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2008年6月

大雲山 龍安寺

先日、京都を訪れた際、少し時間が空いた。河原町をぶらぶら歩いているとバス停が目に止まった。「来たバスに乗ってみよう」。小さな小さな旅に出ることにした。

やってきたのは京都市内を西に向かうバス。途中に「龍安寺」の文字が。龍安寺は昔よく訪れた、私の好きなお寺だ。最近はあまり訪れる機会がなかったが、久々に龍安寺の石庭を見てみたい、と思った。

龍安寺の石庭を見るのは何年ぶりのことだろう。前に訪れたのがいつだったのか、もう思い出せないぐらい昔のことだけど、室町時代に誕生した庭にとって、そんな時間なんて毛ほどの重みもない。昔のままのたたずまい。あのころと変わったのは龍安寺が世界遺産に登録されたことだけだ。

Ryouanji1

土曜日の龍安寺は観光客でいっぱいだ。昔に比べると外国人の姿も増えた。それぞれにがやがやとにぎやかだ。だけど、モノトーンの庭は一切の音を感じさせない。庭を見ていると、すべての音が遠ざかっていく。

庭の広さは幅25メートル、奥行き10メートル。白砂を敷き詰め、15個の石が絶妙のバランスで配されている。向こうの油土塀は、白砂の照り返しを和らげる働きをするという。

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方丈をぐるりと巡る。北側には豊かな緑の植え込み。「吾唯足知」を刻んだつくばいがある。真ん中の水穴を口の字に見立て、4つの文字がこれをシェアしている。これは徳川光圀の寄進といわれている。ただし、これはレプリカ。本文は普段は公開されていない。

Ryouanji3
境内はいま、青紅葉の盛りだ。秋の紅葉もすばらしいけど、青紅葉の生命力とすがすがしさに思わず深呼吸したくなる。夏、鏡容池に蓮が咲くころ、もう一度行ってみよう。

http://www.ryoanji.jp/

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松彌の和菓子

京菓子はそれだけでひとつの景色をなしていると思うことがある。色とりどりのきんとんや有平糖を使って季節の移ろいや花や草木、時には風や水までも表現するのは京菓子ならではだ。ある時には写実的であり、ある時には極限まで抽象化する。だけど、その中に必ず花鳥風月や四季が織り込まれている。洋菓子に比べると、より四季や自然に近く、繊細な表現力を持っている。

Matsuya1

なかでも四季折々の景色を切り取ったように思えるのが、松彌の和菓子。特に夏の和菓子は見た目にも涼しげなものが多い。

Matsuya2

これは「せせらぎ」。岩に見立てた小豆の上を寒天のせせらぎが流れる。水しぶきは銀箔。水の音さえ聞こえてきそうだ。その上に青紅葉が浮かぶ。小豆がホクホクしていて、お茶菓子にもおすすめだ。

Matsuya3

こちらは同店でも一番有名な「金魚」。ゴールデンウイークから8月まで売られる人気商品だ。梅酒味の寒天の中に赤い金魚と黄色の金魚が泳ぐ。全体が青いように見えるけど、実は底の部分の寒天だけに青い色が付いている。上は透明なのだ。このお菓子は何度も寒天を重ねて作られる。見た目以上に手間暇がかかっている。

Matsuya4
同じように寒天の中に季節を封じ込めたのが「つばめ」。こちらはツバメの飛ぶ姿をはちみつレモン味の寒天の中に入れている。上面に描かれた幾条かの線はツバメの軌跡を表しているのだろうか。

正直なところ金魚やつばめは格別おいしいというものでもないけれど、見た目がとても楽しい。夏のお茶請けには喜ばれそうだ。

■京都市中京区新烏丸通り二条上ル
■075-231-2743
■10:00〜18:00 月曜休

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今井食堂のさば煮

上賀茂神社の西側、普通に歩いていては見過ごしてしまいそうなこぢんまりした、庶民的な店構えの食堂が「今井食堂」。でも、昼時になると次から次へと人が訪れる。壁に向かったカウンターが2列並んだ店内はすぐにいっぱいになる。

