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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学24」 彼は意外に恐妻家?(1)

■明石の家族の別離
光源氏31歳の秋。光源氏はいま住んでいる二条院のほかに、二条東院を建てました。ここには花散里を引き取り、住まわせることにしています。光源氏はこの邸に明石の君も住まわせようと考え、上京を促す手紙を何度も送っていました。

でも明石の君はなかなか上京の決心が付きません。当時はいまなんて比べものにならないほどの格差社会。生まれ育ったところで人の上下が決まるような時代です。ましてや都の貴族と、受領階級の明石の君では大きな差があります。高貴な女性でも光源氏に冷たくされていると聞くのに、そんな身分の自分が都で暮らせるだろうかと逡巡しています。でも、自分の娘も明石生まれ。いま三歳です。このまま田舎に埋没させて、光源氏の子どもとして認められないのもかわいそう。明石の君とその両親には悩み多き日々が続きます。

そんなとき、明石の君の母の祖父が持っていた大堰(嵐山近辺)の別荘の存在を思い出しました。明石の君の母の祖父は、中務宮と呼ばれた親王です。実は高貴な血筋をひいていたことがここで語られます。いきなり都の真ん中に住むより、こうしたところでゆっくり慣れていく方がいいだろうという入道は気遣い、この山荘をリフォームさせることにしました。

同じ頃、光源氏は嵯峨野に御堂を造っていました。これは嵯峨釈迦堂と呼ばれる清涼寺がモデルといわれています。清涼寺には立派な仁王門がありますが、昨年暮れに酔っぱらい運転の車が突っ込む事故があり、無惨な姿になってしまいました。現状は未確認ですが、どうなっているのでしょうか。気になるところです。

閑話休題。

大堰の山荘はリフォームがすみ、光源氏は親しい側近たちに明石の家族を迎えに行かせました。いよいよ都へ発つ時です。娘を都の貴族と結婚させることは明石入道の長年の夢でした。いま、その夢が叶うのです。でも、明石入道は明石の地に一人残ることになっています。長年連れ添った妻や娘、そしてかわいい盛りの孫娘との別れはどれほど辛いことでしょう。

明石入道の妻や明石の君も、年老いた入道を一人残す心細さは同じです。それでも別れは容赦なくやってきます。光源氏が明石を去るときにはべそをかいたり、数珠をなくしたり、遣水に落ちて腰を打ったり、さんざん道化を演じてくれた明石入道ですが、今回は違います。僧らしい、毅然とした姿で妻と娘に別れのことばをかけます。

受領になった経緯や僧になった理由などを語る明石入道の態度には世を捨てた人の決意がにじみ出ています。彼は最後に「命尽きぬと聞こし召すとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに、御心動かしたまふな」と言い切ります。つまり、自分が死んでも葬式はするな。死に別れにも心を動かすな、というのです。もう二度と会うことのない家族の気持ちを考えると、胸が締め付けられるようです。(次回へ続く)

Togetukyou

写真は大堰川にかかる渡月橋

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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コメント

ここの辺り、好きなところです。

投稿: シナモン | 2008年6月 3日 (火) 20時35分

シナモンさん、コメントありがとうございます。
このあたりは、光源氏も男盛り。間もなく栄華を極めるというところで、物語では一番華やかなころですね。

連載はまだまだ続きますので、よろしくお願いします。

投稿: 鳴川和代 | 2008年6月 4日 (水) 14時24分

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