« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

半兵衛のむし養い

京料理に欠かせない食材として生麩と湯葉がある。いずれも脇役だが、これがなければ何となく京料理らしくない。いくら見た目は京料理らしくても、画竜点睛を欠いているような気がする(大げさだけど)。でも、生麩と湯葉が主役をはるのはあまり見たことがない。どちらかというと、若手の脇をがっちり固める名優の風情だ。

この二つの食材を主役にし、さらにいままでにないアレンジを加えているのが半兵衛の「むし養い」。同店は五条大橋のたもとにある生麩のお店。創業は元禄2年(1689年)。300年以上を数える老舗だ。

むし養いは生麩や京湯葉の味わいを広く知ってもらうために供されているお料理。生麩や湯葉のアレンジの多彩さに驚かされる。


Hanbei1

左手前は「湯葉豆腐」。見た目は卵豆腐、味わいは湯葉、豆腐よりもなめらかで口の中でツルリとほどける食感が心地よい。その奥左が生麩のしぐれ煮。まるで牛肉のしぐれ煮のような食感と味わいにびっくり。さらに、焼麩とキュウリの酢の物、生麩田楽、ご飯の隣の生麩は昆布やぎんなんなどが入っている。緑の生麩は山椒の香りが口いっぱいに広がる。柏の葉に包んだのは白みそあんが入った麩まんじゅう。

Hanbei2

こちらは汲み上げゆば。やさしい口当たりだ。


Hanbei3

湯葉の揚げ物はカリカリの食感が楽しい。

Hanbei4

揚げた生麩と湯葉の碗もの。生麩は揚げるとまた食感が変化する。

Hanbei5

よもぎ麩の白味噌仕立て。白味噌のやさしい甘さがよもぎ麩の味わいを引き立てる。


Hanbei6

店内は思った以上に広く、お庭もきれい。スタッフの応対もていねいで、快かった。次から次へと繰り出される生麩と湯葉のマジックに、楽しい驚きが続く食事だった。

■京都市東山区問屋町通り五条下ル二丁目上人町433
■TEL(075)525-0008 FAX(075)531-0748 フリーダイヤル(0120)49-0008
http://www.hanbey.co.jp/

よかったらクリックしてね↓
◇人気ブログランキング◇へ

| | コメント (2)

源氏物語千年紀展始まる

4月26日から京都文化博物館で「源氏物語千年紀展」が始まった。紫式部日記絵巻や源氏物語の大島本、土佐光信の源氏物語画帖、大和和紀の「あさきゆめみし」カラー原画など160点が展示される。会期は6月8日まで。

もちろん、私も行く予定。途中、大幅な展示の入替があるそうなので、チケットは2枚確保した。どんな展示が見られるかワクワクする。その結果はまた、本ブログにてご報告したいと思う。

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html

よかったらクリックしてね↓
人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

Stella Polare(ステッラ ポラーレ)

京都御所の西側は立派なお邸が建ち並ぶ閑静な住宅街だ。最近でこそ、マンションや会社の保養所なども増えているが、基本的にはお邸街。昔からの住人も多く、いわゆる「京都」らしさが伝わるところでもある。

Stellapolare1
同店はその一角、室町通りに面した立派な町家門の奥に店を構える。靴を脱いで上がる店内はゆったり座れる掘りごたつ形式。大きな窓の向こうに日本庭園が見える。

この日は少しだけぜいたくに1575円のコースを頼んだ。


Stellapolare2
生ハムやスモークサーモンなどが盛り合わされた前菜は、バラエティ豊かで楽しみながらいただける。

Stellapolare3
本日のスープ

Stellapolare4
バジルクリームのコンキリエ。ガーリックの香りが効いた濃厚なソースが歯ごたえのあるコンキリエによく絡む。

Stellapolare5_3

ドルチェ。パンナコッタとケーキ。このほか、パンとお茶も付く。この価格でこの雰囲気とお味は◎。偶然出会ったお店だけど、かなりの満足感でお店をあとにした。

■京都市上京区室町通出水上ル東側
■075-432-6221
■ランチ 11:30〜15:00(L.O.14:30)、ディナー 18:00〜22:00(L.O.21:30)

