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2008年5月

本田味噌本店

食生活が洋風化したとはいえ、日本人の食卓にみそ汁が上る頻度は高い。朝、一杯のみそ汁を飲む。お腹のそこまでじんわりしみていく温かさ。碗から立ちのぼる味噌の香り。このみそ汁の出来如何でその日の気分も多少は左右される。みそ汁がおいしく決まると、ちょっと料理の腕が上がったような気がする。

私をそんな気にさせてくれるのが、室町一条にある「本田味噌本店」。創業は天保年間。約170年を経た老舗だ。かつては御所の御用達だったという。魚のみそ漬けを「西京漬け」というが、西京とは、東京に対する西の京、という意味で、同社の味噌を西京味噌と呼んだそうだ。

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店構えは重厚で風格を感じさせる町家づくり。○に丹ののれんが目印だ。ちょっと見たところ敷居が高そうだが、入ると店員さんが愛想よく迎えてくれる。店内には味噌がずらり。看板商品の西京白味噌をはじめ、紅麹味噌、朝餉、赤だし、白麹味噌など様々な味噌が並ぶ。素人目にはどれがどんな味噌なのかさっぱりわからない。そんなときは店員さんに尋ねれば親切に教えてくれる。

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この店を初めて訪れたとき、白麹味噌を買ってみそ汁を作ってみた。その味わいのやさしいこと。塩味がぐっと押さえられ、味噌の香りが鼻腔をくすぐる。この味噌を使い始めてから、いままで使っていた味噌が使えなくなってしまった。どうも味がくどいように感じるのだ。

Hondamiso3

というわけでこの味噌を知ってから半年、こればかり使っている。次回は紅麹味噌を試してみようかと考えている。それから同店の「一わん みそ汁」は、いわゆるお湯を注ぐだけでできあがりのインスタントみそ汁だが、麩焼の中に味噌の粉と具が入っている。なかなか本格派の味わいだ。軽いのでおみやげにもおすすめ。

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この写真はおまけ。室町通りを歩いて見つけた。コンクリートの打ちっ放しの壁に源氏香の模様が入っている。

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こちらは全体図

■本田味噌本店 京都市上京区室町通一条558
■(075)441-1131
■午前10時〜午後6時 日曜休み
http://www.honda-miso.co.jp/index.html

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Creme de la Creme の 京野菜シュー

昔から寺社が多く、精進料理が発達した京都では、独特の味わいと形を持つ京野菜が数多く育成されてきた。丸くて大きな聖護院ダイコン、京水菜、賀茂なす、太さに驚く堀川ごぼう、瓢箪型の鹿ヶ谷かぼちゃ、大ぶりの万願寺唐辛子など、最近では京都以外のスーパーにも並ぶ、ブランド野菜と化しつつある。

もちろん、京都へ行けば京料理だけでなく、イタリアンやフレンチにも登場する。だけど、洋菓子にも使われているのは意外でオドロキだった。

Cremedelacreme3

烏丸丸太町に近い「Creme de la Creme」は「蕎麦ぼうろ」などで知られる石田老舗がプロデュースするシュークリームのお店。バラエティ豊かなシュークリームをはじめ、シューを使った洋菓子を販売するほか、ランチ、デリカなども楽しめるカフェを2Fに併設している。

ここの看板商品が「京野菜シュー」。季節に合わせた京野菜のクリームが入ったシュークリームが食べられる。

5月末までは「春のシュークリーム」。壬生菜、京たけのこ、丹波黒豆などがそろう。これに通年商品の「京の白味噌」を合わせた京野菜シュープレート(472円)はちょっとおもしろいシュークリームだ。


Cremedelacreme1

写真はやまのいも、丹波黒豆、京たけのこ、壬生菜、京の白味噌が並んだシュープレート。やまのいもは食材の特長を生かした粘りある食感。京たけのこには細かく刻んだたけのこが入っていて、歯ごたえが楽しい。壬生菜はちょっぴり青臭い。京の白味噌は中に半兵衛麩の生麩が入っている。私の中で一番だったのが丹波黒豆。黒豆のコクと香ばしさが生きていて、ちょっと大人の味わいを感じた。野菜のシュークリームと聞いて、ちょっと腰が引けていたが、意外に甘味にマッチしてるのがオドロキだ。