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同店の名物は3日間煮込んだというさば煮。サバといえば塩焼きや味噌煮などがポピュラーだが、同店のさば煮はだしでこっくりと煮込んでいる。気になるさばの生臭みなどはどこかへ消し飛んでいる。骨の存在など忘れるぐらい柔らかく煮込まれたさばは口の中でほぐれ、だしのうまみとともに広がっていく。特に腹の脂のおいしいこと。本当にとろけるような味わいだ。

「おすすめ定食」はさば煮とコロッケ、チキン串カツ、だし巻き卵とご飯、みそ汁がついて683円。ボリュームもたっぷりだ。みそ汁の中には大きめに切った大根がゴロンゴロン入っていた。見た目はまるで学生食堂のランチだが、食べると絶品。このさば煮を食べるためだけに、また、上賀茂を訪れてもいいと思ったぐらいだ。

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安くて、おいしくて、ボリュームたっぷりと三拍子そろった、学生の町・京都らしい食堂だ。大学生の息子がこんな食事を食べているとわかったら、親御さんも安心できるだろう。ありがたいことに、持ち帰り用の弁当やおかずもある。今度は可能ならば持ち帰ってみたい。

ちなみに、同店は元ヤクルトの古田が立命館大学時代に通った店。店内にはそうした選手の記事や、地元を取り上げた新聞記事の切り抜きが貼ってあって、一人でも意外に手持ちぶさたにはならない。

■京都市北区上賀茂御薗口町2
■075-791-6780
■11:00〜16:30(売り切れ次第閉店) 水曜休

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上賀茂神社 片岡社

上賀茂神社は平安京遷都以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神として崇められてきた、歴史ある神社だ。境内にある「ならの小川」は藤原家隆の和歌「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞなつのしるしなりける」にも詠まれている。

Kamigamojinjaroumon

その第一摂社が楼門前に鎮座する片山御子神社=片岡社だ。玉依日売命を祀った社で、五色の鈴の緒が目印。ここは紫式部もお参りしたと伝えられており、絵馬には「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに たちやぬれまし」という紫式部の歌が記されている。

Kataokasha1

この絵馬、ハート型で「縁むすび」と書かれ、十二単姿の女性の絵が描かれたきれいなもの。いかにも縁を結んでくれそう。といっても、このハート型は実は葵の葉をかたどっている。平安時代、葵は「あふひ」と表記し、「会う日」と通じることから、男女の逢瀬にかけて使われることもあった。つまり、ハートでも、葵でも恋の成就を祈願するものには違いないのである。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(2)

■言い訳に悩む光源氏
明石の君一行は、こうして大堰山荘へ移り住みました。明石の海辺に似た、風情豊かな住まいですが、明石の君は明石のくらしを思い出して切なくなるときもありました。こんな時、光源氏がそばにいてくれたらどんなに心強いでしょう。でも、光源氏は訪ねてくれません。都へ着いたらすぐ出迎えてくれてもよさそうなのに、なぜ彼は来てくれないのでしょう。光源氏の形見の琴をつま弾きながら、明石の君は物思いに沈むのでした。

光源氏だって、明石の君や娘に会いたくないわけではありません。何とか訪れようとするのですが、さすがに内大臣という重い身分。かつてのように軽々しく夜歩きはできないう上に大堰はちょっと距離があります。それに何より気になるのは紫の上のこと。紫の上は明石の君が上京したことをまだはっきりとは知らないのです。「ほかのルートから聞かされると、気まずくなるよなぁ」と思案する光源氏。何とかうまい口実はないものかと考えて紫の上に告げました。

「いま桂に造っている別荘なんだけどさ、ちょっと様子を見に行こうと思うんだ。それに『上京したら訪ねるよ』って約束した人もその近くに来ていて待ってるらしいんだよね。せっかく来ているのに、行かないのも何だしさ。そうそう、嵯峨野の御堂の仏様のところも立ち寄らなければいけないから、二、三日留守になりそうなんだ」

この、用事と用事の間にさりげなく本題をはさむところが、いかにも恐る恐るのご機嫌伺い、という雰囲気ですね。これを聞いた紫の上は「桂に別荘を造っているのは知ってたけど、それって女の人を住まわせるつもりだったんだわ」とピンと来ます。それが明石の君だと気づいたかどうかは書かれていませんが、おそらく感づいていたことでしょう。「斧の柄さへ改めたまはむほどや、待ち遠に」と紫の上は返事を返します。