よかったらクリックしてね↓
人気ブログランキングへ

| | コメント (4)

上賀茂神社 斎王桜

Saiouzakura

京都の桜ももう終わり…と思っていたら、上賀茂神社で満開の桜に出会った。斎王桜。上賀茂神社に奉仕した斎王が愛でたといわれる桜だ。

斎王とは、天皇の即位に伴い伊勢神宮や賀茂神社に奉仕した未婚の内親王、または女王のこと。源氏物語では賀茂神社に仕える方を「斎院」、伊勢神宮に仕える方を「斎宮」と称している。

葵の巻で賀茂の斎院になるのは桐壺院と弘徽殿女御の間に生まれた女三の宮(後に柏木と密通する人とは別人)。朱雀帝の姉妹だ。この人の御禊の時、葵の上と六条御息所の車争いが起こった。桐壺院崩御の服喪にともない、賀茂の斎院は朝顔の姫君に代替わりする。

一方、伊勢の斎宮は葵の巻で六条御息所と前春宮の間に生まれた姫宮に決まる。彼女は澪標の巻で朱雀帝の退位に伴い帰京、その後冷泉帝の女御として入内した。斎院、斎宮は、源氏物語では目立たぬ存在ながら、実はストーリーに重要な影響を及ぼす存在なのだ。

この斎王桜は枝振りも立派なしだれ桜だ。花びらは普通の桜よりやや小ぶりで清楚。高い身分に生まれながら、未婚のまま神に奉仕する斎王にふさわしい花かもしれない。

よかったらクリックしてね↓
人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

京都御所シリーズ3 清涼殿

Seiryoden1
おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、 冠者の御座、 引入の大臣の御座、 御前にあり。 申の時にて源氏参りたまふ。角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。(源氏物語 桐壺)

光源氏の元服は、清涼殿で執り行われた。東向きに帝のお席が設けられ、光源氏と加冠役の左大臣の席がその前に作られる。童形の顔だち、美しさ、これを大人の姿に変えてしまうのはとても惜しく思われる。

清涼殿は帝の日常生活の場。紫宸殿の北西に東向きに建てられている。帝は先年、春宮が紫宸殿で元服の儀を行ったため、それに若干の差を付けて清涼殿を使ったのである。ただ、その様子は春宮のそれにも引けを取らなかったという。

清涼殿はまた「紅葉賀」の巻で、御前の試楽が行われたところでもある。光源氏の子を宿す藤壺の宮は、秋の夕陽に照り映える光源氏の「青海波」を見る。そばにはコキュにされた桐壺帝。そして藤壺に思い届けとばかり舞う光源氏。藤壺は胸締め付けられるような思いだっただろう。

ただ、弘徽殿女御は「神が空から魅入りそうなルックスだこと。気味が悪い。不吉だわ」などと一人場違いに気炎を吐いている。彼女はよくよく光源氏が嫌いなのだろう。

という具合に、帝が日常を過ごすだけに、いくつものエピソードの舞台にもなっている。母屋の北側には帝の寝所である夜の御殿がある。桐壺更衣を亡くした桐壺帝はここで嘆きながら夜を明かしたこともあった。

Seiryoden2

清涼殿の母屋には「昼の御座」が設けられている。御帳台の中には大床子と呼ばれる腰掛け。前には狛犬が置かれ、平安時代の様子をよく伝えている。

応援よろしくお願いします!
人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

天周の天丼

関東と関西では食文化に様々な違いがある。うなぎのさばき方、うどんのだし、雑煮の餅…。意外なところでは定食のご飯とみそ汁の置き方にも違いがあるそうだ。

だが、天ぷらにも違いがあるのを実は先日まで知らなかった。関西の天ぷらは衣に卵を入れず綿実油で揚げるので、さらりとした味わいになる。それに対し、関東の天ぷらは衣に卵を入れ、ごま油を使うので、香り高い天ぷらが揚がる。

祇園北側にある「天周」は関東風の天ぷらを出すお店だ。人気は昼のメニューの天丼。店の外まで行列があふれていることがある。そこで開店の11時より20分ほど早く訪れてみた。そこにはすでに数組のお客さんが。みんな考えることは同じだ。昼は予約できないので、どんなに遠くから来る人でも、並ぶしかない。幸い、私たちは開店と同時にカウンターに座ることができた。