「京野菜シュー」は、季節によって商品が変化する。6月からは賀茂なす、京とまと、万願寺とうがらし、秋は鹿ヶ谷かぼちゃ、紫ずきん、丹波栗、冬は聖護院かぶら、京にんじん、やまのいも、堀川ごぼうと多彩。丹波栗や鹿ヶ谷かぼちゃ、京にんじんぐらいは想像が付くが、万願寺とうがらしや堀川ごぼうなんかはどんな風になるのだろう。とても気になる。


Cremedelacreme2

そのほかデザート類も多彩。写真はシューロール。天窓から太陽の光が降り注ぐ店内は明るい雰囲気。女性一人でも気軽に入れるのもいい感じだ。

なお同店では、5月28日から6月3日まで、京都高島屋地階食品売り場に出店する。

■京都市中京区烏丸竹屋町少将井町225
■075)241-4547 FAX(075)241-4548 火曜定休
■http://www.cremedelacreme.co.jp/

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藤と源氏物語

もう、花の時期は過ぎてしまったけれども、5月ごろ咲く藤の花は藤原家を象徴する花だ。藤原氏の氏神である奈良の春日大社には砂ずりの藤と呼ばれる花穂の長い藤が咲く。

源氏物語でも藤はしばしば藤原氏と関係する。「花の宴」の巻では、藤原氏の右大臣が自邸で藤の花の宴を開く。光源氏が朧月夜に再会する宴の夜だ。

あるいは藤の名前そのものが帖名になっているのが「藤裏葉」。こちらは元頭中将の内大臣が藤の花の宴を開いて夕霧を招き、雲居雁との結婚を許す段。この人も藤原家の出身だ。

藤原氏の出身ではないけれども、藤のイメージがつきまとうのが藤壺。御所の藤壺に住んでいたため、こう呼ばれる。明石の姫君の容姿も藤の花にたとえられた。源氏物語における藤の花は桜や梅とともに重要なシーンを彩る花のひとつだ。

Fuji

写真は清水近くの民家の軒先で見かけた藤。

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葵祭

葵祭は源氏物語にも登場する歴史ある大祭だ。上賀茂神社と下鴨神社両社のお祭りで、平安風俗そのままの行列がよく知られている。源氏物語当時は「賀茂祭」と呼ばれ、四月中旬の酉の日に行われていたが、現在は5月15日に行われている。ことしの葵祭はさわやかな晴天に恵まれた。

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祭りは宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀があるが、現在は路頭の儀と社頭の儀のみが行われている。見どころは路頭の儀、すなわち行列だ。両社に参詣する斎院や勅使の行列が都大路を練り歩く。今回は北大路を上がった賀茂川沿いの賀茂街道で見物した。下鴨神社での社頭の儀を終えた行列は少し疲れ気味にも見えたが、ここは緑が多く行列を見るにはいいポイントだ。

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はじめにやってくるのは勅使を中心にした本列。検非違使や陪従、舎人、随身ら男性で構成される。勅使は天皇の使いでこの行列の最高位。四位の近衛中将がこの役を務める。乗馬も特別に飾りを付けたものだ。また、男たちはみんな頭に葵の枝を挿している。

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本列を彩る風流傘。季節の花(造花)が飾られ華やか。重いのか屈強そうな男性がかざしていた。写真は選手交代の場面。

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後半は斎王代を中心とした斎王代列。女性の姿が多い。前髪に飾り櫛をさしているのは食事を司る女儒=采女。京都御所に展示されていた人形と同じ装束を身にまとっている。

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葵祭で一番話題に上るのが斎王代。本来は未婚の内親王や皇族の女性が選ばれ、神に奉仕する。源氏物語の葵の巻では、弘徽殿大后が生んだ三の宮が賀茂の斎院に選ばれた。現在は未婚の一般女性から選ばれる。斎院の代理なので斎王代。ことしの斎王代は東山区の料亭「菊乃井」の若女将、村田紫帆さん。新調の十二単もあざやかだ。

