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末摘花邸のその後

源氏物語でも一番の不美人、赤鼻の末摘花さんは、常陸宮の姫君。出自は高貴だが、その後常陸宮の死により、貧窮した、没落貴族の代表例だ。光源氏と初めて出会ったころも、その邸は相当傷み、荒れていた。透垣はほとんど崩れ、几帳はぼろぼろ。仕える女房たちの衣装は着古して薄汚れている。もちろん、ご本人の衣装も。

それでも、光源氏が通っていたころは、多少ましな暮らしぶりになっていた。だが、光源氏が須磨に退去した後は一層困窮し、「蓬生」の巻ではもう、目も当てられない有様だ。使用人も減り、邸には人の気配もない。庭には草が生い茂り、狐が住み、夜はフクロウが鳴く。もう、街中にありながら、森のような暮らしぶりだ。土塀は崩れ、そこから牧童が入って牛を放し飼いにする。台風で渡り廊下などは倒れ、板葺きの下屋は骨組みだけになってしまった。下仕えの者たちもついに姿を消して、炊事すらままならない。

邸の中には古く、由緒正しい調度類が残されてはいる。末摘花さんはいくら困窮しても、父宮が残したものは手放さなかった。しかし、ちりを払う人もいないので、ホコリの積もった荘厳な住まいだ。

そこへ、帰京し、ようやく彼女のことを思い出した光源氏が訪れる。惟光が露を祓い、傘を差し掛けながら浅茅が原と化した庭を行く絵巻はよく知られている。ようやく再会を果たし、末摘花さんは光源氏の庇護のもとに暮らすようになった。再会の二年後には二条東院に引き取られ、その後、この邸のことには触れられていない。

しかし、千年後。私はその邸のその後をようやく知ることになった。紫式部顕彰会が編纂した「京都源氏物語地図」によると、末摘花の邸があったのは当時の地名では「中御門南東京極西」。現在でいえば丸太町寺町の角あたり。ちょうど京都御所の南東の角あたりだ。そこは現在、京都市営のテニスコートになっており、テニスを楽しむ人で賑わっている。木立の間に開けたコートには浅茅が原も、蓬生も、八重葎もない。明るい空間だ。

末摘花さんのお邸はフィクションの中の存在だが、没落貴族の邸は、このように荒れ果てていったのかもしれない。彼女の邸にもモデルがあったのだろうか。

Photo_2

写真はそのテニスコート

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