店内にはごま油の香りが漂い、目の前で天ぷらが揚げられる。手際よく揚げては丼つゆに浸しててご飯にのせられる天ぷら。メニューは穴子天丼、海老天丼、かき揚げ丼、ミックス天丼の4種類。この日はかきあげ天丼にした。

Tenshu

やってきたのはかき揚げでふたをした丼。ではなく、ボリュームたっぷりのかき揚げ丼。ごま油のいい香りが立ちのぼる。ここのかき揚げ丼はちょっと変わっていて、天ぷらの半分は丼つゆに浸しているが、半分はそのままだ。こちらは抹茶塩を付けていただく。2種類の味わいが楽しめて、ちょっとお得な感じ。

アツアツの天ぷらをまずは一口。サクサクの歯ごたえ。サツマイモ、かぼちゃ、タマネギ、三つ葉、小エビなどが渾然一体となった味わい。野菜の甘味が際だつ天ぷらだ。揚げたての天ぷらでちょっと舌をやけどしながら、ハフハフといただく。天ぷらもご飯もボリューム満点だった。これで価格は1550円。まあ、祇園価格といえば祇園価格だけど、たまにならOK、という感じ。

驚いたのは食べ終わって店を出てから。四条通にずらりと行列ができて、どこまで続いているのか終わりが見えなかった。ここへ行くなら、開店前から並ぶか、少しピークをはずすのがおすすめ。

Tenshu2


■京都市東山区祇園四条通縄手東入北側
■075-541-5277 FAX:075-561-5709
■11:00〜14:00 17:30〜21:00 水曜休
http://tenshu.fc2web.com/

| | コメント (0)

京都御所シリーズ2 紫宸殿

「如月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ。 后、春宮の御局、左右にして、参う上りたまふ。弘徽殿の女御、中宮のかくておはするを、をりふしごとにやすからず思せど、物見にはえ過ぐしたまはで、参りたまふ」(源氏物語 花宴)

光源氏が朧月夜と出会う「花宴」の帖は、紫宸殿の桜の宴から始まる。この日は帝の座所の左右に藤壺中宮と春宮(後の朱雀帝)の座所が設けられ、宴が催された。弘徽殿女御は藤壺が中宮になったことを日ごろから不快に思っている。でも、イベントは大好きなのでやはり参加しているのだ。

Shishinden

写真は京都御所の紫宸殿。この写真ではわかりにくいが中央に帝の御座所、高御座(たかみくら)と御帳台が置かれている。紫宸殿は京都御所の正殿で、即位の礼や節会などの儀式を行うところ。本来、即位の礼は大極殿で行われていたが、その焼失によって紫宸殿で行われるようになった。今上陛下の即位の礼はこの高御倉と御帳台を東京に運んで行われた。

Sakonnosakura

紫宸殿の正面には左近の桜、右近の橘が植えられている。写真は紫宸殿東側の左近の桜。盛りは過ぎているけれど、花の宴の雰囲気を少しだけどうぞ。

Dantei


紫宸殿の前には白砂を敷き詰めた南庭が広がる。平安時代を思わせる雅な空間。

| | コメント (0)

京都御所シリーズ1

「いづれの御時にか、 女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めきたまふありけり」

源氏物語の有名な冒頭は、御所の中で始まる。帝の皇子として生まれた光源氏にとって、二条院や六条院などの自邸はあっても、少年期を過ごした御所はもう一つのふるさとといえる場所だろう。初恋の人、藤壺に出会ったのも御所の中だ。

現在の京都御所は平安時代の御所からは2キロほど東へ移動している。平安京の大内裏にあった御所は何度も焼失したり、再建されたりした。新たに造営されるときには帝は里内裏に移動される。いまの御所は里内裏のひとつ、土御門東桐院殿のあったところに作られている。これも焼失を繰り返し、その間に拡張されたものだ。