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行列も終わりに近づいてきた。最後尾は葵と桂、桜で飾られた斎王の牛車。女房車ともいわれる。
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このあと、行列は上賀茂神社に向かい、再び社頭の儀が行われる。

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源氏物語では光源氏がまだ少女の紫の上と一緒に牛車で路頭の儀を見物に行くエピソードが記されている。これが彼女の社交界デビューだが、このとき、光源氏たちに車を止める場所を譲ってくれるのが男好きの老女、源典侍である。

今回見物したのは賀茂街道の路頭の儀だけだが、上賀茂神社、下鴨神社で行われる社頭の儀や、葵祭に先駆けて行われる御阿礼神事、斎院の御禊など、流鏑馬神事など様々な神事がある。次回はそういったものにも目を向けてみたいと思った。

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京都御所シリーズ5 蹴鞠の庭

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「鞠に身を投ぐる若君達の、 花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを 見るとて、人びと、あらはを ふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、 若くうつくしの人やと、ふと見えたり」

蹴鞠に熱中している若者たちは、散る桜にもかまわない。その様子を見ようとしている女房たちは、御簾が上がって中が丸見えになっているのにも気がつかないのだ。(女三の宮は)猫が激しく鳴くので振り返る。その顔だちや様子がおっとりしていて、若々しくとてもかわいい人だということがわかった。

源氏物語中、いくつか遊興の場面が登場するが、その中でもドラマチックで、後のストーリーに大きな影響を与えているのが「若菜上」の蹴鞠の場面だ。

桜が満開の時期、光源氏の六条院の南の町で光源氏の息子の夕霧や柏木など若い貴公子が集まり、蹴鞠を楽しんでいた。その中でも柏木の蹴鞠のテクニックは抜きん出ている。女三の宮やその女房たちは御簾の影からそれを見ていたが、仔猫に付けたひもが御簾に引っかかり、女三の宮の姿が柏木に丸見えになってしまう。前々から女三の宮に恋心を抱いていた柏木ははじめて見る女三の宮にますます夢中になっていく。この垣間見が後の密通をもたらすきっかけとなる。

写真は京都御所の蹴鞠の庭。小御所と御学問所の間の四角い庭だ。ここで蹴鞠を行うときは、四方に木を立て、その中で競技を行う。蹴鞠は鹿皮で作った鞠を足の甲で蹴り上げ、長く続けることを競う遊びだ。

物語では、六条院の春の町の寝殿の東庭を蹴鞠の庭に見立て、満開の桜の花の間で行われた。散りかかる桜の中で蹴鞠に興じる貴公子たち。それを眺める女三の宮は紅梅襲の上に桜襲の袿姿。髪は身長より20センチ以上も長いと高貴な姫宮の美しさが描かれる。

しかし、ここで紫式部は女三の宮の決定的なミスを上げている。「几帳の際すこし入りたるほどに、 袿姿にて 立ちたまへる人あり」女三の宮は立って蹴鞠を見物していたのだ。当時、女性が立つことはほとんどなかった。だいたい座っていたり、ものに寄りかかっていたり、移動の際も膝行(膝でにじる)する程度だった。立っている、ということはそれだけでたしなみのないことだったのだ。

つまり、女三の宮は美しいし、高貴の育ちかもしれないけど、ちょっとたしなみの足りない女性であると設定されているわけだ。双六の近江の君といい、蹴鞠見物の女三の宮といい、紫式部の人物設定は的確で容赦ない。その観察眼は小説家ならではだろう。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学23」 思い人を奪われ続ける男(2)

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京都御所の八重桜 朧月夜ってこんな感じの人かも


■朱雀院の悲しみと落胆
ここで朱雀院という人の人生を振り返ってみたいと思います。彼は桐壺帝の一の皇子。母は弘徽殿大后です。母の身分も高く、本来であれば桐壺帝から特別目をかけてもらえるはずの立場ですが、幼少のころから父・桐壺帝の目は弟の光源氏に向けられていました。いわば父の愛情を奪われた形です。

