていましたが、右近は光源氏と夕顔の浅からぬ縁を伝え、まずは返事を書かせました。

実はこれは光源氏のテストです。手紙は書けるか、筆跡はどうか、姫君としての基礎教養はどうかといったところが試され、玉鬘はどうやら無事に合格した様子。かつて末摘花の手紙に幻滅した経験が、こうした行動を起こさせたのでした。

六條院では花散里の夏の邸に住まわせることにしました。それにさきがけ、紫の上に夕顔の話をします。夕顔のかわいらしさを聞くにつれ「それでも明石の君ほどではないでしょう」と、紫の上は明石の君にまた、嫉妬の炎を燃やすのでした。

今回は特に誰が失敗ということもありません。少しずつ歯車がずれた結果、夕顔は玉鬘の元に戻らず、玉鬘は筑紫へ向かうことになりました。でも、ここですべてが収束し、新たな物語が始まります。強いていえば、玉鬘が六條院に引き取られたことが玉鬘自身にとってよかったのかどうか、という問題がありますがそれはまた、追々お話ししましょう。まあ、和歌を詠もうとして読めなかった太夫監は、失敗というか道化役ですね。(この項終わり)

Chikurin2

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。
※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (0)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学28」 元カノの娘がやってきた?(1)

Yamabuki

今回も前回に続き、光源氏らの子ども世代の登場です。

■夕顔の露のゆかりのその後

光源氏35歳の秋。以前から造営していた六條院が完成しました。六條院は六条御息所の邸を取り入れて作られた大邸宅です。広大な敷地を春の町、夏の町、秋の町、冬の町に四等分し、春の町には紫の上、夏の町には花散里、もと六条御息所の邸の秋の町にはその娘の秋好中宮、冬の町には明石の君がそれぞれ入居しました。光源氏の栄華を体現した邸です。このあと源氏物語の舞台の中心は、この六條院に変わります。

さて、六條院へのお引っ越しのしばらく前。都から遠く離れた肥前で、ある事件が起こっていました。みなさま、光源氏が17歳の時、熱烈な恋をした上、突然世を去ってしまった夕顔という女性を覚えてらっしゃるでしょうか。光源氏はいまでも「彼女が生きていれば」と思うことがあったようです。

この夕顔には頭中将(現内大臣)との間に生まれた娘がいました。その名を玉鬘(たまかずら)と呼びましょう。しかし、夕顔の死後、消息不明になっていました。実は、夕顔の行方がわからなくなったため、乳母の夫が太宰府へ赴任するのに伴い、筑紫の国(いまの福岡県)に連れて行かれてしまったのです。それから10数年、乳母の夫は亡くなり「玉鬘を都へお連れするように」という遺言だけが生きています。乳母は玉鬘を大切に育てましたが、なかなか都へ戻れません。そうする間にも玉鬘は美しく、気高く成長していきます。血筋のせいか、母・夕顔より上品に見えます。

現在は肥前に住む美しい玉鬘の噂は自然に外へ漏れ、田舎の男たちが聞きつけてラブレターをよこします。でも、都へ帰って父の内大臣(頭中将)との再会を目標にしている乳母たちは誰も相手にせず、体に障害があるから結婚はさせず尼にすると言いふらして、男を寄せ付けないようにしていました。

そんな中、一人非常に熱心な求婚者がいました。この男は肥後の国に住む 大夫監(たゆうのげん)という武士。無骨ですが、女好きできれいな女性をたくさん集めて妻にしようと考えていました。彼が玉鬘の噂を聞きつけ、少々障害があってもかまわないから妻にしたいといってきたのです。いつも通り断る乳母。

しかし、 大夫監は乳母の息子たちを抱き込み、説得にかからせました。田舎なまり丸出しの手紙が来るだけならだけならまだよかったのですが、とうとう乳母の息子が 大夫監を邸まで連れてきてしまいました。

大夫監は背が高く太っていて、血色がよく見苦しくはありません。でも、どことなく荒々しくて、声もがらがらしているし、やっぱり都人の雅さはありません。がらがら声のまま、乳母に「自分と結婚すればお后様のような扱いをする」ともっともらしいことを述べます。体が不自由だといえば「目が見えなくても、足が折れていても自分が直そう」と大言壮語します。勝手に結婚の日取りを決めるので、乳母はそれを先延ばしにするのがやっとでした。

さらに 大夫監は和歌をひねり出して得意気です。乳母は娘たちに何とか返歌を読ませて切り抜けました。 大夫監はご機嫌でもう一首和歌を詠もうとしましたが、できなかったようで、そのまま帰ってしまいました。

さあ、このままでは 大夫監と結婚しなくてはいけません。乳母は 大夫監に抱き込まれなかった長男や娘たちと筑紫を逃げ出すことにしました。長女は家族が増えすぎて現地にとどまります。次女は夫を捨てることに。一家離散です。一行は早舟で都へ上りました。到着したのは川尻という淀川の河口。さらにそこから京へ入りました。(次回に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

※ただいま若葉マークの源氏物語ブログ別館「千年前から恋してる!」公開中。
アクセスはこちらから  http://wakabagenji.cocolog-nifty.com/sennenlove/

あなたの応援が更新の励みになります。クリックしてね!↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2009年2月 »