紫式部の生きた時代、ここは藤原道長さんの一条邸がある場所だった。源氏物語でいうなら、柏木の未亡人・落葉の宮の一条の邸があったところだ。ここが里内裏ではなく、皇居として定着したのは元弘元年(1331)の光巌天皇の即位から。明治天皇が東京へ行ってしまうまで、500数十年間はここが内裏だった。

京都御所では4月13日まで一般公開の最中だ。平安時代と少しく形を変えたとはいえ、その面影はそこかしこに残る。そんな建物を直接見られる機会は貴重だ。これからしばらくの間シリーズで、京都御所を物語に絡めてご案内したいと思う。


Shoumeimon

写真は承明門から見た紫宸殿 帝は紫宸殿の南階からご鳳輦に乗り、専用の門である承明門やその正面にある建礼門を出入りされた。

| | コメント (0)

三井家奉納 雛道具@八坂神社

過日、八坂神社常磐殿で三井家奉納次郎左衛門雛のお道具の虫干しを拝見する機会に恵まれた。

三井家というのは、財閥の三井家のこと。雛道具を奉納したのはそのうち、新町六角にあった新町三井家で、京三井両替商創業の地でもある。その邸宅は3200坪もあったとか。もちろん、雛道具もその住まいにふさわしい、豪奢なものだ。

100数十点にもおよぶ雛道具は、花嫁道具を摸して作られた精巧なミニチュア。大正から昭和にかけての作だが、実に細工が細かい。いずれも桐をあしらった金蒔絵で取っ手の金具まで繊細な細工が施されている。

小さな箪笥の引き出しには帯留めや帯揚げなどの装身具、裁縫道具の入った箪笥には糸巻きに巻かれた色糸が整然と並ぶ。小さな和綴じの本を入れた文庫、ふとんと枕がそろった長持ち、火鉢に添えられた火箸は、細く小さいにもかかわらず模様が彫り込まれている。

そのほか茶道具や香道具、櫛などがそろった化粧道具、碁盤や将棋盤、琴や琵琶、笙といった楽器類など、そこまで、と思えるほど様々な道具がそろう。源氏物語の世界もかくやと思わせる豪華さだ。お道具だけでひとつの世界を構成している。どこからかミニサイズの光源氏や紫の上が現れて生活をはじめてもおかしくないほど、完璧な道具類に釘付けになってしまった。

そしておひな様がまたすばらしい。男雛が向かって右に飾られる、関西流の御殿飾りだが、おひな様の大きさが半端ではない。30センチ近い高さがあっただろうか。しかも座っている畳の縁はあざやかな錦。御殿も塗で背後や天井には美しい絵が描かれている。写真撮影禁止のため、言葉で伝えるしかないのがもどかしいが、おそらく今まで見た中で一番豪華なおひな様だと思う。

展示会場となった常磐殿も風格ある建物だ。これは昭和31年に新町六角の三井邸にあった常磐御殿を移築したもの。寛政元年(1789年)門跡寺院光照院の寝殿として創建されたものが、その後尚徳小学校の講堂となった。本格的な書院造りで、襖絵は土佐光武や望月玉渓。欄間の彫り物もすばらしい。写真はそのお庭。その風格の片鱗だけでも感じていただければ幸いだ。

Tokiwaden

| | コメント (0)

京都さくら三昧

京都は桜の似合う街だ。同じソメイヨシノでも、大阪の桜に比べると、京都のそれはなぜか妖艶だ。たとえていえば、ジーンズ姿の女の子と、和服の美女ぐらいの違いを感じる。

源氏物語では桜は重要な出会いのシーンを美しく演出する。例えば朧月夜と光源氏の出会い。桜の花の宴の夜、二人は弘徽殿の細殿で出会った。あるいは、柏木が女三の宮をはじめて見たのも、桜の花の季節だ。