そして結婚。光源氏の最初の妻になった葵の上は、本来朱雀院のお后になる予定で育てられた娘でした。でも、桐壺帝と葵の上の父・左大臣は葵の上を光源氏の妻にしたのです。ここでも朱雀院は自分のものになるはずだった人を奪われてしまったのでした。

そして極めつけは朧月夜の君。彼女は朱雀院のお后として入内することが決まっていましたが、桜の美しい春の夜、光源氏と偶然に出会って恋に落ちてしまいます。光源氏との恋が表沙汰になったあと、彼女の姉、弘徽殿大后や父の右大臣は女官として宮中に送り込みました。彼女は朱雀院の寵愛を受けますが、朱雀院はいわば「キズモノ」、光源氏の「お古」をつかまされてしまいました。

しかも、宮中に上がってからも光源氏と朧月夜の恋は続きます。ある時は朱雀院が物忌みで謹慎している最中の宮中で、ある時は病気で里邸に戻っているときに、二人はこっそり忍び会っていました。これを知った朱雀院の気持ちを思うと、気の毒になってきます。

こうした経緯があったあとの、前斎宮の入内です。光源氏は再び、朱雀院の思い人を奪いさり、今度は自分の息子に与えてしまったのです。皇位を退き、自由の身になった朱雀院は、今度こそ愛しい人と穏やかに過ごしたいと考えていたに違いありません。しかし、目の前でその思いは断ち切られたのです。どれほど落胆したことでしょう。

でも、朱雀院は大人でした。前斎宮の入内当日、朱雀院は装束や櫛、香壺などすばらしいプレゼントを贈ります。添えられた手紙を見てさすがの光源氏も胸を痛めるのでした。

思い人を奪われ続けた朱雀院の物語はいったんここで終わりを告げるかのように見えます。しかし、朱雀院はその後、光源氏の人生に思いもよらぬ波紋を投げかけることになります。自分の愛娘、女三の宮を光源氏の妻として降嫁させたのです。もはや晩年に近づいた男に、親子ほども年の離れた愛娘を嫁がせた朱雀院の真意は何だったのでしょうか。

源氏物語を英訳したロイヤル・タイラー氏はこれを「思い人をことごとく弟に奪われた兄の復讐」だと位置づけています。たしかに、女三の宮の降嫁後、女三の宮の密通や不義の子の誕生、紫の上の死など光源氏の運命が大きく狂うことを考えると、それは復讐だったのかもしれません。

となると、光源氏は図らずも朱雀院の人生に復讐の種をまき続けてきたことになります。それは光源氏が意図したことではありませんが、後の人生に大きな影響を与える失敗だったのかもしれません。そのお話はもう少し先のことになります。(この項終わり)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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模様替えしました!

みなさま、いつも私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

いつもと様子が変わっているので、驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。背景の模様替えをしました。

さわやかな新緑の風景を、あなたのディスプレイにお届けします。「若葉マークの源氏物語ブログ」というタイトルにもぴったりかと。

気分一新、これからも様々な話題をお届けします。今後ともよろしくお願いいたします。

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「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学23」 思い人を奪われ続ける男(1)

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京都御所、新緑の楓


■六条御息所の娘の結婚
さて、光源氏31歳の春。彼はある結婚のために東奔西走していました。といっても自分の結婚ではありません。藤壺中宮の子、冷泉帝、つまり、光源氏の秘密の息子の結婚です。お相手はあの、六条御息所のお嬢さん、前斎宮です。六条御息所はかつて、皇太子妃でしたから、このお嬢さんは皇族の血をひく高貴な生まれの超お嬢様です。

この人は六条御息所が生き霊になってしまった「葵」の巻で、伊勢神宮の斎宮になって、母と一緒に伊勢へ下っていました。そのとき、彼女は14歳。それから6年の月日が過ぎ、朱雀帝の譲位に伴って、都に戻ってきたのでした。20歳の美しい盛りです。明石から戻った光源氏は六条御息所と距離を置いていましたが、彼女が重病にかかったと知り、見舞いに訪れました。

