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「おれ」という一人称

「おれ」ということばは、現在、主に男性のみが、気の置けない間柄あるいは、目下の人に対して使う一人称だ。まれに女子が使うこともあるが、それはふざけて、あるいは照れ隠しなどに使うものであり、日常的に、あるいは成人した大人の女性が使うことはまずない。いや、ところによってはあるかも知れないが、やはり公式の場では使われない一人称である。

男性の一人称にはほかに、私、僕、儂、吾輩(使うか?)などがある。奈良時代、平安時代ごろには「麻呂」ということばも使われていた。光源氏は「花宴」の巻で、朧月夜に対し「まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ(=私はみんなから許されているので、人を呼んでもどうってことはありませんよ)」などと大胆不敵なことばをはいているが、やっぱり「まろ」である。藤原不比等の四男に、藤原麻呂という人がいるが、この人などはさしずめ「藤原ぼくちゃん」といったような名前だ。

それはさておき「おれ」である。現代女性はまず使わない。でも、平安時代には女子も使っていた。「行幸」の巻末近く、近江の君のことばである。「尚侍に、おれを申しなしたまへ」。尚侍というのは当時の女性の官職。女官であるが、天皇の寝所にも侍った。朱雀帝に寵愛された朧月夜も尚侍だった。

これは尚侍になりたい近江の君が弘徽殿女御(頭中将の娘)に、自分を尚侍に推薦してほしい、と頼み込む場面だが、そのシーンで「おれ」と自分を呼ばせているのは「このお嬢さんは礼儀を知りませんよ」ということを表現しているのである。

現代でも「おれ」ということばは、それほどお行儀のいいものではない。もし、サラリーマンなどが、自社の役員あたりに自分のことを「おれ」といったら、かなり顰蹙ものではないだろうか。それは当時も同じだ。当時は男女ともに「おれ」ということばを使っていたが、これは相手を自分より目下と見下しているときに使う一人称なのだ。

近江の君は頭中将の落とし種で、卑しい育ちの娘である。いくら大臣の娘でも、やっぱり育ちは重要で、この人は身分のありようがわかっていなかったり、家臣の上下がわかっていなかったり、かなりトンチンカンなのである。そのために父や兄たちから馬鹿にされているのは気の毒だが、当時の読者は「おれ」ということばを読んで「ああ、このお嬢さんはやっぱり育ちがアレなんだな」とわかったに違いない。日本語は、一人称ひとつでその人の氏素性まで表現できてしまう言語なのである。

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