ことしは幸いにして、桜の満開の日に京都を巡ることができた。そこで、京都の桜を少しだけご案内したいと思う。


Sakura1

京都のお花見の定番といえば、円山公園。この日はお花見の人であふれかえっていた。


Sakura2

円山公園のしだれ桜。有名な方ではなく、やや小さいしだれだけど、今が盛りの美しさ。


Sakura3

知恩院の山門に桜が映える。


Sakura4

青蓮院のとなり、あおくす公園のしだれ桜。人が少なく、ちょっとした穴場。向こうには東山連峰も。


Sakura5

高瀬川 一の船入そばのソメイヨシノ。川面に散る花びらが風情豊か。

Sakura6

こちらも高瀬川にかかるソメイヨシノ。満開の桜を見ているとなぜか胸苦しくなってくる。


Sakura7
元立誠小学校校庭に咲くしだれ桜。うす紅色があざやか。


Sakura8

立誠小学校は森光子が卒業した古い学校。きょうはさくらまつり。


Sakura9

さくらまつりを宣伝する若いちんどんやさんにも花びらが散りかかる。

Sakura10

夕暮れを迎えて、花びらの色が少し冷たそうに見えた。

| | コメント (0)

喫茶 ソワレ

ひところのカフェブームもようやく落ち着いた感があるが、京都は関西でもいち早くカフェブームが起こったところである。町家カフェや和モダン、デザイナーズカフェまで個性豊かなカフェがあちこちに登場し、訪れる者としては実に楽しい。

だが、カフェブームがやってくる以前から、京都には個性豊かな老舗喫茶店が数多く見られた。それを育てたのは京都の学生や学者、芸術家などのインテリゲンチャたち。そのおかげでいまでも京都には古きよき喫茶店文化を受け継ぐ店が残されている。

Photo

木屋町四条上ルにあるソワレもそのひとつ。昭和23年創業というから、ことし還暦を迎える老舗喫茶だ。少女のイラストが描かれた看板やヨーロッパ調の外観に昭和の香りが漂う。


Photo

特徴的なのは店内の照明。青い光は女性の肌をキレイに見せるのだとか。たしかに、少し非現実的な雰囲気が漂う。この写真ではホワイトバランスの操作で青を協調しているため、まるで海の底のようになってしまったけど、実際にはここまで青くはない。


Photo_2

同店の名物が七色のゼリーを使ったスイーツ。特にゼリーポンチはプルンプルンのゼリーとシュワシュワの炭酸の口当たりが楽しい。色鮮やかなゼリーにはちょっとびっくりするけれど、こういうお店にはよく似合う色合いだ。


Photo_3

お店に行ったら、ぜひショップカードももらって。東郷青児や中井史郎の乙女チックなイラストが、昭和を感じさせる。


Photo_4

■京都市下京区木屋町四条上ル
■075-221-0351
■月曜定休

| | コメント (2)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学22」 光源氏に従った男と裏切った男(2)

■あのとき、なぜついていかなかったのだろう
さて、今回注目したいのはこの空蝉ではなく、弟の右衛門佐の方。彼は空蝉への連絡係として光源氏に雇われ、ずいぶんかわいがられました。二人の接触を描いた部分からは何となくBoys Loveっぽい雰囲気も感じられるほどです。とまれ、光源氏に取り立てられたことで、彼はかなり出世することができたのです。

ところが、光源氏が須磨に退去したとき、右衛門佐は光源氏に従うより、右大臣・弘徽殿一派の目を恐れて姉と一緒に常陸に下ってしまいました。当時の情勢から見れば、妥当な立ち回り方です。でも、その一方で空蝉の継子、右近将監は光源氏が須磨に下ったとき、職を解かれ、光源氏と行動を共にしていました。いま、その人は光源氏に格別に引き立てられています。

その様子を見るにつけ「何であのとき、光源氏様についていかなかったのだろう。私は何と薄情なのだろう。なぜ、一時の損得で世間に追従したのだろう」右衛門佐の心は後悔と恥ずかしさでいっぱいです。「失敗したな」という気持もあったかもしれません。

その点は常陸介の息子で当時紀伊守だった人も同じです。この人はいま河内守になっています。光源氏に従って須磨に行った右近将監はこの人の弟です。彼は弟の愚直なまでの行動をもしかしたら馬鹿にしていたかもしれません。しかし弟はその誠実な行動が認められ、光源氏から重用されています。河内守もまた、一時の損得で世間におもねるような行動をとった自分を責めていました。