死の床にあった六条御息所は光源氏に娘の将来を託します。でも、光源氏の女癖を熟知している六条御息所は、「あなたの愛人のひとりのような扱いはしないでください」と釘を刺すのを忘れませんでした。

その後、六条御息所は息を引き取り、光源氏は前斎宮の親代わりを務めます。「さて、彼女の将来をどうしたものか…」実は、光源氏は斎宮時代から彼女にひとかたならぬ関心があったのです。六条御息所亡き後はいつでも言い寄ることだってできます。でも、六条御息所の遺言が光源氏を押しとどめています。だって、変なことをしたら、六条御息所に祟られそうですものね。

そこで考えたのが、彼女を冷泉帝のお后にすることでした。身分も高く、美貌の誉れ高い前斎宮であれば、お后にしても何ら問題はありません。即位したばかりの冷泉帝はまだ11歳。前斎宮は20歳と年齢差はありましたが「いまは同い年のお后がいるだけなので、年上のしっかりした人を」とか何とか理由を付けてしまいました。

ただ、ひとつ問題がありました。退位した朱雀帝(=朱雀院)が前斎宮に関心を寄せているのです。光源氏はこの件を冷泉帝の母である藤壺に相談しました。藤壺は「六条御息所の遺言にかこつけて、知らないふりをして入内させてしまいなさい」と言い切ります。光源氏の若い恋に翻弄されていた藤壺中宮ですが、意外に策士だったんだな、なんて思わせるシーンです。こうして、前斎宮は冷泉帝のお后になることが決まり、朱雀院は思い人を奪われてしまったのでした。(次回へ続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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京都御所 シリーズ4 双六をする女房たち

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久々の京都御所シリーズ。一般公開では人形で女房たちの暮らしぶりも展示されていた。
写真はその中のひとつ、双六の場面である。

双六は盤の上に白黒の駒を並べ、賽を振って相手の陣に自分の駒を早く入れたものが勝ちという、中国から伝わったゲームだ。ゲーム盤の上を駒を動かして、一回休んだり、5つ進んだりする現在の双六とはかなり勝手が違う。バックギャモンの原形ともいわれる。

源氏物語では光源氏の須磨の邸や椎本の夕霧の山荘に双六盤が登場する。
しかし、一番イキイキと描かれているのが、「常夏」の近江の君と五節の君の双六の場面だろう。

近江の君は内大臣(元頭中将)の娘。早口で、どうにもお育ちがあれなお嬢さんだ。内大臣自身も引き取っては見たものの、その処遇には頭を痛めている。かといって、自分の娘でないとはいえない。どこをどう取っても自分にそっくりなのだ。よくよく見れば見苦しいというほどでもない。そこで、娘の弘徽殿女御に出仕させようと考えた。

ある日、弘徽殿女御を訪れたついでに、近江の君のところにも顔を出した。彼女は従姉妹で女房の五節の君と双六を楽しんでいる最中だった。目に飛び込んできたのは「小賽、小賽」と早口で呪文を唱えながら賽を振る新しい娘の姿。五節の君も「 御返しや、御返しや」を賽を入れる筒をひねくり回して、なかなか降り出そうとはしない。その様子が何とも軽薄そうだ。

「げっ」

内大臣の心の叫びが聞こえるようだ。さぞや頭が痛かったろう。

紫式部は、双六の打ち方ひとつで、近江の君の育ちや性格まで表現している。この人の観察眼には毎度恐れ入るばかりだ。私自身がこの人と同時代に生きていたら、どんな風に書かれたのか、恐ろしくなる。近江の君は双六が好きらしく、その後も若菜下で、双六を打っている。その際には、明石の尼君の幸いにあやかろうと「明石の尼君、明石の尼君」と唱えながら、賽を振りだしている。お育ちはあれだが、まあ、憎めないキャラではある。

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