これは「仙人の碁を観ている間に時間が経って、きこりの斧の柄が朽ちていた」という故事に基づいた返事です。つまり「きっと帰るまでに時間がかかるんでしょうね」という紫の上の皮肉です。どうも彼女はご機嫌斜めです。光源氏はすっかり困ってしまいました。

「これは異なこと。世間じゃ私のことをもう昔みたいな女たらしじゃなくなったっていってるのに」と必死に弁解します。結局この日は紫の上のご機嫌を取り結ぶのに、時間がかかってすっかり日が高くなってしまった、とあります。

このやりとり、何気なく描かれていますが、光源氏って意外に恐妻家だったのかな、と思います。朧月夜をナンパしたときには「ぼくは何をしたって許されるんだから」とうそぶいていた光源氏ですが、紫の上相手にはそうはいかないようです。こんなところに意外な人間くさい一面が現れていて、源氏物語っておもしろいな、と思ったりします。

今回は失敗、とまではいきませんが、意外に恐妻家の光源氏の一面をお伝えしたいと思い、このエピソードを取り上げてみました。(この項終わり)

Seiryouji

写真は嵯峨釈迦堂(清涼寺)本堂

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

■明石の家族の別離
光源氏31歳の秋。光源氏はいま住んでいる二条院のほかに、二条東院を建てました。ここには花散里を引き取り、住まわせることにしています。光源氏はこの邸に明石の君も住まわせようと考え、上京を促す手紙を何度も送っていました。

でも明石の君はなかなか上京の決心が付きません。当時はいまなんて比べものにならないほどの格差社会。生まれ育ったところで人の上下が決まるような時代です。ましてや都の貴族と、受領階級の明石の君では大きな差があります。高貴な女性でも光源氏に冷たくされていると聞くのに、そんな身分の自分が都で暮らせるだろうかと逡巡しています。でも、自分の娘も明石生まれ。いま三歳です。このまま田舎に埋没させて、光源氏の子どもとして認められないのもかわいそう。明石の君とその両親には悩み多き日々が続きます。

そんなとき、明石の君の母の祖父が持っていた大堰(嵐山近辺)の別荘の存在を思い出しました。明石の君の母の祖父は、中務宮と呼ばれた親王です。実は高貴な血筋をひいていたことがここで語られます。いきなり都の真ん中に住むより、こうしたところでゆっくり慣れていく方がいいだろうという入道は気遣い、この山荘をリフォームさせることにしました。

同じ頃、光源氏は嵯峨野に御堂を造っていました。これは嵯峨釈迦堂と呼ばれる清涼寺がモデルといわれています。清涼寺には立派な仁王門がありますが、昨年暮れに酔っぱらい運転の車が突っ込む事故があり、無惨な姿になってしまいました。現状は未確認ですが、どうなっているのでしょうか。気になるところです。

閑話休題。

大堰の山荘はリフォームがすみ、光源氏は親しい側近たちに明石の家族を迎えに行かせました。いよいよ都へ発つ時です。娘を都の貴族と結婚させることは明石入道の長年の夢でした。いま、その夢が叶うのです。でも、明石入道は明石の地に一人残ることになっています。長年連れ添った妻や娘、そしてかわいい盛りの孫娘との別れはどれほど辛いことでしょう。

明石入道の妻や明石の君も、年老いた入道を一人残す心細さは同じです。それでも別れは容赦なくやってきます。光源氏が明石を去るときにはべそをかいたり、数珠をなくしたり、遣水に落ちて腰を打ったり、さんざん道化を演じてくれた明石入道ですが、今回は違います。僧らしい、毅然とした姿で妻と娘に別れのことばをかけます。

受領になった経緯や僧になった理由などを語る明石入道の態度には世を捨てた人の決意がにじみ出ています。彼は最後に「命尽きぬと聞こし召すとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに、御心動かしたまふな」と言い切ります。つまり、自分が死んでも葬式はするな。死に別れにも心を動かすな、というのです。もう二度と会うことのない家族の気持ちを考えると、胸が締め付けられるようです。(次回へ続く)

Togetukyou

写真は大堰川にかかる渡月橋

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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