空蝉と光源氏が再会するのは「関屋」の巻です。この巻のメインのお話は空蝉と光源氏の後日談ですが、それよりも紫式部が語りたかったのは誠実な男と、裏切る男の2つのタイプだったのではないかと思います。というのも、この巻は先の「蓬生」の巻の次にあるわけで、読者は末摘花の一途な思いの美しさを読んだあと、光源氏に従った男と、そうでなかった男の姿を見るわけです。

いわば「誠実さ」をリフレインさせているわけで、読者はここで「裏切らない心」の重要性を再認識させられます。それはこの後の空蝉にもいえます。彼女は表向き光源氏を拒み続けましたが、心の中ではずっと彼を思っていました。この再会を機に、彼女は光源氏にぽろりと本音の見える歌を返しています。光源氏はその気持ちをくみ取り、うれしく思ったことでしょう。その後も折に触れ、空蝉に手紙を送っていました。

その思いは空蝉の夫の死後に光源氏の行動となって表れます。夫の死後、自分より年上の継子に言い寄られた空蝉はそれを嫌って出家してしまいました。光源氏はその後、寄る辺のない彼女を二条東院に引き取り、面倒を見ています。男女の関係ではなくなりましたが、やはり相手を思い続けた人間には、手をさしのべるのが光源氏です。

紫式部は蓬生、関屋の2巻で続けて誠実な人々、不誠実な人々を対比させて描いています。ここから彼女のいいたいことは自ずと浮かび上がってくるでしょう。裏切りは後悔を招く—女房として働いていた紫式部は、当時の現実をこのような形で物語に昇華させたのかもしれません。(この項終わり)
※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

| | コメント (2)

「源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学22」 光源氏に従った男と裏切った男(1)

■かつての不倫相手と偶然の再会
みなさまは光源氏17歳の夏に出会った空蝉をご記憶でしょうか。夫の単身赴任中、方違えに訪れた光源氏と無理矢理関係を結ばされた中流の女性です。その後は光源氏に心ひかれながらも彼を拒否し続け、それによってかえって光源氏の心に強い印象を残しました。

その後、夫とともに伊予に行った彼女は、今度は常陸介になった夫の転勤に伴って常陸の国に下向しました。いまの茨城県あたりです。ここは親王が国のトップになる国です。親王は現地には赴任しないので、次官の常陸介は事実上現地のトップです。空蝉の夫は順当に出世街道を歩んでいたといえるでしょう。もしかしたら光源氏の力添えがあったのかもしれませんが…。彼らは光源氏が明石から戻った翌年の秋、京に戻ってくることになりました。

一方、都の政界に返り咲いた光源氏、いろいろと忙しい日が続いていますが、今度は石山寺に参詣に行くことになりました。石山寺といえば、紫式部が源氏物語の着想を得たという伝説のあるお寺。長谷寺や清水寺と並ぶ観音霊場として知られ、多くの人が参拝に訪れました。「枕草子」や「蜻蛉日記」などにも登場する、当時の人気スポットです。

常陸介一行が滋賀県の逢坂の関を通過する日、まさに光源氏は石山寺に向かっており、途中二組が出会います。さすがにこのような偶然はできすぎていて、お話だなという感じですが、時は9月30日。紅葉が美しい晩秋の風情豊かな舞台装置。そこで訳ありな男女の再会です。さて、不倫再燃か?というとそういうわけではありません。

常陸介一行は車を止め、あちこちの木下などに車を止め、光源氏の通過をかしこまって見送ろうとしています。車に隠されて姿は見えませんが、その中には空蝉もいることでしょう。地方長官とはいえ、部族も多く華やかでその権勢の一端がかいま見えます。通り過ぎる光源氏もその一行が誰かは承知しています。

光源氏もさすがに感じるものがあったのか、一行の中にいた右衛門佐を呼び寄せました。この右衛門佐はかつて小君と呼ばれた空蝉の弟。当時は12、3歳の少年でしたが、あれから12年、いまは立派な青年に成長しています。「きょう、こうやってお出迎えに来た私のことをお姉さんは無視したりしないだろうね」などと伝言を伝えます。それを聞いた空蝉も当時のことを思い出し、胸がいっぱいになるのでした。(次回に続く)

| | コメント (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »