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源氏物語に見る 王朝貴族の失敗学14 あったのか、なかったのか、やっぱり気になる(1)

源氏物語には非常にたくさんの人物が登場します。共感できる人物やそうでない人、あるいは好きな人、嫌いな人、様々ですが、なじみになった登場人物がしばらく出てこないと「あの人、どうしちゃったのかな?」と思ったりします。というわけで、今回はちょっとだけ大人の源氏物語。

◆秋の一夜 野宮の逢瀬

ここしばらく登場しないのが、六条御息所。あの生霊騒動以来、彼女の姿を見ませんが、どうしているんでしょうか。実は彼女の娘の姫宮が伊勢神宮の斎宮に選ばれたので潔斎のため、一緒に嵯峨野の野宮にこもっていました。いまでも嵯峨野には野々宮神社がありますが、これはその名残。本来斎宮が変わるごとに新築されていたので、現在とは違う場所にあったと考えられますが、黒木の鳥居が当時の姿を今に伝えています。

六条御息所はもともと教養高く優雅なマダム。風流に、趣向を凝らして住んでいて、嵯峨野の邸は都の貴族が集まるサロンとなっていました。しかし、そこに光源氏の姿はありません。生霊騒動以来、光源氏は六条御息所と距離を置いていました。六条御息所だって、光源氏の気持ちはよくわかっています。一切の未練を断ち切って、娘とともに伊勢に下ってしまおうと心を決めていました。光源氏もそれは理解していますが、そのまま別れてしまうには惜しい女性でした。光源氏は意を決して六条御息所の元を訪れました。

時は9月7日。秋の盛りの嵯峨野の夜は風情豊かです。都からはるばる訪ねてきた光源氏を、六条御息所はもう会う立場ではないと、娘の潔斎にかこつけ対面を拒みました。でも、それにくじける光源氏ではありません。静止する女房を振り切り、強引に上がり込んでしまいました。

ずっと思い続けてきた人、恋しい人、愛しい人。もう会えないと思っていた光源氏の姿を久しぶりに見た六条御息所の気持ちはどうでしょう。恋したことのある人ならきっとわかると思います。しかも光源氏は「伊勢行きは思いとどまってください」と六条御息所を口説きます。このことばが光源氏の本心かどうかは別として、ゆらゆら揺れる六条御息所の心。

場面はいつの間にか夜から夜明けに変わっています。まさか、かつてあれだけ情熱をぶつけ合った二人がただ語り明かしただけ、というわけはないでしょう。娘の潔斎のために野宮にこもっている六条御息所ですが、ここは光源氏と一夜をともにしたということだと、私は解釈しています。だいたい、源氏物語では男女の間にそういうことがあったかなかったか、うすらぼんやりとしか書かれていないことが多々あります。はっきりしてほしいと思うこともありますが、そこは大人の勘と経験と行間から判断するしかありませんね。

それにしても光源氏は罪作りです。二度と会えないと思っていた人と、一夜をともにした喜びは大きいかもしれません。でも、そういうことがあったから、後ろ髪を引かれます。心が残ります。なまじ会わない方が心が乱れなくてよかったのかもしれません。六条御息所はこのあと伊勢に向かいますが、その道すがらも、伊勢に着いてからも光源氏への思いを断ち切れずに過ごすことになるでしょう。(明日に続く)

※本稿は関西インターネットプレス(KIP)より転載いたしました。

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