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嵯峨釈迦堂 〜清涼寺〜

源氏物語「絵合」の巻末近くに「静かに籠もりゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも延べむと思ほして、 山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ、 仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに」という一節が登場する。これによって光源氏が御堂を建立することがわかるが、次の「松風」の巻によると、これは嵯峨野に造営されたことが判明する。現地に赴いた光源氏はこの御堂で月例で実施する法会のことを命じるなどしている。

光源氏がこの御堂を建立したころ、すぐ近くの大堰川のほとりには明石の君が子どもを連れて移り住んでいた。嵯峨野に向かう光源氏は、紫の上に対し御堂の仏の飾り付けなどを口実にしているが、実のところ、明石の君に会うのが一番の目的だった。物語中、光源氏は紫の上の機嫌を取り結ぼうとする場面がたびたび登場するが、この部分はそのわかりやすい例だ。実のところ、光源氏はけっこう恐妻家だったのかもしれない。

この御堂のモデルとされているのが、嵯峨釈迦堂ともいわれる清涼寺。元々は嵯峨天皇の皇子で光源氏のモデルの一人と目される源融の別荘だったところをお寺にしたもの。寺になったのは7世紀末というから、1300年以上経つ由緒正しきお寺だ。道の突き当たりに堂々とそびえる仁王門は重厚で風格が漂う。現在の本堂は1701年に徳川綱吉の母桂昌院の発願で再建されたもの。なお、10月から11月にかけては霊宝館の秋期特別公開が実施される。

■清涼寺
■問い合わせ:075-861-0343Photo

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